郷里の次兄がフキノトウを送ってくれた。まだ雪が残る山野で採集した紛れもない魚沼産の山菜である。
今までは酢味噌で食し、保存用にフキ味噌仕立てで処理していたのだが、美味しいのに箸を出せない。無くなるのが惜しいのとフキ味噌を御飯の友にすると副食を用意しなくなる傾向があるからだ。年齢を考慮すれば「タンパク質」は不足しないように思っていても「ご飯の友」が入ると排他的になってしまうのである。それこそ「不帰の塔」を早めかねない。
ここを少しは改善したくて、今回は「フキの佃煮」として調理してみた。レシピなどは無い、作りながら味を見ながら仕上げながらの仙人的調理法だ。
レンジで加熱し、しんなりさせてから微塵に刻み、あらかじめ醤油、砂糖、粉末調味料、オリーブオイル少々を鍋に入れ加熱しておいた中に投入した。お酒かみりんが欲しかったのだがあいにく一滴も無く、それでも美味しいのは分かっているから求めない。
焦げないように弱火でかき混ぜつつ水分を飛ばす。何度か味見をしつつ砂糖と醤油を加え、かき混ぜる箸が重たく感じるようになった頃に火を止めた。試食は夕食で、玄米吸水凍結炊飯で炊いた玄米ご飯に添えて食べたのだが、やっぱり美味しく排他的になる。こればかりは「止められない止まらない」で、フキ味噌でなくても同じだった。
見た目は「フキ味噌」風だけれど、味噌が入っていない分だけフキの含有量が高い。これだけでワクワクしてしまうが、なんたってフキノトウは郷里で春のご馳走だったから無理もないのだ。まあ、冬眠明けの熊と同じなんだろう…。
さて、連休が明けた頃には三つ葉アケビの新芽が届くかもしれない。今度はこの「木の芽」で佃煮を作ろうと思う。
小生、郷里を出るまでは「木の芽」は「三つ葉アケビの新芽」と思っていた。社会人になり「木の芽」と言うと出身地で「山椒の新芽」だったり「タラの芽」だったりと違いがあるのが分かって風土の違いを知り大人になったのである。
笊に一杯 ➡
レンジでしんなり ➡
小皿一皿で…
今までは酢味噌で食し、保存用にフキ味噌仕立てで処理していたのだが、美味しいのに箸を出せない。無くなるのが惜しいのとフキ味噌を御飯の友にすると副食を用意しなくなる傾向があるからだ。年齢を考慮すれば「タンパク質」は不足しないように思っていても「ご飯の友」が入ると排他的になってしまうのである。それこそ「不帰の塔」を早めかねない。
ここを少しは改善したくて、今回は「フキの佃煮」として調理してみた。レシピなどは無い、作りながら味を見ながら仕上げながらの仙人的調理法だ。
レンジで加熱し、しんなりさせてから微塵に刻み、あらかじめ醤油、砂糖、粉末調味料、オリーブオイル少々を鍋に入れ加熱しておいた中に投入した。お酒かみりんが欲しかったのだがあいにく一滴も無く、それでも美味しいのは分かっているから求めない。
焦げないように弱火でかき混ぜつつ水分を飛ばす。何度か味見をしつつ砂糖と醤油を加え、かき混ぜる箸が重たく感じるようになった頃に火を止めた。試食は夕食で、玄米吸水凍結炊飯で炊いた玄米ご飯に添えて食べたのだが、やっぱり美味しく排他的になる。こればかりは「止められない止まらない」で、フキ味噌でなくても同じだった。
見た目は「フキ味噌」風だけれど、味噌が入っていない分だけフキの含有量が高い。これだけでワクワクしてしまうが、なんたってフキノトウは郷里で春のご馳走だったから無理もないのだ。まあ、冬眠明けの熊と同じなんだろう…。
さて、連休が明けた頃には三つ葉アケビの新芽が届くかもしれない。今度はこの「木の芽」で佃煮を作ろうと思う。
小生、郷里を出るまでは「木の芽」は「三つ葉アケビの新芽」と思っていた。社会人になり「木の芽」と言うと出身地で「山椒の新芽」だったり「タラの芽」だったりと違いがあるのが分かって風土の違いを知り大人になったのである。
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