トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

ニホンアカガエル産卵の便り

2022-01-22 | 感じるままの回り道
 我がフイールドより南に位置する県内の生息地。寒中なのに「ニホンアカガエルの産卵が始まった」と言う便りがあった。地理的気候的には大きな違いは無いと思われるから翌日にフイールドの水辺を歩いて見回ったものの卵塊は無し。我がフイールドでの産卵は例年だと2月下旬頃なのである。
 くだんの産卵地は12月末に産卵があったとの話もくっついていたのだが今期だけ早かったのか何時もそうなのかまでは確かめられなかった。

 氷の張った水域を探しながら思った事がある。郷里での3月中頃、雪解けは急速に進み水田部にも雪解け水で増水した田んぼの一部が出現して来る。このころの雪原は日中は表面が溶け夜間は放射冷却で氷結する事を繰り返した結果「凍み渡り」と言って縦横無尽に歩き回ることが出来るようになって来る。それで雪原を移動してネコヤナギの枝を切り取りに行ったりするのだがその折、雪の溶けたプールの中に卵塊が多数認められるようになる。
 今になって考えればニホンアカガエルの卵塊だと想像できるけれど、当時は「カエルの卵」程度の認識で種類までは想像もしなかった。

 トノサマガエルも普通に生息していたがオタマジャクシは田植えの後の頃との事なので見たことがあったのだかどうか判然としない。このほかのカエルはイボガエルとアマガエル、モリアオガエル程度しか記憶がなく、狭いフイールドでシュレーゲルアオガエル、ヌマガエル、ツチガエル、タゴガエル、ヒキガエルとうとう10種にも及ぶカエルがいるなど想像だにしなかった少年期であった。

 トンガからの津波警報のサイレンで、この時期の出来事を思い出した。日中にサイレンが鳴る事があって、既に鳴り方など記憶には無いのだが「川流れ」のサイレンと判るのだ。水田部の向こうに土手が見えて何人かが川下に走っていく時もあった。
 川辺に多いネコヤナギの枝を取りに近寄ったり魚とりで近寄り雪庇が崩れ転落する事が多いのだが、川流れになってしまうと助かる率は極端に少ないのが普通だった。助けに行こうにも雪庇が張り出し降りる場所も無い。雪解け水で増水しているし川舟がある訳でもないのだ。融雪期の川流れのサイレンは火事のサイレンより暗い気持ちになったものである。
 今にして思うと、ネコヤナギを取りに行っていた田んぼの中の小川、これでも落ちてしまえば這い上がる手がかりも無く、運が悪ければ雪原の下の流れに吞まれてしまうのであった。近似の事故は現在も健在で融雪溝に落ちてしまうと大事になるし屋根から落ちても屋根の雪の下に埋もれても生死にかかわる積雪地特有の事態だ。


 長兄、次兄らはもっと悲惨な現場を体験していた。当時は現在より多雪で豪雪地帯の名称そのものの積雪があった。生活道路は人が曳くそり幅でしかなく踏切部は線路から排除された積雪で壁が出来て線路自体が列車が通れる幅だけのU字溝状態になっている。踏切部分は雪に段々を築き上り下りするのが普通だったのだが使い込まれる前に角が無くなり足掛かりの少ない斜面と化してしまうのだ。
 この斜面を登り下りして線路を横切るのだけれど列車が通れば身体を逃がす場所さえない無いので上りきれないと死傷事故間違いない環境だった。両兄はこの現場を見たことがあって、それは機関車からの長い警笛が事故発生のサインだったと言う。轢断されても身元は分からず電話も今のように潤沢にある訳も無いので駅舎に安置された後、翌日以降の捜索願で推定判明していたという。今、考えれば全くの別世界のような気がしてくる。

 ニホンアカガエルの産卵の一報からとんでもない世界に飛んでしまったけれど生きとし生けるものにはその終焉はお約束なのであって、それはまた新たな生の輪廻の始まりなのだろう。水辺のトンボやカエル、それを補植しに来るヘビや小鳥などを眺めていると我が身体を成している分子もその環の中にいる事を想わさせるのだ。「動的平衡」なんて語句も浮かんでくるナンチャラカンチャラ…。