団塊オヤジの短編小説goo

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都月満夫の短編小説集2

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雛祭ってなんだ。五節句って何だ。

2009-02-19 15:36:20 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

雛祭:五節句のひとつ

男雛と女雛を中心とする人形を飾り、桃の花を飾って、白酒などの飲食を楽しみ、生まれた女の子が健康に成長し、幸せに結婚できるようにと祈る節句祭り。 Photo_3

雛人形の起源のひとつは、中国の流し雛(代わり雛)にあると言われています。流し雛にその年の災いや、けがれを移し、本人の代わりに川に流す風習で、これが江戸時代に女の子の人形遊びなどと結びついて、女の子の幸せを祈る場に飾られるようになりました。関東雛と京雛では男雛と女雛の並ぶ位置は逆。本来「内裏雛」とは雛人形の男雛と女雛の一対を指す。(内裏⇒だいり、天皇の住居。)

男雛を「お内裏様」、女雛を「お雛様」と呼ぶ誤りは「うれしいひなまつり」の歌詞から一般化していったと思われます。お内裏様とお雛様ではもう一人女性がいることになりややこしい関係となる。

三人官女以下のその他大勢の随臣、従者人形を「供揃い」という。雛人形は、宮中の殿上人の装束(平安装束)を模している。

*親王(男雛、女雛)はそれぞれ天皇、皇后をあらわす

*官女(三人官女)は宮中に仕える女官をあらわす、内1人のみお歯黒、眉無し は(既婚者を意味するが、生涯独身の女官の場合には年長者という意味)らしい。

*五人囃子は能のお囃子を奏でる5人の楽人をあらわし、それぞれ「太鼓」「大皮」「小鼓」「笛」「謡」である (能囃子の代わりに5人、又は7人の雅楽の楽人の場合もある)

*随身(ずいじん)の人形は随臣右大臣と左大臣と同時に衛士(えじ)でもある *仕丁は従者をあらわし、通常3人1組である

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五節句

※江戸時代雛祭りは『五節句』のひとつとして「祝日として存在した」とされる。しかし、明治6年の新暦採用が『五節句(=雛祭り)』の祝日廃止となって、さらに「国民の祝日」より「皇室の祝日」色が濃くなった。このため、戦後になって新たに祝日を作ろうとする動きが見られるようになる。祝日制定にあたり3月3日の案や、新年度の4月1日の案も出ていたが、最終的には5月5日の端午の節句を祝日(こどもの日)とする案が採用された。北海道・東北をはじめ寒冷で気候の悪い地域の多い時期を避け、全国的に温暖な時期の5月にしたとされる。

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人日(じんじつ)

1月7日。七種粥を食べることから七草の節句ともいう。

古来中国では、正月の1日を鶏の日、2日を狗(犬)の日、3日を猪(豚)の日、4日を羊の日、5日を牛の日、6日を馬の日とし、それぞれの日にはその動物を殺さないようにしていた。そして、7日目を人の日(人日)とし、犯罪者に対する刑罰は行わないことにしていた。七種粥:一年の無病息災を願って1月7日に春の七草を使って作る七草粥。厄払いと健康を祈りつつ、食する。

【効能】せり(消化を助け黄疸をなくす)。なずな(視力、五臓に効果)。ごぎょう(吐き気、痰、解熱に効果)。はこべら(歯ぐき、排尿に良い)。ほとけのざ(歯痛に効く)。すずな(消化促進、しもやけ、そばかすに効く)。すずしろ(胃健、咳き止め、神経痛)。

上巳(じょうし/じょうみ)

3月3日。旧暦の3月3日は桃の花が咲く季節であることから、桃の節句とも呼ばれる。

「雛まつり」の起源は京の貴族階級の子女が、天皇の御所を模した御殿や飾り付けで遊んだ平安時代の「雛あそび」が始まりとされている。

端午(たんご)

5月5日、菖蒲の節句

古来より中国では、物忌みの月(5月)には厄払いの行事が盛んに行われていました。端午の「端」は文字通 り「はじ/最初」の意味で、「午」は「うま」つまり端午とは、五月の最初の午の日に行われると言う意味です。最初は必ずしも五月五日ではなかったようです。端午の節句の日に人々は蘭の湯に浸かり、薬草である菖蒲酒を飲み、その菖蒲で体のけがれを祓って健康と厄除けを願いました。日本では、端午の節句に男子の健やかな成長を祈願し各種の行事を行う風習があり、特に武士は菖蒲を「尚武=武をたっとぶ」とかけて、5月5日を尚武の節目の行事とし、盛んに端午の節句を祝うようになります。今は国民の祝日「こどもの日」になっています。現在国民の祝日になっている節句は、この日だけです。

七夕(しちせき)

7月7日、星祭り、竹・笹 に短冊を飾る。

今でこそ、織姫・彦星の伝説や、願いごとを書いた短冊を笹に吊るすのが一般的ですが、もともとは、中国の乞巧奠(きっこうでん)というお祭りで織姫・彦星の逢瀬を祝い、織姫にあやかって機織りの技が上手くなるように、ひいては手芸や手習いの上達を願って、巧みになるように乞う祭り(奠)と言う意味の「乞巧奠(きっこうでん)」が催されるようになり、日本でも宮中儀式として取り入られるようになりました。ちなみに、旧暦の7月7日は今の8月中旬頃ですから、雨の心配も少なく星もきれいに見えたのです。

日本では七夕は稲の開花期にあたり、水害や病害などが心配な時期です。また、お盆(旧暦の7月15日)の準備をする頃にもあたります。そこで、収穫の無事を祈り、棚機女(たなばたつめ)という巫女が水辺の棚の上に設けられた機屋で棚機(たなばた)と呼ばれる機織り機を使って先祖に捧げる衣を織りあげ、それを祀って神の降臨を待つという禊(みそぎ)の行事があったそうです。

この日本古来の行事と乞巧奠(きっこうでん)とが融合して、七夕(しちせき)を七夕(たなばた)と云うようになったのです。

重陽(ちょうよう)

9月9日、旧暦では菊が咲く季節であることから菊の節句とも呼ばれる。

陰陽思想では奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なる日であることから「重陽」と呼ばれる。奇数の重なる月日は陽の気が強すぎるため不吉とされ、それを払う行事として節句が行なわれていたが、九は一桁の数のうち最大の「陽」であり、特に負担の大きい節句と考えられていた。後、陽の重なりを吉祥とする考えに転じ、祝い事となったものである。日本ではこの重陽だけが行われなくなったが、菊祭という行事に名残があるのだろうか。

以上五節句について記述しましたが、皆さんは気づきましたか?

三月三日、五月五日、七月七日、九月九日とみんな月と日の数字が重なっているのに、何故一月だけ七日なのか・・・?何か理由があると思うのですが、分かりません。分かる方、教えてください。

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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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