新聞か、「山と渓谷」かに、山歩き好きの人向けのお勧め小説として、
紹介されており、手に取った。
図書館で他の人の予約が入り、途中で、返却して、また、借りるという
手間をかけて、読み終えた。(おそらく、同じお勧め記事を読んだ人が
予約を入れたのか?)
雑誌の編集者の40歳前後の女性が、日常からの脱却のため、山登りを始める。
初心者には、少し、チャレンジングな山に登るのだが、5つの登山、縦走の
中で、この女性の恋愛や、人間との付き合いなども語られながら、
ある時は、途中であきらめ、ある時は、無事、登頂していく。
表題の「八月の六日間」は、その連作の最後の作品だ。それ以外も、
「九月の五日間」「二月の三日間」「十月の五日間」「五月の三日間」という
名前がついている。
読んでいて、不思議な感じがしていた。理由は、作者は、男性だが、
主人公は、女性である。しかも、一人称(わたしは)で書かれている。
男の作者が書く、女性が主人公の作品(たとえば、「芙蓉の人」)などには、
違和感はなかったが、この作品には、違和感を感じたのだ。
一人称だったからだろうか?この作者は、女性編集者の物語を多く書いている
という。理由は、女性編集者との仕事付き合いから、取材がしやすい。という
少々、怠け者的な理由からだ。
違和感の理由は、妙に、生々しいからではないかと仮説をたてた。
もうひとつ、驚いたことに、この作者は、山に登っていないという。
すべて、取材やらで、この登山の記録的な本を書かれたというのだ。
そんなことが可能なのだろうか?
もちろん、新田次郎だって、書いた本のすべての行程を自分で歩いたわけでは
ないだろう。かなり、取材しているはずだ。しかし、登山の経験も豊富だった。
まったく、登山の経験もなく、こういった本が書けるのに驚いた。
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