the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 





GITANESは甘いものともよく合う。
それとは無関係に・・・。

細川俊之、または岸田今日子の声で
脳内再生してください。





「あ、ボブ・サップが3人も?」
「いいえ、かりんとう饅頭。」




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GITANES嗜好を休止してから建てたのに。
それとは無関係に・・・。

今の家を建ててからもう10年も経過したようだ。
『10年経ったら家にはガタがくるよ』とは
よく耳にするフレーズだが、たしかにそんな
気配はある。
実は、建物自体は知り合いの工務店がしっかりと
したものを建ててくれたから大丈夫なのだが、
そのときに揃えた物たちがどんどん弱ってくる。
特に家電がそうである。
エアコンもそうだった。
先月は突然変な音とともに炊飯器が壊れた。
買い替えなければ仕方なかった。
先週は、変なエラー表示とともにビルトインの
食洗器が壊れた。
メーカーに点検と修理を依頼したら
「出張点検するだけでもそこそこ費用がかかる。
症状からしておそらく基盤を替えることになるが
それは当然費用がかかる。そして、基盤を交換して
すぐに他の個所がやられて動かなくなる可能性も
ある。それでもやりますか?」
と問われた。
すべてもっともなことだ。正しい。
しかしまあ直接そう言われてしまうと、
「もうちょっと他の言い方があるだろうに」とも
思ってしまうのが人情だ。
メーカーに新規入れ替えを頼もうにも、代理店を
通せと言われるらしい。
メーカーの川下に業者がいて、その川下にも
建材屋さんがいて、という重層的な構造になって
いるようだ。
工務店も直接は買えない・発注できないと。
なんだか非常に面倒くさいのかビルトイン食洗器業界は。
壊れたからこの際新品に入れ替えましょう という
単純な話なのだが。


そう言えば、リビングの天井には12個のダウンライト
が埋め込まれているのだが、これもどんどん切れ始める
時期をとうに過ぎているのに、まだ一つも切れない。
リビングの天井は傾斜していて、低い方で3m、
高い方で5mほどある。
こんなところの電球が切れたら、自分で交換するのは
無理だ。そんな脚立なんかウチにない。
幸いにも電球は切れていないが、どうしてこの普通の
電球はこんなに保つのか。食洗器よりもモチのいい
電球なんて聞いたことがない。
そう工務店の社長に言ったら
「あんなところの電球が切れたら大変だから、
建築時に勝手にLEDにしておきました。価格は
普通の電球代だし、まあいいじゃないですか。」

うん、いい。とてもいい。
ありがとう。




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GITANESが雨に濡れると狂暴になる。
それとは無関係に・・・。

久しぶりにまとまった雨が降った。
まとまった雨というのはそもそも何なのか
定義も知らないのだが、ともかく
ジャージャーと久しぶりに雨が降った。

傘は勿論さしていたが、コンビニに行って
オフィスに帰ってくるまでにジーパンがびしょ濡れ
になった。それほどの雨だったのだ。

そして困ったことに、私は
「濡れた衣服が大嫌い」である。
濡れた衣服が大好きというなかなか歪んだ
嗜好の方もいるだろうが、少なくとも私は
自分の衣服が濡れている状態が嫌いだ。

これは気持ち悪い。
コンビニ弁当食べている間もずっと不快だ。
休憩が終わってデスクに戻っても当然
気持ち悪さは続く。
着替えよう。

そんな都合よく着替えなど準備していない。
ところがどっこい、仕事場は洋服屋だ。
服など売るほどある。
早速売り場に行ってみた。そういえば
昨年から始めたというスウェットパンツが
店頭にあるだろう。
それが一番安そうだし、もうそれで過ごせば
いいし、補正場に行けばアイロンがいくらでも
ある。

スウェットパンツは驚愕の値段だった。
これは「ジーパン濡れたから買う」という類の
価格ではない。
諦めた。
どうしようか。ドライヤーもないし、
そうだ、なんとかアイロンを使えないものか。

急場しのぎのズボンがないからパンツ一丁で
アイロンがけすることになるが、補正場には
複数の女性スタッフがいる。そういう訳にも
いかない。
バスタオルを巻いてやる、というのも現実的
ではない。
春物のコートがあるから、ジーパンを脱いで
それを着てアイロンを、
とも考えたが、それはバスタオルを巻きつけて
やるよりも滑稽だ。事情が分からぬ人に見られたら
犯罪手前に見えてしまう可能性だってある。

