一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『怪物』 …坂元裕二の脚本と、安藤サクラ、田中裕子等の演技が秀逸な傑作…

2023年06月07日 | 映画


本作『怪物』を見たいと思ったのは、
もちろん“是枝裕和監督作品”というのが大きな理由のひとつではあるのだが、
もうひとつ理由があって(むしろ、こちらの理由の方が大きいかもしれない)、
それは、脚本を担当しているのが坂元裕二であったから。


坂元裕二は私の好きな脚本家の一人で、
これまでは、主に、TVドラマでの作品を楽しんできた。
過去の作品では、
「東京ラブストーリー」(1991年1月7日~3月18日、フジテレビ)が有名だが、
その他にも、
「ラストクリスマス」(2004年10月11日~12月20日、フジテレビ)、
「トップキャスター」(2006年4月17日~6月26日、フジテレビ)、
「Mother」(2010年4月14日~6月23日、日本テレビ)、
「それでも、生きてゆく」(2011年7月7日~9月15日、フジテレビ)、
「最高の離婚」(2013年1月10日~3月18日、フジテレビ)
「Woman」(2013年7月3日 - 9月21日、日本テレビ)
「問題のあるレストラン」(2015年1月15日~3月19日、フジテレビ)
「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」(2016年1月18日~3月21日、フジテレビ)
「カルテット」(2017年1月17日~3月21日、TBS)
「anone」(2018年1月10日~3月21日、日本テレビ)
「大豆田とわ子と三人の元夫」(2021年4月13日~6月15日、関西テレビ)
「初恋の悪魔」(2022年7月16日~9月24日、日本テレビ)
などがあり、大いに楽しませてもらったし、
「最高の離婚」「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」「カルテット」などは、
このブログにレビューも書いている。
映画では、『花束みたいな恋をした』(2021年)のレビューを書いているが、

映画鑑賞後、本作の(坂元裕二の)脚本を読んでみたいと思った。
それほど、劇中の言葉の数々に魅了された。
あらためて脚本の重要性をひしひしと感じさせられた一作であった。


と記し、絶賛した。
なので、坂元裕二が脚本を担当した新作『怪物』も、
(是枝裕和監督がどのように演出しているのか……も含め)ものすごく興味があった。


もう、それだけでも、十分な鑑賞理由なのであるが、
本作には、私の好きな女優、安藤サクラ、高畑充希、田中裕子も出演している他、
撮影は(私が高く評価している)近藤龍人で、
音楽も、(『ラストエンペラー』で日本人初のアカデミー作曲賞を受賞し、2023年3月に他界した)坂本龍一が担当しており、
弥が上にも期待は高まった。
2023年6月2日(金)に公開された映画であるが、混雑する週末は避けて、
仕事へ行く前に6月5日(月)の午前中にイオンシネマ佐賀大和にて鑑賞したのだった。



大きな湖のある郊外の町。


自宅のベランダで、火事を見ていたシングルマザーの麦野早織(安藤サクラ)は、
11歳になる息子の湊(黒田想矢)から、
「豚の脳を移植した人間は、人間? 豚?」
と奇妙な質問をされて戸惑う。


担任の保利先生(永山瑛太)が、
「そういう研究がある」
と言っていたというのだ。


その話を聞いて以降、早織は、なにかと湊のことが気がかりになる。
湊が顔に傷を負って帰ってきたり、
湊が自分でくせ毛の髪をはさみで切ったり、
湊のスニーカーの片方が無くなったり、
湊の水筒から泥水が出てきたりと、
不可解な出来事が頻発し、
〈湊が学校でイジメを受けているのではないか……〉
という疑念が生じる。
ある夜、早織は、帰りの遅い湊を車で捜し回る。
湊は廃線跡の暗いトンネルの中にいて、
まるで誰かと待ち合わせているかのように、スマホの懐中電灯の光をかざし、
「かいぶつ、だーれだ」
と叫び続けていた。
そんな湊を車に乗せて、帰宅途中、
湊は突然、走行中の車のドアを開けて外へ飛び降りる。
幸い、軽い怪我ですみ、脳のCT検査も異常はなかったが、湊は、
「湊の脳は豚の脳と入れ替えられた」
と保利先生に言われたと涙ぐむ。
夫を事故で亡くしてから、湊と二人で気丈に生きてきた早織は、
翌日、早織は小学校へ乗り込み、
伏見校長(田中裕子)に、
「湊が保利先生からモラハラを受け、挙句の果てに殴られた」
と訴える。


