過労死予備群の「食から笑顔になる生活」

夜討ち朝駆けで仕事する日々。忙しくとも自分なりの手間をかけて、美味しく笑顔になる生活を志します。

牛舌と玉葱のクミン風味ホットサラダ:カレーを重ねるアジア

2016-05-28 19:30:00 | 美味しい食
カレーの主スパイスの一つであるクミン。ふわっと南の異国にとぶ力をさずけるもの(ニッコリ)。
アジアを旅すると、立体になったかのようなカレーを思い出す香りに包まれます。そんな気持ちを抱えて、調えました。



■牛舌と玉葱のクミン風味ホットサラダ

雨季のアジア。雨続きの肌寒い時期。汁だくで暖まる野菜料理は嬉しかろう…。輪切りにして、しゃくっと感を残して、クミンの香りいっぱいに煮た玉葱に、プチンッとしたホール・コーン、ざくっとした薄切り牛舌をあわせました。サラダのように、食感と香りを楽しむ、暖かい料理です。

[材料]2~3人分
生姜 皮つき薄切り3枚
玉葱2個 →皮を剥いて、1cm厚の輪切りにする
ホール・コーン缶 中サイズ (ドライ・バック)
サラダ用薄切り牛舌 拳大ほど
野菜ストック: 玉葱の高さの1/3分ほど
△GABANクミン 3ふり
△カイエンヌペパー 2ふり
△岩塩 二本指で一つまみ
引き立て黒胡椒

[作る]
1)厚手の鍋(我が家はストウブ)に、生姜、玉葱をいれ、その高さの1/3分ほどに野菜ストックをはる。
2)強火で温め、あくをひく。
3)あくをひききったら、火を弱め、△を加え、蓋をしてことこと10分煮る。
4)蓋をとり、玉葱がくったりみえたら、ホールコーンを加え、温める。
5)玉葱とコーンだけを盛り付けて、牛舌をトップし、熱いスープをまわしかける。お好みで黒胡椒をひきかける。
★写真ではパクチーの葉をトップ(笑)。




今月のモニター・スパイスたち。クミンを使いました。



アジアの街角のように。異なる傾向のカレーの香りを重ねた夜食にしました(ニッコリ)。
○パクチー香るカシミール・カレー・ヌードル
○牛舌と玉葱のクミン風味ホット・サラダ →作る★
○人参、胡瓜のピクルス
○炭酸水

パクチーをたっぷりトップしたのは、銀座デリー監修カシミールカレー・ヌードルです。7&iホールディングス、明星のカップヌードルです(笑)。
ひと手間の緑を盛り付けて、ホーカーズ(屋台)の一品を装う…。これも又、混沌としたアジアの街角(微笑)。

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moralという言葉の重さ、道の遠さに胸打たれる

2016-05-28 08:42:50 | 曇り空に旗をたてる
★注意:料理や食を楽しむ話ではありません★


2016年5月27日は、私にとって大きな一歩に気づかされた日になった。一人の人間によって発せられた言葉と願いが、いつか歴史を変える力になって欲しいと、切に願う。

現職のオバマ大統領が最初の原爆投下地で、「被爆者」に献花し、何を語るか。アメリカの大統領であるからには、regretではなく、futureを語らねばならないが、それを核廃絶とつなげて、どう話すだろうか。

オバマ大統領が2009年にプラハで行った、核廃絶にふれた演説と対になる、平和を希求する最後の演説になるだろうと、私は待った。

日本のメディアが切り取る、都合のよい単語の羅列ではなく、公式にホワイトハウスがながす、献花式全体の映像を再生して聞いた。これには安倍総理のスピーチの英訳が含まれている。
それを聞いてから、ニューヨークタイムズによって記録、書き起こされたテキスト全文を改めて読んだ。

聞くだけで解る、平明な言葉を選び、曖昧さに逃げることなく語った彼は、意思の人だった。

以下は私の覚書を含む。

※※※※

あの日にここで何が失われたか、彼は語り始める。日本人、韓国人、アメリカ人が亡くなっていることを悼む。
だが、悲惨な死は広島だけではなく、人類の始まりから続いていると転じる。世界大戦は世界中に、その悲惨な記録を残している、ことも。
豊かで進歩的な国々の間で、戦争は生じ、いまなお高い理念を語る宗教が、殺人の許可を与えている。
科学技術の進歩が効果的な殺人機械を作り出している。近代戦争はそれを教えている…広島はその証だ、と彼はいう。核の拡散膨張を導く科学の革新は、同じように、道義的な革新(moral revolution)を必要とする、とオバマ大統領はいう。

