トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

彼岸は悲願それとも悲観

2009-03-17 | 感じるままの回り道

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 今日から彼岸だ。ようやく歩くのに苦労しなくなったが注意は必要だ。県内の南部に開花宣言が今日出た。

 ソメイヨシノではないが写真の木はもう散りかけている。小生の生活圏の中では早い個体だ。フイールドにある豆桜も一本だけ満開になっていた。他のものはまだ蕾も固い。

 スミレも見る間に花を沢山上げてきたが、花が多くなると蝶々も目に付く。今日は3種類が撮影できた。標準レンズだから接近するのに苦労する。

 深夜、耳に突っ込んであるイヤホンから「時は無慈悲に」なんてのが意識に入り目が覚めた。「深夜便」のテーマだそうだが深夜に聞くと暗い歌だ。昼間ではそうでもなかったが。

 実際は無慈悲も慈悲も抱合しているのであろう。「人生万事塞翁が馬」とか「禍福はあざなえる縄の如し」とか。骨折してみて両方感じているのが実感だ。

『松葉掻く秋香ただようその日まで尽きぬ手仕事尽きるか定め』

『建前は山に運べど我が魂は岸辺はなれて泥田にもがく』

『喉渇き海水を飲む我ならば舟漕ぎ出すも彼岸に立てず』

『記念樹を見やり声かけ山に入る今日も一日難事無きよう』