我が家の胡蝶蘭、今年も一輪が花開いたっと気づいて(4/22)から、3週間。
一房の花が八輪、まだ蕾をつけていて、胡蝶蘭らしく見えてきました(ニッコリ)。
もう一房にも、茎が延びながら蕾が増えて、やがて開くことでしょう。
胡蝶蘭は一斉に咲くのではなく、茎が延びながら、小さな蕾が大きくなっては開いていく。その時間を知ると、 咲き揃った胡蝶蘭をお祝いに贈る意味が、わかりました。
喜びはある日にいきなり来るのではなく、時間と手をかけて育つものだって。
花がない時期の、ただの葉っぱだけのそっけない時期にも、光と温度と水と肥料が要ることを。
人は咲いた花には優しいけれど、その前座は忘れがちだということも。
枯らさぬように水やりすることと、花が揃って咲くように育てることは、やはり違う。
人も同じ。花咲くように願って、自由に歩き考えるよう願って、育てていかねばならぬのだと。
胡蝶蘭も植物なので、光のある上方に茎を伸ばします。ですが、上方にのびるままにしておくと、蕾は育つ重さに負けて、花びらが開くまで保つのは少数です。
添え木をあてて、垂れるように強制して、こうして連なって開くのです。
茎の途中から、分岐する枝芽があれば、出荷には美しくないから、欠くこともいるでしょう。我が家の左の枝に、今年は脇芽がでています(笑)。家のものなので、欠かずに、添え木に工夫して、考えてやろうと思います。
人がたわめたり、払ったりすることは、植物が人と暮らす折りに、必要なことだけど、植物を守り応援することでもある。里山は、天然とは違う意味で、自然であるのと同じです。
人の躾も同じ要素を含んでいるようにも思います。
植物をみていると、素直に学ぶことができる。同じ春があったはずなのに、その時にはきづかなかった(苦笑)。気づきには、その瞬間があるのかもしれません。
誰が見なくても花開く。この道は遠いです(笑)。
二つの食の選手権に参加しています。一日一回、クリック応援していただくと、更新の励みになります。ありがとうございます。
グルメブログ 今日食べたものへ">