一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

北アルプス2023「槍・穂高の山岳美を撮る」①上高地から徳澤園まで

2023年08月18日 | 北アルプス(北穂高岳・大キレット・槍ヶ岳)


毎年、夏に日本アルプスへ遠征するのを楽しみにしていた。
2012年には、海抜0メートルから登る北アルプス「白馬岳」、
2014年には、海抜0メートルから登る北アルプス「剱岳」なども実施し、
大いに楽しんできた。
だが、2017年の南アルプス(北岳・仙丈ケ岳)を最後に、
日本アルプスへは行かなくなった。
日本アルプスだけでなく、県外の山へも行かなくなった。
還暦を過ぎ、人生の残り時間を意識するようになってきたからだった。
「2017年・極私的回顧」に、私はこう記している。

昨年あたりから遠くの山へ行くことが少なくなり、
ホームマウンテンである天山や、
作礼山、八幡岳、鬼ノ鼻山など、家から近い山を主体とした山歩きに変わってきた。
これは、私が60歳を過ぎ、
人生の残り時間というものを意識するようになったということも影響していると思う。
私は、登山以外にも、したいことがたくさんある。
映画鑑賞、読書はもちろんのこと、
コンサートにも行きたいし、スポーツ観戦もしたい。
家族との時間も大切にしたい。
片道3時間も4時間もかけて遠くの山へ行くその時間(往復6~8時間)が、
モッタイナイと思えてきたのだ。
そんな時間があったら映画を何本も見ることができるし、
長編小説だって一冊読破できる。
時間をもっと有効利用したいと思っているからだ。
それに、
山岳会に所属していた時代を含め九州内の主だった山はほとんど登っているし、
もともと、「○○百名山」の類にはまったく興味がなく、
近場の山だけで十分に満足を得られるようになってきたことも大きい。


北岳に登ったのは、ついこの前と思っていたが、
あれからもう6年も経っていたのだ。
ビックリである。
私も今年の夏で69歳になった。
日々、躰は思うようには動かなくなってきており、
老いを痛感する日々である。
それなのに、不思議なことに、
〈また日本アルプスを歩いてみたい!〉
という気持ちが再び湧いてきた。
〈まだ躰が動くうちに……〉
という焦りなのか、
〈あの美しい風景をまた見てみたい……〉
という憧憬なのか、
いずれにしろ、再燃した「行きたい!」という意欲は大事にしたいと思った。
とにかく長時間歩くことのできる躰作りということで、
天山、作礼山、鬼ノ鼻山へは麓から登り、体力強化を図った。
お盆までは仕事が忙しく、
お盆を過ぎて、やっと行けることになった。
行き先は、北穂高岳から大キレットを経て槍ヶ岳へ。
夏の高山植物はほとんど終わっているので、
「槍・穂高」の山岳美を大いに楽しみたいと思った。
なので、今回の山旅のタイトルは“北アルプス2023「槍・穂高の山岳美を撮る」”とした。
〈はたしてどんな山岳美を見ることができるのか……〉
8月18日の午後、ワクワクしながら上高地に降り立ったのだった。


今日は平日であったが、駐車場はバスがたくさん駐まっており、
観光客であふれていた。


上高地のビジターセンターで出発準備をしていると、雨が降ってきた。
上高地は二度目なのだが、前回(2009年)も雨だった。

河童橋に着く。


河童橋越しに見る穂高連峰を期待していたが、残念。
4日後の最終日にここに戻ってくるので、その時に期待。


河童橋の上から眺めていると、梓川の河原にカップルがいた。
微笑ましい。


梓川の左岸(上流から見て左側の岸)を上流に向かって歩いて行く。


美しい林が続く。


クマの目撃情報の看板があった。


木々の間から明神岳が見えた。


見晴らしの良い場所に出た。


向かって右が明神岳第五峰で、左は名前がない二二六三峰のようだ。


ゆっくり歩いて行く。


所々に眺めの良い場所があり、明神岳が形を変えて何度も現れる。




明神館の前を通り、


昭和初期まで上高地への唯一のルートであった島々谷を遡り徳本峠を越える登山道(島々明神線登山道)分岐を通過。


キツリフネがたくさん咲いている。




梓川の支流を見ながら進む。


この川は、池のようなこの場所が(湧き水)が源流となっている。


再び梓川沿いの道へ出て、




やがて徳澤園が見えてきた。


今日は、
井上靖の長編山岳小説「氷壁」の舞台となったこの「氷壁の宿 徳澤園」で宿泊する。


(山小屋ながら)徳澤園には風呂もあり、シャンプーも使うことができる。
風呂から出ると、雨は止んでいた。

そして、なんと、前穂高岳が姿を現していた。


しばし見惚れる。


テント場も賑わっていた。


夕食まで時間があったので、
2階の『氷壁の宿』の展示コーナーで、
井上靖の小説「氷壁」の資料を見学する。




小説に「徳沢小屋」とあるのは、現実には徳澤園のことで、
(私も読んだことがあるが)「氷壁」には、山をひたむきに愛する若者の姿や、美しい恋愛も織り込まれており、山好きの人々に(それ以外の人々にも)今なお愛され続けている。





「氷壁」の一場面を、後年に一枚だけ、徳澤園のために書いてもらったという、
井上靖の直筆原稿も展示されていた。


夕食の時間がきて、食堂にて食事。
岩魚の塩焼きの他、


メインディッシュとして信州牛のステーキが出てきた。


明日はどんな一日になるのだろう……

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