古いカーテンが倉庫にあるので、それを巻き付けて
モーゼのようになってアイロンを
いや笑われる度合いはバスタオルやコートとさほど
変わらないし、ずっと語り草になるのも少々困る。



てなことを思案している間に、
ジーパンはすっかり乾いてしまった。





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GITANESはまだ売られてたのか!
それとは無関係に・・・。

前身まで入れるともう20年以上、
このgoo blogに落ち着いてからでも19年は
経過した。つまりここのブログは老舗である。
今となってはあまり他人様に「ブログをやっている」
などと白状することはなくなったが、書き始めた
頃は気軽にいろんな人に「ブログ始めたよ」などと
伝えていた。
クチコミでも増えていったりするし、意外な人から
「結構読んでますよ」などと声をかけられることも
あった。

書いているこっちもほぼ飽きているのだから
読んでいる方はもっと早い段階で飽きてしまい
もうずっと昔に読むのをやめてしまった人も
多い。
だからここ最近はそういう人たちに
「まだやってたんですか!?」とびっくりしながら
呆れられることが増えてきた。
ええ、やってます。
でも、更新のモチベーションというか
テンションは確実に下がっているので
引っ越しを考えている次第である。
次はnoteだろう。




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GITANESを線香代わりに。
それとは無関係に・・・。

中学生の頃、I君とK君という同級生がいて、
彼らの共通点はYMO好きだというところだった。
K君はさておきI君は、いかにYMOの曲が良くて、
自分がどれほどそれが好きで、どれほど理解しているか
を滔々と語る(つもりになっている)男だった。
私はそれが嫌いで、YMO話が始まるととにかく
立ち去るようにしていた。
YMOが嫌いなのではなくて、I君の語りが嫌だっただけだ。
しかし好きでもなかったからYMOがどんな曲を
作って演奏していたのか未だに知らない。
ライディーンを部分的に知っているだけである。

平成の時代になってから。
ケータイの着信音を自分で作るのが一般的になったようで、
しかしながらものすごく手間のかかりそうな作業を
伴うと聞いた。キーをおして音階を作っていくのだが
チマチマした作業だっただろう。
それ用の書籍も売られていたような記憶がある。
自分でケータイに打ち込んだメロディが大音量でなること
に何のためらいも恥じらいもなかった様子の某氏の、
その着メロはライディーンだった。
これでライディーンも嫌いになった。

そういう私は、毎晩「戦場のメリークリスマス」を
聴いていた時期があった。
それから後に、「ラストエンペラーのテーマ」ばかり
夜毎聴いていた時期もあった。
しかし本当は、「シェルタリングスカイ」が最も好きである。

教授と呼ばれ、アホアホマンを演じられる、
私にとっては偉大でイヤな奴が亡くなった。
ちょっと早すぎる。

近々書斎で坂本龍一ばかり聴く日がくると思う。




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GITANESは短いのに。
それとは無関係に・・・。

アマゾンでチャンピオンのスウェットパンツ
を買った。
USAのものだったから、いつもならLかLLを選ぶ
ところだが、もともとの作りが大きいだろうから
Lで充分だろうと、Lサイズを注文。

これがまた、でかいでかい。でかい長い。
とにかくでかい。穿く前から
「あ、こりゃでかいな・・・。」と思いはしたが
実際に穿いてみるとでかいでかい。
股上が異様に深い。
無理に引っ張り上げなくても、結構上の方の
肋骨まであった。
まるで川の中に入っているアユ釣りのおっさんの
ようなものだ。
こんなブサイクなズボンが世の中にあるのか
と思ったが、いやサイズ選びに失敗しただけ
だろう。
それにしてもあれででかいとなるとMサイズが
よかったのか。いやいや、1サイズ大きいどころでは
なかったぞ。でもそうするとSサイズか、
いやいやいや、生まれてこの方なにかのサイズが
Sだったことなんて一回もないし
いやいやいや、やっぱりUSAはでかいのだなあ
と感心ばかりして、数千円損したという事実を
自分自身にごまかそうとしている私。




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GITANESのえを描いたことは流石になかった。
それとは無関係に・・・。

電子教科書というものが存在して、これから普及
していくとかなんとか、と耳にした。
えらいことだ。
そんなことしたら、歴史上の人物に落書きができなく
なるではないか。
私など、すべての偉人画像に鉢巻を描き、鼻の下に
長い毛を付け加えて全員「バカボンのパパ」したのに
それももうできない時代がやってくるとは。

