GITANES嗜好者になる前のことだった。
それとは無関係に・・・。
高校の同級生にS君という男がいて、背の高い大男で
(大体、大男は背が高いんだが)、その割には心根は繊細で、
そうかと思えば粗野な言動もあるという、まあ言ってしまえば
普通の奴だった。校内ではよく連れだって移動していたように思う。
その彼が「折りたく柴の記」という言葉を何度か口にしていた。
受験の頃だったから、しっかり記憶するという作業のひとつだったのだろう。
それを深く知る必要性も感じなかった私は、それが新井白石と関係する
ワードだ・程度の知識に留めており、しかしながら
「おりたくしばのき」というのは、音に聞いても文字を見ても
意味がよくわからんワードだな、と思っていた。
調べればよかったのだろうが、あいにくもっと他に覚えることや
調べたいことは山のようにあった。
だからついつい、その意味を調べることを先延ばしにしていた。
で、数十年後の昨日、新井白石の名前を本で見かけて
「そう言えば『おりたくしばのき』って書の由来は何だったんだろう?」と
思い出した。いや、その数十年間の間に何度も何度も同じ疑問は湧いていたのだが
つい億劫になってまったく調べていなかった。
大抵の簡単なことはネットで調べられるようになって久しいのに、
それでも調べていなかったのだ。
新古今和歌集 巻8 後鳥羽天皇(上皇になる前だったのだろう)
思い出づるをり焚く柴の夕けぶりむせぶもうれし忘れ形見に
という歌がある。
そうか、「たく」は「焚く」だったのだ。
「おり」は「思い出すおり」と「柴を折って焚く」をかけているのかも知れない。
とにかく、そういうことなのだ。
----亡き人を思い出す折、(折って)焚く柴の、夕べの煙にむせぶのも嬉しいものだ。
それが忘れ形見だと思えば---
積年の小骨がとれた。
S君に対する「折りたく柴の記(追憶の記)」というつもりはまったくない。
おそらく彼は今も生きているだろうから、柴を焚く煙に咽ぶこともないのだ。
しかし、こうやって思い出したということは
なかなかの煙加減ではなかろうか、と思う。
彼とは高校を卒業直後に一度、社会人になる直前にもう一度会ったきりになっている。
会おうと思えば会えるのだろうが、「オリタクシバノキ」の真相を知るまでに
いたずらに数十年もかけてしまった私のことだから、
彼に会おうと思うまでにまたどれだけの時間を要するのか
我ながら見当もつかないのである。
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