トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

モリアオガエル産卵

2015-05-18 | 小父のお隣さん
 拠点近くのヒョウタン池にモリアオガエルの卵塊があった。今季見つけた最初の卵塊である。違和感があったのは池の上の枝に産卵していなかった事で、池の上にはムクノキが良い枝振りを伸ばしているのに…である。
 卵塊は水際のキツネノボタンに絡ませてあった。産卵時に体重を支えきれなかったのだろう、何時もは形の良い卵塊も地上部から伸びた感じになっている。小生は見なかったが探鳥に来たS氏によると三日月池で産卵していたという。見物方々近くのキンランの消息も確認しておきたい。

水系でガサガサをしてみる

2015-05-18 | 小父のお隣さん
 上の池の貯水量も増やせたし、泥水池と第一、第二トンボ池もそこそこ安定して残るはカワセミの餌になる生物が増えればと水系のガサガサをして生息魚類の確認をしてみた。小生的にはクチボソやモロコなどの生息を期待したのだが無駄だった。
 主河川となるY川は三面張りで土溜まりや中州はあるが流速もある。我がK沢は毎分バケツ1杯程度の送水しか得られず主河川との交流は不可能だ。主河川のガサガサではアマゴの幼魚2匹、当地でダボハゼというカジカに似た魚1匹の成果なしに等しかった。
 先日、生息調査でホトケドジョウ二匹を捕獲した落ち込みのプールでは7㎝のホトケドジョウ一匹とマドジョウ3匹を捕獲できた。2種のドジョウが同居して混血は避けられているのかどうか少々気になったけれど、ドジョウ達は遡上体でなく流下体なので上の池に戻し、そこでの繁殖を期待する。
 ダボハゼ   ホトケドジョウ   アマゴ

今日のトンボ「初見はトラブル体」

2015-05-17 | 小父のお隣さん
 棚田で代掻き作業と堤の補修をしていた時、足元に今季初見となるオオシオカラトンボの♀がいた。朝に羽化した個体で翅も固まっているのに飛び立たない。手に取ってみると右の後ろ翅がなかった。作業で傷つけたと思ったけれど残りの3枚の翅は健全だった。
 手に取り眺めてみたら翅が伸びなかったようで蝋が固まったようになっている。ヤゴの時代に傷ついたのだろうと思ったけれど真相は不明だ。今季初めてのオオシオカラトンボが羽化トラブル体だったが、棚田にはオオシオカラトンボの飛翔があるのに泥水地では飛翔していないのが不思議である。
  初見の個体      翅のトラブル

雪融け終わったばかり

2015-05-17 | 旅行記
  野暮用で郷里に行った。いろいろな「ついで」があって1泊となったが、もてなしを受けるのも疲れるものだとつくづくと思った。五月の連休前にようやく雪が消えたとかだったが日蔭の斜面下には残雪がある。それらの前面はコゴミやフキ、あるいはニリンソウやスミレと春色の満艦飾だった。少年時代も変わらぬ風景だったのだろうが記憶には全く無い。
 「何時かは登ろう」と思いつつ眺めているままで時が過ぎてきた郷里の象徴、残雪を抱えて鎮座していた。これらの山を仰ぐと「帰省した」実感が襲う。二宮金次郎だったか雪形があるはずなのだが雪融けが進みすぎたのか、あれがぞうなのかとしばし眺めてしまった。

子ドジョウ二匹

2015-05-16 | 小父のお隣さん
 先日の生息調査でホトケドジョウを二匹捕獲した場所からマドジョウ二匹がボッタイに入った。落ち込み部で深いプールになっていて周年涸れる事は無いが出水時に諸に水流を受けてしまう。ここより流下すると涸沢で生息環境は無い。ホトケドジョウが確認されたことで捕獲引き揚げて上流部の上の池に戻したかったのである。遡上環境も無いから流下させれば絶えてしまいかねない。少しでも上の池の生息数を増やしておく事が生物シェルターとしての役割を果たす事になるだろうと思っている。
 ここは深みがあるからぬか瓶で捕獲を試みたい。
 

**春賦

2015-05-16 | 感じるままの回り道
 つばくろに白む前から起こされて暁の頃また寝入るなり
 点描で萌え広げゆく山里の空き家むなしき花の間に間に
 花に霧花霞過ぎ花おぼろ皆既月食雲のまた先
 春棚田斉唱するやシュレーゲル鶯合わせ花は散り散る
 水抜きのパイプ覗けばタゴガエル鎮座おわして視線合わせり

出し入れで±ゼロ

2015-05-15 | 水辺環境の保全
 トンボ池の一部と沈泥池の一部の泥浚いをする。浅くなったためもあるがいくつかの水深を用意するためでもある。トンボ池の泥浚いではマドジョウが10匹程度泥の中から現れた。5㎝程度から13㎝程度まで様々な体長だったから繁殖は間違いないと言える。引き上げた泥は水際で乾燥させ堤を高くする心算だったけれど、引率されてきた幼児のグループの泥遊びの舞台になってしまった。この結果積み上げた泥は低く広がってしまったが、隠れていたドジョウが顕わになり池に戻す事が出来たから一喜一憂で差し引きゼロ。
 沈泥池もカサスゲの茂った部分を中心に掘り下げて、掘り取った土は泥水地の堤のかさ上げに回す。周囲に土を採れる場所がないから必要な土は浚渫で調達するしかない。
   トンボ池踏み潰された       沈泥池
 

