the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 




GITANESとは合わんなあ。
それとは無関係に・・・。

亡くなった父は食べ物の好き嫌いはあったが
かなり食べる方(量)で、晩めしのときには
茶碗に最低2、多い時では3杯は食べた。
それなのにズボンのウェストサイズは大きいときで
76センチ、通常は73センチほどだったから
よほど燃費が悪かったのだろう。

茶碗に2杯、もちろんおかずもそこそこ
食べたあとで必ずお茶漬けを食べていた。
私も物心つくころにはその光景に慣れていたし
自分でもお茶漬けで〆ていた。


どんどん年齢があがるにつれて
「メシというのは若いころよりも減らすものだ」
という漠然とした思い込みがあって、いつの頃
からかお茶漬けを食べなくなった。
ごはんも茶碗に一杯だけだし、お茶漬けを食べる
余地もなくなった。
最近では無理して食べると長時間膨満感に
支配されることもあり、節制しているつもりは
皆無だが特にごはんを大量に食べることは
少なくなった。当然ながらお茶漬けなど問題外だ。

ところが、お茶漬けが食べたくなくなった訳では
ない。
食べたいのだ。
しかし、お茶漬けを食べるとなると、その夕食では
お茶漬けしか食べられないということになる(と
思い込んでいる)。
お茶漬けと普通のおかず という組み合わせも
どうなんだ と思うし、結局お茶漬けは食べなくなる。

たまに他人様からおいしそうな「お茶漬けの素」的な
ものを頂戴することもある。
それがなかなかもどかしい。パントリーで見え隠れする
お茶漬けの素をチラ見しながら、
「こんなもの寄こしやがって・・・」と恨めしく
眺めるばかりである。

今度何かの機会で、自宅で一人ばんめしという
局面があったらお茶漬け大会をやろうと思う。
もちろんつまみ的なおかずを並べて。
お茶漬けの素も贅沢な量を使いながら。
そして当然、お茶漬けなんだからほぼ噛まずに。

そしてその夜、膨満感や胸やけや消化不良で
七転八倒する自分の姿が容易に想像できる。

その夜、私にオトナのフンベツが残っていて
「お茶漬けなんてほんの少し食べるものだぞ」
という常識が頭を過ることを願うばかりである。




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