澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

宇野重昭氏の訃報

2017年04月16日 14時18分41秒 | 社会

 最近になって、宇野重昭氏の訃報を知る。

 宇野重昭(1930-2017

 このブログで「成蹊大学宇野ゼミナール50周年記念誌」について書いたことがあり、宇野先生の薫陶を受けたゼミ生の方々は本当にいい先生に巡り合ったのだなあと改めて思った。私は、宇野先生が兼任講師できていた大学で授業(中国共産党史)を聴いただけなのだが、その熱心な講義、温かな人柄は実に印象的だった。
 社会人になってからは、一度だけ講座の講師をお願いしたことがあった。それと、父が教師をしていた中学校に、ご子息の重規氏が転校してきたというエピソードを父から聞いた記憶があるくらいだ。もちろん、宇野先生はそんなことをご存知のはずはない。

 けれども、不毛の砂漠のような私の学生時代、宇野先生の授業だけは干天の慈雨と言ってよかった。

 晩年、その宇野氏が教え子である安倍首相に対して「安倍君は間違っていると涙ながらに苦言を呈した」と伝えられた。これを書いたのは、「安倍叩き」の急先鋒である評論家の青木理。だから私は、これは事実を伝えていないはずだと直感した。

 天下の秀才だった宇野先生から見れば、私立大学生などは「凡才」そのものだっただろう。もちろん、成蹊大学生だった安倍晋三氏も含めて。だが、宇野先生の授業には、学生を尊重し、育て上げようとする「教育」に対する熱意がひしひしと感じられた。同時期、衛藤瀋吉東大教授が兼任講師として行った授業とは対照的というより、対極的だった。と言うのも衛藤氏の授業は、格下の私立大学生を見下した、自慢話のようなものに過ぎなかったからだ。

 宇野先生の教育の成果は、前述の「50周年記念誌」に遺されている。こんな先生を持てたゼミ生は、やはり羨ましい。

 心よりお悔やみ申し上げたい。

 

宇野重昭氏が死去 元成蹊大学長

2017/4/5 22:22  日経新聞
 宇野 重昭氏(うの・しげあき=元成蹊大学長)1日、肺炎のため死去、86歳。お別れの会を行うが日取りなどは未定。喪主は長男で東大教授の重規氏。

 専門は現代中国政治。島根県立大学長もつとめた。著書に「中国共産党史序説」など