無味乾燥な教科書の内容を頭に入れることができる子
はよっぽどよくできた子だったのだろう。
自分はそういうタイプではなかったが、教科書に載っている
内容を思い出すべき局面は多々あった(みんなそうだが)。
で、みんなそれぞれ思い出し方にポイントがあったの
ではなかろうか。
例えば、
「あ、あれは先生の似顔絵のそばにあった内容だ!」
とか、
「足利尊氏にドレスを着せたページにあったぞ!」とか
そういう思い出し方でなんとか細い糸を手繰り寄せ
ようやく答案用紙に記入できた、という経験がある人も
多いだろう。
電子教科書となると、そういう記憶再生のヒントが
ぐっと少なくなるだろう。
大丈夫なんだろうか。

もっとも私の場合、例えば社会(日本史)の教科書は
先述の通り「全員バカボンのパパ」化してしまっているので
試験問題で問われている内容が「どのバカボンのパパ」の
そばに書かれてあったのかまったくわからない
という事態に陥るため、落書きは百害あって一利なしだった。

若者よ、そういうことだから落書きする場合は
いろいろなキャラクターに描き分けた方がいいぞ。




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GITANESの匂いは良くないが、
辛気臭くはない。
それとは無関係に・・・。


ドナドナ。
一度小学校の音楽の授業で歌わされた記憶が
あるが、
「なんとまあ辛気臭い歌だなあ・・・」
と強烈な印象を受けた。
で、今日ネットニュースで
トラックが横転して積み荷のブタが逃げ出した
というのを見て、
「あ、ドナドナ失敗だ」と思ったのだが、
あれはウシだったか。

いや、運転手のケガなどにまったく触れない記事
だったのだが、ちょっとそれはいかがなものか。





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GITANESは何の日に吸ってもまずい。
それとは無関係に・・・。

日付が記憶に焼き付くのはハッピーな日か
不幸な日か。
個人的には後者だろうと感じている。
2月24日は父親の誕生日で、それは子供の頃から
記憶にずっとある日付だから覚えているのであって
ハッピーもアンハッピーもないのだが
ちょうど1年前の2月24日はロシアが
ウクライナに侵攻した日として記憶に焼き付いて
しまった人も多いだろう。

ネットで調べると、月光仮面が登場した日だとか
鳥羽天皇誕生日だとか、直木三十五の命日だとか
いろいろある。
しかし、それ以上にすぐ記憶の抽斗から取り出せる
ものとしては、9.11も3.11がそうだ。
もう忘れることはない。
原爆投下のふたつの日付も忘れないし、8.15も同じく。

日付が記憶に刻まれるという作用は
辛いインパクトをもって為されるということだろう。

ウクライナの戦争はまだ終わる気配もない。
2月24日が各個人の中で早く
いい記憶に上書きされるような日が来るように
と思う。





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GITANESもライターも灰皿も
この部屋ではいつもスタンバイされている。
それとは無関係に・・・。

この書斎ができたと同時に置いたLC2。
もちろんまがい物ではあるのだが、それなりに
気に入ってはいた。
しかしさすがにまがい物だけあって、座面がどんどん
草臥れてきて、ぼろぼろになった。
ちょうどいいサイズの低反発クッションを
通販で探し、よさそうなものがあったのでそれを購入。
色がまったく合っていない・というよりも
全く合わせる気がなかった。
届いてすぐに嵌めてみたら、異様なLC2に
なってしまった。
これはこれでいいじゃないか。

ところが、低反発クッションと思って買ったこの
クッションは、実はこう反発クッションだったことが
判明し、それどころか猛反発と言っても過言ではない
ほど尻を跳ね返すのである。
またこのクッションがぼろぼろになって買い替えるまでの
長い長い戦いが始まった訳だ。

私の書斎には一応エアコンが完備されているが
もったいないから一切使用していない。
だから夏はクソ暑いし冬はクソ寒い。
それでも最近は、この猛反発クッション仕様LC2に
毎日腰掛けるようにしている。
朝の歯磨き時と夜の歯磨き時、そして風呂上り時には
必ずここに座り、並んでいる本の背表紙をなんとなく
眺めている。それだけで落ち着くのが少々不思議でもある。
休日は1時間以上ここで過ごす。
一応「整理」の時間と考えているが、それほど整理されて
いない。あっちからこっちへ、そっちからあっちへと
本やがらくた小物を置き換えて遊んでいるだけだ。
それはもう、立派な「趣味」と言ってもいいのではないか。
さあまた次の休みも書斎というか書庫に籠り、