この時点で彼は日本におきたことに対して、「核」という言葉を使わない。
ここにきて、広島で、爆弾が落ちた瞬間を想像し、沈黙の叫びを聞く、と語る。今までも、そしてこれからも、無垢の民が殺されたことを、私達は覚えていて思い出す、と続ける。
誰が行為者であるかに係わらず、命に対する冒涜があったことを、彼は認めている。

いつか、被爆者の声を聞けなくなっても、1945年8月6日の朝の記憶は、決して消えることはない。この記憶が、私達の道義的な創造力(moral imagination)を満たし、私達が変わることを後押しすると、彼はいう。

ここで、彼の話は戦後社会に転じる。恐怖の日々を乗り越えて、希望を与える選択をしてきた、と。
日米は同盟であるとともに、友愛を育んだ。ヨーロッパは戦場を、経済的な結合と民主主義て塗り替えてきた。
未だに、テロや破壊の狂気に負けないための行動に、終わりはない。
人が悪魔がやるようなことをする能力を封じることはできないかもしれない。それは、国家間同盟は、自分達を守らなければならないからだ。しかし、我がアメリカを含む核保有国は、恐怖の論理(the logic iof fear)から解放される勇気を持たなくてはならない、と彼は話す。

ここで初めて、彼は「核」という言葉をつかう。
恐怖の論理とは、久しぶりにきいた…。米ソ冷戦の頃、核兵器をもち、相手に攻撃される前に、核兵器をつかうことで生き延びる、という脅し文句があった。日米同盟は核の傘にはいり、日本が生き延びる方法だと新聞に書かれた時代があった。
その愚かしさを積み重ねて、地球上には人類を何十回と殺し尽くせるだけの核兵器があり、はじめて、核をもっていても、全滅という終わりの日は来てしまうことに、人は気づいた。そして核不拡散条約がはじまる。
本当は、使えば終わり、なのだから、一斉に処分すればいいのに。世界はできないでいる。
相手が隠し持っていると思うから。持ってるぜって脅せば、相手が一歩ひいて、優位にたてると、知っているから。人間の自己偏愛と他者不信の証が核兵器だと、私は思う。

彼は、自分の生きてる間に、人類は恐怖の論理から逃れられないかもしれない、という。それが出来ないかもしれないけれど、未来へ続け、核不拡散につなげなくてはならないと、いう。

それでも、未だ十分ではなく、人類としての一人一人だという意識、関係性を作り出していかなくてはならない。これができたら、人間は特別な種となる。過去の過ちを繰り返す遺伝子から、解き放される。私達は、学び、選び、子供たちに違う未来を語ることができる。お互いを尊重する意識(人間性)を共有し、戦争をすることをよしとしない、狂気に容易に負けてしまわない未来を。

(そうなって欲しいと、私は願った。どうしたら、今の時代を切り離せるだろうか…。)

オバマ大統領は続ける。
被爆者に、それらを可能とする物語を教わると。
原爆を落とすための飛行機を操縦していたパイロットを、許した女性。自分が憎んでいるのは戦争そのものだからと、気づいたから。
ここで殺されたアメリカ人の家族を探してくれた男性。自分達が失ったものと、アメリカ人の家族が失ったものは、同じ、同じ大事なものだったと、信じていたから。

(そうだ、命令された人間を人殺しと憎めない。殺させたのは戦争だ。人の命と価値に、国境はない。だけど、苦しんだ人間が、こう思うまでの道程は、どんなに遠いことだろう。そして、踏みつけた側は、それにきづくだろうか…。)

そこで彼はアメリカの建国の思いを語る。人は平等に作られ、生命、自由、幸福を求める侵されない権利を、与えられた、と。国内でも難しいこともあれど、世界中にひろげていき、全ての人、全ての命は価値ある大切な存在であり、ひとつの人間家族の一部であると、語り続けなくてはならない、と。

(これは少し違うと、私は感じる。一つの家族でなくても、違う家族が尊重しあう村であっていいのじゃないか…。)

これが、広島にくる理由。私達が愛する人と同じと考えるから。朝、子供たちから向けられる笑顔。台所のテーブルで交わされる優しい会話。両親の抱擁。71年前のここにも、同じ素晴らしい瞬間があったことを思い、考えることができる。