巣小屋の制作 1

2015-05-14 | 今日は真面目に
 上の池の湛水面積増加を達成できたから、昨年産卵し食害されてしまったカルガモのために巣小屋を池の中央に設置してみる事にした。土盛りは活動圏にしているM氏が既に行ったので残りは小生の小屋作りにかかってしまった。既に産卵期だし設置しても利用してくれるかどうかも心もとないが、とりあえず部材が有りそうなので作業に入る。
 今日は部材の加工と骨組みまででタイムアウトとなった。もう一日必要だ。
  部材の加工    ➡    骨格の完成

産卵前?

2015-05-14 | 小父のお隣さん
 泥水池の水辺にアカハライモリがいた。周囲の草をかき分け背中を露出させても逃げようとはしない。理由が分からず仔細に見て気が付いたのは「腹部が大きい」と言う事である。病気とも思えないから腹部には卵が入っているのだろうと推定する。
 イモリの産卵形態など知る由もない事で、陸で産むのか水中なのか、そんなことも知らない。ちなみにアカハライモリはうんざりするほど生息しているが、腹部の大きさと陸上での発見は初めての事なのである。

台風で越流痕ばかり…

2015-05-13 | 水辺環境の保全
 深夜だったせいか雨量は気にならなかったのだが水見回りしたら何か所も越流していた。幸いにもすぐに補修を要する被害は無かったものの折を見て対応策を施さねばならない。
 泥水池への分水部で既に越流していたから分水路の拡幅も施す必要があるし、この越流で泥水池内の排水能力がオーバーとなったようだ。
 少しずつかさ上げしてきた通路の部分は、まだ高さが足りないようで沈泥池からの浚渫土で不足を補わねばならない。
 分水堤の越流   最終段の越流   排水路の越流1m
 

唯一の畑仕事!?

2015-05-13 | 何よりの楽しみ
 種生姜の芽が大きくなってきたので植え付けした。昨年までは猪防護柵が無かったので初秋には蹴散らされ種生姜分も回収できずにいたのだが今季は柵がある。これで種生姜重量の5倍は収穫できると皮算用している。たかだか3㎡の広さで小生唯一の畑作である。何時もは植え付けしただけの除草も追肥も行わない捨て作りだが、今回は発酵菌液や糠入り腐葉土堆肥を投入して土作りをした。これで10kgの収穫は間違いなし・・・。かくしてショウガシロップに甘酢漬け云々と妄想は広がる。

小さなタゴガエル

2015-05-13 | 小父のお隣さん
 体長20mm程度のタゴガエルが林道にいた。接写のためカメラを近づけても逃げようとはしない。体色が斑だったのが気になったけれど眼の周りの模様でタゴガエルだろうと判断する。タゴガエルのこのサイズは初めてで、今までは成体ばかりだった。

施設の窓辺

2015-05-12 | 感じるままの回り道
 昨年に製作して古巣に譲った指人形操作台、子ども達の顔の高さに並べてあった。これなら遊びたいときに遊べる。
 「園庭に蟻や毛虫が大発生して困っている」とSOSが小生のところに回ってきて断りきれず始業時間に合わせ訪問した時に撮影した。遊びの様子は尋ねなかったが撤去してないところを見るとそれなりに活用されているのであろう。帰り際に広報紙を渡された。気分転換で制作した鬼面が紹介された記事が入っている。難を言えば「衣装はもう少し何とかならんかったのかい…」。うるさいOBになりたくないから黙っていた。
  展示の一部     節分の鬼面

今日のトンボ「クロスジギンヤンマの産卵」

2015-05-12 | 小父のお隣さん
 上の池を修復し湛水面積を広げてからクロスジギンヤンマは珍しくもなくなって水域全体で飛翔をみる。縄張り飛行をしているオスが目前を通り過ぎるのは楽しみの一つで、背中の鮮やかな青が美しい。産卵もふんだんに目視できるので珍しくもないのだが、今日は逆光下で撮影してみた。ケータイでも意外と撮れるもんだ。まあ、偶然の産物…。

サンコウチョウ鳴いた

2015-05-11 | 小父のお隣さん
 水見回りして上の池からの帰路、サンコウチョウの鳴き声を聞く。孟宗竹を除伐した混交林の奥からで今季「初聞き」である。徐竹を進め森づくりを開始した当初、活動範囲で鳴き声を聞くことは無かったけれど、数年前から鳴き声を聞ける範囲が広がったように感じている。種類は異なるがオオルリやキビタキの鳴き声も溢れるようになりカメラを携行した探鳥家も当たり前になった。環境が整えば動植物も戻ってくれるのを実感するが「野荒氏」も増加するのも紛れもない現実なのだ。自然は危ういバランスの上に成り立っているのも実感する。