で、やることはないのでぼーっとしよう。






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GITANESが不味いのは健康の証拠。
それとは無関係に・・・。

何度でも言おう。
オムライスのタマゴ部がフワフワであることに
価値を見出すとは何事か。
フワフワはまだ一万歩譲っても、
ドロドロなのはどういう料簡だ。

先日食べたコンビニのオムライスはまさに
ドロドロのそれだった。
あんなもの、赤メシタマゴかけごはんに過ぎない。

オムライスちゅうのは、とくにタマゴ部分は
しっかりとした強度が必要なのである。
よく火を通すべきなのだ。
その端っこは、もう焦げ始めていて
茶色のレースをあしらったのかしら というような
上品な焦げがいいのである。
所々火の入り具合にムラがあるのは仕方ない。
そこだけ少し緩い感じになっているのは
妙味というべきなのだが、全体的な強度は要る。
このままいけば歳暮の丸大ハムぐらい包めるのでは
ないかというほどの強さが欲しい。
あんまり強すぎて、噛んだ人々の差し歯が折れる
というほどになってはいけないが、そこは大人の
分別を働かせればいいのである。
とにかく、フワフワやドロドロではいけないのだ。
それはもう違う料理だと言いたいのだ。
オムライスを名乗りたいのであれば、タマゴに
力強さが要るのだよ。


という話をおそらく5回ぐらい書いている。

それほど重要なことだ、とご理解いただきたい。




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GITANESは旅のお供だった。
それとは無関係に・・・。

最近週に大体4日ほどはコンビニで買い物をして
昼メシとする。
正直言って飽きているのだが、それでも新商品の
弁当が並んでいると少し気分は上昇する。
一昨日は某店の、肉と野菜を炒めたやつの弁当を
買った。

肉が何やら薄くて小さくて、薄いのに少々硬くて
そして少なかった。
この肉は何かに似ているなあと、硬い肉を噛みながら考えて
あっ、と思い当たったのが
「国鉄の切符」だった。

山口百恵の曲のイントロが頭の中に鳴り響いた。

ちなみに弁当は食べきった。



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GITANESもよく行方不明になったものだ。
それとは無関係に・・・。

革の黒、ネイビー、茶 三つの手袋を使っている。
一応服に合わせて ということになる。
この手袋はしばしば行方不明になる。
ネイビーを使おうと思った日はそれだけ見当たらず
黒が要る日には茶しかないという具合である。

先日はとうとう3つとも行方不明になった。
いつもは「あ、コートのポケットの中だ」とか
「カバンの底の方かも」なんて思い当って
発見に至ることもあったが、その日ばかりは
どこにもなかった。
どこかに忘れてきたのかもしれない。
で、今度はグレーの革の手袋を買った。

買って帰ると、2日ほど内にすべて出てきた。
黒は本の下敷きになっていて、茶は柱の陰に。
ネイビーは車の後部座席にあった。
4つになった手袋を眺めながら、これでも
千手観音なら随分足りないな などと考えた。

眼鏡もこんな調子で、失せたり現れたりする。
いくつの眼鏡を使い分けているが、ここぞという
ときに、ない。
一番困るのは裸眼のとき、そこにあったはずの
眼鏡がないケースだ。
眼鏡がないから眼鏡を探す、でも眼鏡がないから
見えにくい、だから見つけにくい。
「眼鏡を探す用の眼鏡を探す用の眼鏡」の話を
聞いたことがあるが、まさにそれである。

商業施設の広ーい駐車場で自分の車が見当たらない
こともよくある。
そもそも覚えていないだけなのだが、本気で
「これはほんとにやばいな」と感じることもある。
盗まれたとは思わないが、どこに停めたかわからない
という状況も決して良い状態ではない。
こういう事象が続くと免許返納に繋がるのかしら
と思いながら、車を探す。
で、結局常に見つかっているのだが
「あ、そうそう!ここに停めたわ!」と後になって
思い出す。記憶の使い方に不便を感じる。
もういっそのこと、ケータイで停めた場所の光景を
いろいろな角度から撮影しておけばいいのかも
知れんが、そんな作業をするとおそらく駐車場所を
忘れることなんかなくなるだろうから、撮影自体が
無駄になる。
いや、その行動で覚えたのだから無駄でもないのか。