校長はメモはとるものの、どこか気もそぞろで、
教頭の正田(角田晃広)と学年主任の先生が現れると帰ってしまう。
愕然とする早織に、教頭は、
「校長は先日まだ幼い孫を亡くし、その用件で……」
と説明する。
次の日、学校から呼ばれた早織は、保利の謝罪を受けるが、
保利は明らかに嫌々という態度で、
「誤解を生むことになって残念だ」
と語る。


早織は、
「誤解ではなく事実だ」
と詰め寄るが、校長も早織の言い分をきかず、報告書を読み上げるだけであった。
数日たっても沈んだままの湊を見て、
早織は再び保利と対峙するが、
保利は早織に、
「あなたの息子さんはイジメやってますよ。家にナイフや凶器とか持ってたりしません?」
と、逆に問われてしまう。


早織は怒りに震えて帰宅するが、
湊の部屋に着火ライターがあるのを見つけ、不安に駆られる。
次の日、早織は、思い切って湊がイジメているという星川依里(柊木陽太)を訪ねるが、
星川の腕に火傷の跡があるのを見つけ、少なからず衝撃を受ける。
だが、星川は、校長たちに、
「湊にイジメられたことはない」
と証言し、
さらに保利先生がいつも湊に暴力を振るっていると告げる。
数日後、
小学校の集会室に保護者が集められ、保利先生が生徒への暴力を認めて謝罪し、
地方新聞でも大々的に報じられる。
一件落着したようにも見えたが、
しばらく後、巨大な台風が町に近づく朝、
大雨の中、突然湊が自宅から姿を消してしまう……




……と、ここまでが、映画全体の3分の1ほどのあらすじ。
麦野早織(安藤サクラ)の視点で描かれている部分で、
不可解な出来事が頻発し、
早織の戸惑いが、そのまま見る者の戸惑いとなる。
観客は、
〈なんだ、なんだ?〉
〈どういうこと?〉
と、物語に引き込まれ、魅入らされる。
だが、突然、視点が変わる。
今度は、保利先生(永山瑛太)の視点で描かれるのだ。
早織(安藤サクラ)の視点で描かれた序盤(3分の1)の不可解な部分が、
中盤(3分の1)、保利先生の視点で描かれることで、徐々に解明されていく。
だが、全部が解明された訳ではなく、不可解な部分が依然として残る。
そして、終盤(3分の1)。
今度は、湊(黒田想矢)と星川(柊木陽太)という子供の視点で描かれる。
序盤、中盤で不可解であった出来事が、この終盤ですべて解明される。
いや、「すべて」というのは言い過ぎかもしれない。
人間という生き物は、そんなに簡単に説明できるものではないし、
「怪物」とは何だったのか……という疑問は残り、
本作を見た者は、それぞれが、その「怪物」を思い描くことになる。
ここに至り、本作の脚本の妙を知ることになる。
脚本家・坂元裕二の凄みを知ることになる。


エンドロールに流れる坂本龍一のピアノ曲を聴きながら、しばし呆然としてしまった。
そして、唸った。
見事という他ない。


この三つの視点で描くという手法は、決して珍しいものではなく、
映画界では「羅生門スタイル」と呼ばれ、
被害者、被害者の妻、加害者の盗賊が三者三様の証言をすることで真相がぼやける状況を描いた黒澤明監督の作品名から名付けられた。
TVドラマでもしばしば観ることがあるし、
映画では、クエンティン・タランティーノ監督作品『ジャッキー・ブラウン』(1997年)が有名。(タランティーノが「羅生門スタイル」の名付け親とも言われている)
ここ数年では、ドミニク・モル監督作品『悪なき殺人』(2021年)がある。
黒澤明監督『羅生門』は、芥川龍之介の短編小説「藪の中」を原作としているので、
「羅生門スタイル」は、正確には「藪の中スタイル」であり、
物語も純文学的な“藪の中”に帰することが多いのだが、
坂元裕二が書いた『怪物』は、
芸術の香りを残しつつも、
見事にエンターテインメント作品として成立しており、
そこが凄いと思った。



シングルマザー・麦野早織を演じた安藤サクラ。


カンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した是枝裕和監督作品『万引き家族』での、
クリーニング店工場のパート従業員・柴田信代役があまりにも素晴らしく、(審査委員長を務めたケイト・ブランシェットは安藤の芝居を絶賛し、特に泣くシーンを、「今回の審査員の私たちが、これから撮る映画の中であの泣き方をしたら、安藤サクラの真似をしたと思ってください」と公言したほど)安藤サクラという女優を益々好きになったのであるが、
本作でも『万引き家族』とはまた違った演技で魅せる。

