吉村昭氏の”三陸海岸大津波”を読んでみた。
40年ほど前の作品だが、徹底的な調査、記録による作品だった。
明治29年の大津波の知る当時の生存者2人の方から話を聞いたり、
昭和8年の大津波の津波体験者の小学生時代の作文を引用したり、
著者の平易な文章と、その事実の重さが相乗効果となり、感動した。
一人の女の子供が、自分の家族と離ればなれになり、自分だけが
生き残り、他県の親戚の元で成長したが、同じ津波を経験した男性と
結婚し、地元で暮らすなど、小説を超えている。
また、4つの大津波を乗り越えた老人の最後の言葉、津波は
なくならないが、今の人たちは十分警戒するから、
死ぬ人はめったにないと思う。という言葉が、今年の
大津波で、実現しなかったのが残念でならない。
過去の大津波の教訓から、津波太郎と呼ばれる田老町には、高さが海面
より10.65メートルの防潮堤が作られ、チリ地震大津波の時は、死者も
出なかったという。
しかし、今回の大津波には乗り越えられてしまった。
一方、普代村の15.5mの防潮堤と水門は、機能したようである。
高さだけの問題ではなく、何か、明確な理由があるのかも
知れない。それとも、津波の種類や地形の影響もあり、防御
できるかどうかは、来てみないとわからないのだろうか?
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