トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

頓これ等を盛りたい…

2018-11-21 | 小人閑居して憮然
 存在している限り永遠に続く状態、どちらかが失われなければ解決しない問題でもある。もともとは猪豚を放獣した結果なので明白な人的起因である訳で因果応報でも心証必罰で、小生的には「頓これ等」をパラパラすれば全件落着の費用格安、極めて易しい課題に思えてきた。
 先日、県の環境担当者を案内した折りに冗談半分でその話をしたのだが、当然たしなめられた。当たり前で、これ等は頓な考えなのだ。しかしながら小生的には「とんでもない」と思いたいが双方に「とんでもない」が成立するのでは永遠に続く因果であるか。

 さて現在、掘り崩しの被害が大きい個所は棚田周辺で、畦と堤が毎晩の様に掘り崩されている。物理的耐性を向上させたいけれど盛るべき用土を調達できない。泥浚いで出た泥土を転用するか構造変更で掘り取った土を盛るしか手段がない。
 結局は崩された部分を掻き集めて手当てする。どう考えても石と土の相違はあっても賽の河原の石積みそのままなのだ。

 あっちはわらし、こっちは二度わらしであるから、まあ、遜色はないだろう。逆鱗に更に触れるような事をするのが田圃の水位を上げるためにオーバーフロー部の保護に使っている肥料袋を剥ぎ取ってしまう事で、これも被せても被せても翌朝には除かれている。意地悪をあえて行い人物観察か、と思いたくなる百鬼夜行のまかり通りぶりだ。プンプン!

 生真面目に締めくくると、最近「ふゆ水田圃」と呼ばれる「冬季湛水水田」は分かりやすく言いやすい。環境保護活動の中から発生した呼称だと理解しているが機械化に頼らざるを得ない農業経営は乾田化を推し進めるだけだろうから、効率化と環境保護の調和する解はあるのだろうか…。
 結局はいつも通りの脱線脱毛ぶりとなるけれど、先日、悩みの環境NPO事務局と意見交換した折りに「里山保全や環境保護への参加者は減る一方で、呼びかけても参加者は集まらず活動そのものが消えていくのは全国的傾向」と話していた。
 まあ、「貧者の一頭」でやるしかないのぉ…。

   畦や法面は植生も育たない     被せても被せてもオーバーフロー壊されるジッと足跡を見る