一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

英彦山 ……ぎらりと光るダイヤのような日……

2010年01月24日 | 山岳会時代の山行
H・D・ソローは『森の生活』の中で言っている。

《死ぬ時に、
実は本当には
生きていなかったと
知ることがないように》と。

ドキリとする言葉である。
現代人は、物質主義の中で生きている。
暮らしのほとんどを、
ただ暮らしに必要な物と、
心地よさを追い求めるためだけに費やし、
そのために、
働きづめに働き、
その結果、本当の豊かさとは程遠い生活を余儀なくされている。

最近、茨木のり子の詩集を読んでいたら、
「ぎらりと光るダイヤのような日」という詩の中に、次のような一節を見つけた。

《世界と別れを告げる日に
ひとは一生をふりかえって
じぶんが本当に生きた日が
あまりにすくなかったことに驚くだろう》

H・D・ソローとほとんど同じ意味のことを語っている。
詩人は、自分が本当に生きた日のことを、《ぎらりと光るダイヤのような日》という言葉で表現している。
《ぎらりと光るダイヤのような日》を、あなたはどれくらい持っているだろうか?
人生は短く、儚い。
自分が本当に生きた日が、《ぎらりと光るダイヤのような日》が、まったくなかったとしたら……
考えただけでも恐ろしいことだ。

私にとって、山に登っている時は、確実に、「生きている」ことを実感できる貴重なひととき。
《ぎらりと光るダイヤのような日》である。
今日は、英彦山で、からつ労山の仲間と、その《ぎらりと光るダイヤのような日》を存分に味わってきた。

参加したのは22名。
Aコース(16名)
別所駐車場~奉幣殿~鬼杉~南岳~中岳~北岳~望雲台~高住神社
Bコース(6名)
別所駐車場~奉幣殿~中津宮~中岳~北岳~高住神社
私はAコースを選択。

9:22
別所駐車場を出発。
長い石段を登って行く。



9:38
奉幣殿に到着。
衣服調整。
厳かな雰囲気の中、しばし休憩。



10:41
鬼杉分岐通過。

10:49
鬼杉に到着。
国の天然記念物。
木の周囲12.4m。
高さ38m。


あまりに大きく、いろいろな角度から撮影するが、その大きさを表現することは難しかった。



鬼杉から九州自然歩道を登って行くと、凍った滝のような場所があった。
本来は滝ではないのかもしれないが、つららがたくさんぶら下がり、氷瀑のようであった。


途中、展望の良い場所があった。
山並みの稜線がうっすら白くなっており、霧氷の期待が高まる。


11:29
霧氷が見えてきた。
あまりに天気が良すぎて、気温が上がり、霧氷はもう溶けているのではないかと心配していた。


おお、すごい霧氷だ。
青空に映えて美しい!


霧氷のトンネルの中を歩いて行く。


下の方から仲間の歓声が聞こえる。


霧氷越しに見る遠望も素敵だ。


私にとっても、仲間にとっても、今日は《ぎらりと光るダイヤのような日》だ。


11:58
南岳山頂に到着。


山頂まであと一息のniiniiさん。
今年初めての霧氷とのことで、感激されていた。


南岳山頂からは、素晴らしい風景が眺められた。


至福のひととき。


12:22
中岳山頂に到着。


ここで昼食。
私は月見&肉うどんを作って食べた。
霧氷を見ながらのランチは最高だった。


13:00
アイゼンを装着し、中岳山頂を出発。
この時間になると、霧氷もかなり溶けていた。
白一色ではなく、このようにまばらに霧氷が見えると、まるで山桜のようで、これはこれで得も言われぬ趣があった。


ブナの木に、満開の桜が……(笑)


溶け落ちる霧氷が、まるで桜の花びらのようで……
(霧氷の花びら、見えますか~)


13:29
北岳山頂に到着。
山頂も霧氷がたくさん。
アキさんも大喜び!


北岳からからの下山道は北斜面のため、残雪が多く、それが凍っていて、アイゼンなしでは歩けなかった。
ロープ場も多く、滑らないように気をつけながら下った。


途中、野ウサギの足跡を見つける。
なんだか嬉しい。


大きなつららを見つける。
そう言えば、つららを食べてた人がいたな~(笑)


シオジ林などを眺めながら、ゆっくり下って行く。


14:10
望雲台分岐に到着。
クサリ場、片側が切れ落ちた岩場などを経て、望雲台へ。
最後のクサリ場を登ると、鉄柵が……



その鉄柵の向こう側は、約100mの断崖絶壁!


右側は、クサリの垂れ下がった岩壁。
左側は、切れ落ちた絶壁。
ナイフの刃先に乗っているようなniiniiさん、笑顔のVサイン。


14:53
高住神社に到着。
凍った雪で転んだ人もいたが、全員、無事に下山でき、ホッ。


英彦山温泉「しゃくなげ荘」で疲れを癒し、帰路についた。
マイクロバスの中でビールを飲みながら、仲間と語らい、今日という日の幸せをしみじみとかみしめていた。
《ぎらりと光るダイヤのような日》とは、まさにこのような日のことを言うのだ。

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