監督とご一緒したのは、『万引き家族』と『怪物』の2作ですが、『万引き家族』のときは私自身、監督に相談したり会話を交わして……という時間が持てなかったんですね。今回は、相談こそしなかったけれど、たくさんコミュニケーションを取ることができました。それは初めてと二度目の違いだと思う。監督と女優という関係ではなく、一緒に過ごした時間で距離感は全然変わってくるじゃないですか。

『万引き家族』のときは、私の中で動いていくキャラクターというか、生きたものをどう形にしていくか……。役柄を常に動かしながら、私の中で静かに探していく感じでした。『怪物』は、坂元さんの本が前提としてあるなかでテイクを重ねたり、肉体を使って具体的にキャラクターを動かしてみたりしながら選択していく印象で、そういう違いがあったんです。
(「映画.com」インタビューより)

安藤サクラはこう語っていたが、
個の演技としては『万引き家族』の方が優れているように感じるが、
作品全体の演技として見た場合は、
二人の子役の魅力を引き出し、対峙する先生たちの個性を際立たせた、
『怪物』での演技の方がより優れているように感じた。



小学校の校長・伏見真木子を演じた田中裕子。


本作での伏見校長の役は、「見事!」の一言であった。
もう何も言うことはないし、
ただただ田中裕子の演技を見ていたいと思った。
演技をしているような、していないような、
無表情の表情で、伏見真木子という謎めいた校長を表現する。


それでいて存在感は抜群で、
主役の4人(安藤サクラ、永山瑛太、黒川想矢、柊木陽太)と同等、
いや、それ以上の印象を残す。


美しかった若い頃の作品も好いが、
中年になって以降の、
『いつか読書する日』(2005年)
『共喰い』(2013年)
『深夜食堂』(2015年)
『ひとよ』(2019年)
『おらおらでひとりいぐも』(2020年)
『千夜、一夜』(2022年)
などの作品の方により魅力を感じるし、
田中裕子という女優の魅力に憑りつかれている。



湊、依里の担任教師・保利道敏を演じた永山瑛太。


このブログでは、あまり男優は論じないのだが、(笑)
保利先生を演じた永山瑛太には触れておかなくてはならないだろう。
(特に序盤においては)この保利先生というのが一番の謎の人物なのだが、
どのようにでも解釈できそうな繊細な演技で、見る者を物語の中へ惹き込む。
風俗店へ通ういかがわしい人物なのか、
暴力教師なのか、
気の弱い男なのか、
正義感の強い先生なのか、
どうともとれる演技で、見る者を困惑させ、振り回す。
場面場面で印象が変わる永山瑛太の演技が絶妙で、
〈彼こそが怪物なのだろう……〉
と思わされてしまう。
『友罪』(2018年)のレビューでも彼の演技を絶賛したが、
本作の演技は「それ以上であった」と記しておこう。



保利の恋人・鈴村広奈を演じた高畑充希。


特異な登場人物が多い中、
普通感覚の女性の役であった。
異常事態(笑)の中、
高畑充希の顔を見ただけでホッとしたし、
正常(なのかどうかは分からないが)な現実に引き戻された。
残念だったのは、出演シーンが少なかったこと。
極私的な願望としては、もっと彼女の顔を見ていたかった。(コラコラ)



この他、
早織の息子・麦野湊を演じた黒川想矢、


湊の同級生・星川依里を演じた柊木陽太の演技が素晴らしかったし、


小学校の教頭・正田文昭を演じた角田晃広、


依里の父・星川清高を演じた中村獅童の演技も、作品の質を高くしていた。



本作『怪物』は、長野県の諏訪地方がメインロケ地となっており、


私は、北アルプスに遠征したときに、諏訪湖の傍にある旅館に泊まったことがあり、
その風景が懐かしかった。


近藤龍人が撮る映像は美しかったし、深みがあった。


風景を見ているだけでも、そこから物語が立ち上がってくるようであった。



監督:是枝裕和、
脚本:坂元裕二、
音楽:坂本龍一、
撮影:近藤龍人。
加えて、
安藤サクラ、永山瑛太、黒川想矢、柊木陽太、高畑充希、角田晃広、中村獅童、田中裕子等の演技が秀逸で、今年(2023年)を代表する日本映画の傑作であることは間違いない。
本作は、2023年・第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、
脚本賞を受賞し、
また、LGBTやクィアを扱った映画を対象に贈られるクィア・パルム賞も受賞している。
そのことが結果的に、ちょっとしたネタバレになってしまっていたが、
ミステリー要素のあるヒューマンドラマであり、
ある種のラブストーリーにもなっていたことを付け加えておこう。

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