(抱擁はなくて、正座して挨拶だったかな。笑顔は無理かな、あの時代の日本に(笑)。でも、言いたいことは伝わる。表現の形は違っても、その時代なりの幸せ、子供がよかれと願ったはず。)

亡くなった人は、私達と同じ。普通の人なら、そう解ると、私は思う。戦争を望んでなんかいない。人を脅かすのではなくて、生活をよくするために、科学は使われて欲しいと思っている。国家やリーダーが選択するときには、このシンプルな希望を叶えてほしい。これが広島から学んだことだ。

(ああ、初めて一人称をつかう。願いを言葉にしようとしていて。アメリカ大統領よりも、バラク・オバマはこう願っている、普通の人なんだ。)

広島で、世界は永遠に変わってしまった。だけど今日、この街の子供たちは平和に毎日をおくっている。なんて素敵なことか! これを守り、全ての子供たちに広げよう。
これが私達の選ぶことができる未来。そして、核戦争の夜明けの場所としてではなく、私達の道義的な目覚め(moral awakening)の始まりの地として、広島と長崎がある未来である。

※※※※※

このあと、安倍総理が語る。71年前を乗り越えて、今日がある。日本とアメリカの友好と同盟が、子供たちの未来を守る。。。

※※※※※

最初に思ったのは、優しい気持ちがあるスピーチだと。「被爆者」という言葉を、彼は二度、敬意をこめて使っている。あの日から、「被爆者」として生きねばならなくなった人を、静かに慮り、労う気持ちがある。自国の総理大臣が振り返りもしない、差別を感じさせてきた日本語を、意味あるものにした。
人の名前を呼ぶことは、その存在を認めること。きっと広島のあの日を知る方たちは気づいたと思う。


次に思ったのは、平和を目指す道程の難しさだった。オバマ大統領は三度、「moral」をつかった。核兵器をもつ恐怖の論理をのり越え、平和を求めるための力は、戦争その物を憎み、お互いを同じ価値あるものとして尊重し、受けいれ、許しあうこと。そのmoral は、戦禍に倒れる人と時代を想像し体験し、過去を切り離すような革新的な変革をとげて、立ち上げなくてはならない。いまだ、夜明けより暗い、目覚めの時期でしか世界は居ないのだ、と気づかされる。

これが世界有数の武器、核兵器をもち、経済と人権を誇った国の大統領を二期つとめて、彼が至った答、伝えたい願だった…。
何万人殺しても、世界は平和にならないって、どうしたら、アメリカの普通の人は知るんだろう?
そして今、壁を作り、危険な奴を排除しろ、と声高に叫ぶ人間がまた現れている。ここから又、戻っていってしまうのか?

そして、日本でも。一発殴らせたら、握手してもいいよ、一歩ひいたら頭をふんづけて、友達になってやるよ…そういう振る舞いに恐怖を覚えさせて、戦争への道を開こうとする動きがみえる。
なぜ、今日であった、二つの国民が、平等に新しい始まりを迎えて、笑えないのだろうか。お互いが、自分と同じ価値を認める、という単純なことが、できない、教育の根底はなんだろうか。

さらに思う。moralとは、長く宗教によるものだった。信教を尋ねることは、その人間のモラル・ハザードを知ることだった。何が善悪であるかを教わっているかをしれば、社会のなかでお互いに生きていけるからだ。
オバマ大統領がいうモラルは、これではないのだ。新しい意味を持たせることを、彼は提案したのだ。生命を守るモラルのある未来を。


一人一人の心の中に、平和の砦を築かなくてはならない、と私は思う。自分と同じ人間で、私達は今日から未来へ共に歩くのだと覚悟して。
お互いが、そう思える日には、あと、何が要るんだろうか…。
相手より得したい、自分が正しい、相手を奴隷にしたい、どうしたら、その根をきれるのか。
難しい、とても難しい。

誰にも殺されたくない。権利や尊厳を侵されたくない。誰も殺したくない。幸せでいたい。今日あった笑顔は、明日もありますように。未来は、もっと良くなる、そう信じて、この世界を次の世代に引き継ぎたい。
そのために、ちょっとは我慢する。皆で同じように譲り合おう。

皆が願って欲しい。そう信じたい。


2016*528 過労死予備群 謹書。
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