トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

替え歌で歌って欲しい

2022-10-27 | 感じるままの回り道
 歳が増せば妄想も増える。自発的妄想は「回想療法」と思って行うのだがまあ、独断専行の何物でもないものの我が身体髪膚から流出しない限りは何の問題も無い。
 深夜、台風15号の雨風の音を聞いていて口に出た歌がある。歌い出しで直ぐに替え歌になってしまった。この時の一曲は小生が最初に購入したLP盤に入っていたと思えるがもう一曲はどうだったか思い出せない。この小生初LPは高校卒業時に同じワンダーフォーゲル部の後輩に譲ったのだがもう苗字さえ思い出せなくなった。

 替え歌で歌う事を想いつき語句の入れ替えをしてみたらそっくりそのままピッタシカンカンなのだ。このように替え歌にしてみた歌詞をネットに乗せるのはご法度かとも思って遠慮したが、ここは是非とも歌手ご本人に1回でも良いから歌うのを冥途の土産に聴きたいものである。木久扇症候群真っただ中の小生ではあるけれど、きっとおでこではなく両手を叩けるだろう。

 その一つは「さとうきび畑」、言わずと知れた森山良子の大ヒット曲である。「広いさとうきび畑」を「広い広い麦畑」とし「むかし海の向こうから」を「またも西のむこうから」などと置き換えたらそれは戦場ウクライナの現状進行形の歌になってしまった。

 もう一つは「この広い野原いっぱい」でこれも森山良子のヒット曲でデビュー曲だったか。「野原」を「耕地」に変えるなどしてみたら恋愛の歌では無くて戦禍の歌になってしまった。どちらも暗くなった替え歌ではあるものの歌手本人が歌ってくれればそれはそれで「反戦歌」になってくれそうである。まあ、そんな事は万にひとつもない事くらいは承知で、そこんところは回路が繋がっている・・・。あーあ、妄想という物は限りなしでだからこそ妄想と言うのね・・・。そんな台詞「日吉ミミ」だったかが歌っていたなあ。

 回想療法も突き詰めると深夜に眠れなくなる。それでなくとも高齢者は眠りが浅い。その上、小用にチョコマカ起きなければならん。オムツにしようか尿瓶にしようか考えたくもない作務が出て来る。まあ、人生生涯修行なのである!。

インセクトキッチンへノアザミの定植

2022-10-27 | 蝶の食草園
 晩春に採種し苗を育てポット養成していたノアザミが定植時期を迎えていたものの時期を逸して10月も下旬になった。このまま自宅で抱えても冬季の水やりなどの手間だけが必要なので思い切って定植に行った。午後から降雨の予報に腰を上げる格好である。
 懸念は何に寄らず定植すると数日のうちに威之志士様の跋扈蹂躙に遭うのがお約束みたいなのだが木炭粉に竹酢液を吸わせた忌避剤も切れていて少々心配の定植なのであった。

 「欲をかくと失敗する」のセオリー通り、フジバカマの一画にクサイチゴが侵入してきたのだが「実を食べよう!」と繁殖を許したバッカリに最初にフジバカマの開花群となった一画を衰退させてしまったのだ。今期は哀れにも空き地みたいにしてしまった。
 クサイチゴがフジバカマを衰退させたと言う事実関係を明らかに出来ないもののオオバコやイタドリ、ドクダミなど群落形成に長けた植物にはよくある事でイタドリが忌避物質を出す事は知られた事実である。クサイチゴも野生状態を観察すれば群落形成していく種であるのは明白なので恐らくフジバカマは駆逐されたと考えてもおかしくは無い。
 ➡       こっちは肩への定植

 そういう事だから今期のフジバカマの採種で来季の苗を補植するのは危険と考えてノアザミを入れてみたのだ。残った苗8ポットは東側の肩の部分にまとめて定植してみた。一株でも二株でも定着してくれればありがたい。ついでに開花も済み茎が枯れたままのノアザミの群植部を綺麗にした。「枯れた花茎を除けばロゼッタ状の株に日当たりが増える」とS先生から言われていたし片付けてすっきりした。