澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

「内鮮満周遊の旅 満洲篇」(1937年、満鉄映画製作所)を見る

2021年04月28日 12時49分42秒 | 歴史

 「内鮮満周遊の旅 満洲篇」(1937年、満鉄映画製作所)を見る。「満洲国」の貴重な歴史的映像であるとともに、ノスタルジックな満洲国観光映画でもある。
 「満洲」というと、子供心には「日本人がわるいことをした土地」「話題にしてはならない土地」というイメージだった。「満洲」は「中国」の一部であり、日本人はその「中国」を侵略したのだと教わったはずだ。

 だが、後になって知るのは、「満洲」は「大清帝国」(=清朝)の「祖地」であり、大清帝国皇帝は満州人、その被支配者は「漢族」だったという事実。さらに「内蒙古」「チベット」は、チベット仏教の信仰者として清朝と同盟を結ぶ関係だった。現在、中共(=中国共産党)政府が使う「中華民族」という言葉は、清朝を打倒するために孫文が考案した都合のいいスローガンに過ぎない。「中華民族」という実体はなく、漢族支配の正当性を主張するための道具に使われた。最近の新疆ウイグル自治区におけるジェノサイド、内モンゴル自治区の遊牧禁止、モンゴル語の使用禁止を見れば、そのことは明白だ。

 以上のような前提で、この「内鮮満周遊の旅 満洲篇」を見ると、「満洲国」の意外な側面が浮かび上がってくる。日本による満洲への投資、近代化促進の施策は著しく、「中華民国」の他地域を圧倒的に凌駕していた。「豊かな満洲」は羨望の的でもあったのだ。

 台湾や朝鮮半島と同様に、日本は満洲の近代化に大いなる役割を果たした。今もなお、中国東北部(=満洲)の経済力、文化度が高いのは、日本の影響を抜きにしては考えにくい。「だからどうした?」と言われても困るのだが、「大日本帝国」の愚かな選択(日独伊三国軍事同盟~日米開戦)がなければ、中共(中国共産党)による大陸制覇は実現しなかったかもしれない。そうであれば、この映画の8K最新版が見られたのかも知れないのにね。

 

内鮮満周遊の旅 満洲篇(1937年、満鉄映画製作所)