と言ってるうちに、買ったはずのグレーの手袋が
見当たらなくなった。




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GITANES嗜好者は一応フランスの曲を
聴くべきだ。
それとは無関係に・・・。

AMAZON MUSIC のアプリをよく利用する。
UNLIMITEDだからいくらか支払っているが、利便性
が料金を上回っている(と思っている)から
問題はない。ランダムに「お前なら多分これ聴くよね」
と曲をすすめてくるのだが、その選曲にはたまに
いらっとすることはあるが、「そうそう、これこれ」
と納得する場合も中にはある。
何を参考にしたのかわからない推薦曲もある。
昔兄がよく聴いていて、それが嫌でも耳に入ってきて
迷惑したよなあ、懐かしい・と思ってNSPを聴くと
アリス、かぐや姫などなど、それらしい推薦曲が
どっと表示される。面倒くさくもある。

昨日はアイロンがけをしながらこのアプリを使っていた。
ランダムに再生されるもののなかに玉置浩二の曲が
あった。「純情」というタイトルで初めて聴く曲だった。
興味ない曲についてはスキップもできるのだが
アイロンがけ作業もあるし、なんとなく聴き始めた。
純情 というタイトルとは少々外れる曲だった。
母親を想う曲だった。
歌はやっぱり抜群に上手いなあ。
アイロンの手が止まり聴いてしまった。

あ、
アイロンがけを途中でやめ、近所の饅頭屋に
クルマを走らせた。もう遅い時間だったが
まだ営業していた。
いくつもいくつも、母が好きそうな饅頭を買った。
ついでに、親父が好きそうな饅頭も買った。
帰宅し、線香を立て母と親父の遺影に何度も
謝った。
ついさっきまで覚えていたのに。
特別なお供えもなく申し訳ない。
いつもこんな感じで申し訳ない。

1年前の今日、母が亡くなった日じゃないか。

一周忌は済ませていたから安心して忘れたか。

毎夜欠かさず供えるハンドドリップのコーヒーに
今日の饅頭は合うんだろうか。
コーヒーを苦めにしたから大丈夫だろうか。

生きていた間も、亡くなってからも
いろいろ申し訳ない。




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GITANESは短いが、あれで適正サイズだと思う。
それとは無関係に・・・。

高身長の知人に聞くと、クルマ選びに苦労する
という。
乗りたいクルマにどれでも乗れる訳ではなく、
そこそこの大きさが必要だとのことだ。
確かにそういう悩みもあるだろう。
住まいもそうに違いない。
賃貸にせよ分譲にせよ、持ち家にせよ
とにかくそこそこの天井高がなければ
快適ではない。首を傾げながら歩かねばならない
部屋では暮らしていけない。
なんでも適正なサイズというのはあるのだ。

初めて訪れる飲食店などで、たまにソファ席へ
通されることがある。
ゆったりとしてソファとテーブルだ。
そこでコーヒーなどドリンクを飲むのは
さほど不自由はないが、メシとなると困る。
ソファに腰かけてテーブルに料理を置いて
どんな姿勢で食えというのだろうか。
ちょうどフレンズに登場するCENTRAL PERK
を思い浮かべていただきたい(PARKではないよ)。
ソファの崖っぷちにちょこんと尻だけ置いて
猫背になるほどの前傾姿勢で食べるのだろうか。
無理だ。

だからメシの際にはソファ席には極力近づかない
ようにしている。
大体40センチ高ほどのイスと、70センチほどの
机が最も食事しやすい。多くの人はそれではまるだろう。
もちろん身長の高低で幅はあるのだが。

スマホがどんどん大きくなって、片手操作が
難しくなっていく。あまり小さすぎるともちろん
操作性は損なわれるし、どんな人も老眼と戦うように
なるのだから大きくなるのは便利でもある。
悩ましい問題だ。
たまに街で「硯を頬っぺたにくっつけているよう」
に見えるほど、デカいスマホで通話している人を
見かけることがあるが、あれはきっと電話の適正サイズ
を超えているだろう。
画面は大きく見たい、操作は小さくしたい。
そんな製品が将来登場するんだろうか。
するだろうなあ。
で、また買ってしまうんだろうなあ。




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