草もみじツマグロヒョウモン独り占め
ふじばかまアサギマダラは日に三度
ノササゲに脚を引かれる糸の蔓
ミズヒキと紅葉を競うヤマアカネ
ひょうたん池の保水力がシェルターを掘り下げてから弱くなってしまい、水位の低下が早くなってしまった。
地盤は硬い粘土質で、雨水頼みの池だから泥土の生産が悪く、結果的に水漏れを防止する微粒子が出来ないのも一因である。
そこで集水路の一角に出来た湿潤な泥土の部分と池を幅広くつなげ、泥土の流入を促し、合わせて湿潤な部分の水分をも頂こうと、パイプでの導水を止めて通路を分断する溝切りを施した。
ゆくゆくは、写真手前の湿潤な部分にまで池を広げる心算なのだが、今の所は通路に溝を切っただけなので、飛び越えるのが嫌ならば池を迂回して通ってくれるだろう。少しづつ拡幅して梅雨の頃には拡幅終了に持ち込む算段である。突然、池を迂回させられるルートになっては目くじらが立とうというものだ。池に鯨はいないのだけれど…。
帰宅する前に様子だけ見ようと立ち寄ったトンボ池の水位がない。本来の流路に取水堰付近から漏水していたのは承知だったから、取水堰下部を見るとやっぱりだった。漏水量が多くなっている。
取水菅の周囲から漏水して、埋設する時の鎮圧不足が遠因なのだけれど、硬い粘土質の土層は踏み固めた程度では密着しない、という事に尽きる。
とりあえず、素手で土を押し込んで漏水を止めたが、一度掘り下げてやり直ししなければいけないだろう。導水路に濁り水が流れ出したら、早速メダカの群れが遡上してきた。姿は見えなくても波紋で群れて来たのが判る。
それにしても池の減水が半端でないから一回りしたら、やっぱり池にも漏水孔があった。ドリンク剤の小瓶がスッポリと入る直径だ。チョロ水しか流入しない現在、これでは水位を保てるわけがない。道具の持ち合わせがないから、長靴のかかとで周囲から押し潰して応急手当をする。何のことは無い、危機一穴でなく二穴だったのだ。
明日から雨、これで水位は回復するだろうが、葦の根茎による漏水は始末に困る現象だ。横に走る地下茎が腐食すると漏水トンネルが出来てしまう。
国上げて小春日和も我が脚に同級会は遠き白浜
中学校の同級会が開催された。84名の同級生のうち36人が集まったそうな…。小生は名所めぐりの集団行動が厳しいし、秋のイベントと重なった事もあり断念した。郷里の稲刈りが済んでから開催される事が多いので、何回かイベントと重なり不義理が続いている。
クラス会ほのかな期待湯の泡に飲むほどに帰すあの頃の顔
うたかたと思えどあの日あの頃は何故か浮き出て渦かきまわす
らちもなき場面の記憶忘れえぬ鼓動乱れてひつじ雲見る
セピア色写真を見れば新婚の井口先生紅も鮮やか
入り込めなかった藪を払った跡は、休息場所にしたいような一角になったが、藪だった頃の名残りの山芋の穴が随所にあって危険な場所でもあった。当初は、孟宗竹の寸切りを詰め込んで埋めていたのだが、それも朽ちてしまい補修の必要が出てきた。
この頃は、子連れのママさん達が出没するから、思い切って土で埋め戻す事にしたのだが、土を掘るのは楽ではない。穴の大きさも大人がスッポリ埋められる程のものから下半身がズボンと入り込んでしまうようなものまで様々で、埋設土の量も半端ではなかった。
とりあえず平坦な部分だけは埋め戻しが終わって、見た目も安全に見えるが、周囲の斜面には隠れた穴が多数残っている。もう1日か2日かけて埋め戻さねばならないが、尻の始末のなんと多い事か。「私利の始末」と言った方が正しいのかも・・・。「保全活動」と思わなければ「やってらんない!」。
ジョロウグモの巣に、時折はオス蜘蛛の姿を見る。大きさが大きく異なるから気付く人は稀だろう。この巣の女王様は体長30mm超で結構大きかったが、網の外側にいたオスは6~8mm程度である。比較すれば、女王様の腹部を除いた頭部と胸程度の体長なのだ。
オスがメスに接近していくところは見たことがあるが、首尾も結末も見たことは一度も無い。交尾の後は食われてしまうのか見たい気もするが、辛抱強く待つなんて事は出来そうもない。
それに引き換え、報酬でなく歳費で喰い戯れている輩を対極に出すまでも無く、オス達の命を賭した健気な辛抱強さと、こころざしと言うべきか、ことに当たっての覚悟には脱毛、いえ脱帽である。小父さん的には「脱毛」と言いたいのだが、事象が発生する条件を欠く、野田。
「ヒヨドリバナではないか?」と思っていた花が綿毛をつけた種子を溢れさせてきたから、図鑑で確認して採種した。折りよく、野鳥の会のS氏が夫人と愛犬を連れて散歩に来たので確認できた。夫人は植物学に知識があるのだ。
ヒヨドリバナなど目立つ花姿でもないから振り向きもされない植物なのだが、小生の好きなアサギマダラが好んで吸蜜する花である。自宅のフジバカマにアサギマダラが立ち寄ってくれたから、庭にヒヨドリバナの群落を目論んだのだ。フジバカマもヒヨドリバナも親戚同士だ。
皮手袋を外し種子を採っていたら、足元の手袋にナツアカネ?が止まってくれた。何もわざわざ落ち着かない場所で翅を休める事もないだろうにと思うけれど、公共の場所であれば文句も言えない。しかし、アカトンボの「茜色」と言うけど、この色は本当に鮮やかで飽きない色彩だ。
それに引き換え、ヒヨドリバナは花とは思えない地味な色彩で、種子は綿ホコリのようで精彩を欠く。そんな花でもアサギマダラが好んで集まる。「蓼食う虫も好き好き」である。
いつもの場所で解体しているのに出くわした。体重は60キロ程度だそうだ。周辺を傍若無人に荒らしまわっている一匹も、こうなると哀れではある。とは言え、棚田の畦や堤は掘り返されて決壊寸前になってしまったし、年明けに植樹した棚田跡も掘り返されて悲惨な光景になってしまった。目の前の風景を「悲惨」と思うほど寛容な小生ではない。
一方では「教育上悪いから、こんなところで解体しないでください」と、ヒステリックに詰め寄る輩も多いのだそうな。「しめた!」とばかりに、もっと前向きな体験教育をして欲しいと思うのは小生だけか…。
どういう理由か不明だが、今期は谷合いの棚田を含めて水稲の被害がなかった。出没していなかった訳ではないのだが、猪でない小生には、その理由を知る由もないのだ。今年の山は、ドングリの実りが悪くて、探すのに苦労するほどなのにも関わらず、猪の腹は満腹だったということなのだろう。
それはともかく、解体を見ていただけでは、小生の腹は満腹にはならなかった。当たり前か…。山羊を解体した頃は、まず皮を剥いだものだが、ここで行っているのは放血と内臓の除去だけである。始末に困るものをとりあえず処分すると言うことなのだろう。