おはようございます。東京は七日連続の雨です。ただ接近する台風の影響か、少し蒸し暑くなってきました。
この梅雨空で、朝の気分を盛り上げるべく(笑)、果物がよく登場するようになった我が家。冷蔵庫には、緑グレープ、さくらんぼ、キウイ、白桃がスタンバイ。到来物の宮崎マンゴーも順番待ちしています(笑)。
そろそろ終わりを迎えるさくらんぼ…私の大好きな果物です。
食べ易く、ボウルやカップに盛りますが、ふと思い立って、手にいれたばかりのWECK・Mold shapeに分けてみました。
可愛い♪ けれど摘みにくい(笑)。この容器はスプーンを差し入れるのが似合うと思いました(笑)。
「用の美」という言葉を思い出す瞬間でした。
さくらんぼ…私がちびの頃、毎年、初物は父の土産でした(微笑)。小さな籠に包装紙、紐かけにされた、さくらんぼのお土産。伸び上がって受け取る自分の手の影…赤い、軽い籠(笑)。
ご飯の後でね、との母の声が聞こえる夕方…さくらんぼを食べる度に思い出します。
その位、ちびの私の宝物だった初物のさくらんぼ(笑)。ある日、貧しさの象徴として書かれた書物に、愕然とするのです。
ポーランド人のマリー・スクロドフスカは、ソルボンヌ進学のためにパリに留学します。屋根裏部屋に石炭の火の気がつきたマリーは、薄い毛布の上に椅子を載せて、その重みで密着させて暖をとろうとします。それでも酷い熱を出したマリーは起き上がれなくなります。熱心な勉強家なのに授業に来ないマリーを不振に思った義兄が、様子を見に来て、痩せてしまったマリーに尋ねます。何を食べているの?と。
晩はさくらんぼを、昼は食べていない、朝はさくらんぼを、とマリーが答えます。貧し過ぎるっと、マリーを家に連れ帰り、奨学金を受け取れるように手配してくれるキッカケが、さくらんぼだったのです。
パリでは、さくらんぼは貧しさの象徴なのか? これは私の長い間の疑問でした。
ヨーロッパに滞在するようになり、果物は計り売りで少量から買えることを知ります。
マリーの時代には惣菜屋(デリカテッセン)があるわけでなく、きちんとした外食以外は、自分で賄うしかなかったことにも気付きます。
煮炊きするより、本を読んでいたいといったマリーなら、屋根裏部屋以外の場所で、調理する時間すら惜しかったのではなかろうか? 剥く必要もないさくらんぼなら、火の気のない部屋で摘んでも、侘しくならない食べ物だったのではなかろうか…(微笑)。
実際、夜遅くまでコンを詰めて没頭していると、渇いたパンだけでは喉を通らないことを、私は経験しました(苦笑)。冷えて固まったおむすびは、侘しい物であるのと一緒です。
さくらんぼが貧しさの象徴では無く、それしか選ばないマリーの環境を変えなくてはならない…そう判断されるべき逸話だったのだと思います。
偉人伝には、こんな風に誤解を生む表現が、実は沢山あるのでした(笑)。(このマリーが、後にキュリー夫人と呼ばれます。)
さくらんぼ…この魅力的な果実には、沢山の想いが、国を越えて寄せられていることを、しみじみ想いかえした朝でした。
追記:さくらんぼの原産地は、イラン北部からヨーロッパ西部にかけての野生種、あるいはトルコ近辺と古書にあります。英仏独で栽培と改良が行われ、ダーク・チェリーに引き継がれていきます。
それがアメリカ大陸に運ばれて、栽培が続けられた品種が、日本でよぶところのアメリカン・チェリーです。
日本には明治に渡来し、交配による品種改良が重ねられて、写真にあるような佐藤錦が昭和初期に固定されているとのこと。
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