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イヴが微笑んだ日

2009-02-04 14:11:24 | 短編小説

都月満夫

 

 私はエネルギー局の鉱石工場で、マネージャーをしている。工場では、鉱石からエネルギー用のウランを取り出す作業をしている。鉱石は貨物運搬用宇宙船(スペースシャトル)が惑星から定期的に運んで来る。作業は機械が行い、作業員は機械の作動を見守るだけの単調な仕事である。

 

 私の仕事は作業員の監視と管理を行うだけの、更に退屈なものである。昨日と今日の区別がつかない程、何の変化もない。

 

二ヶ月前、工場の同僚であるチーフのハセベから、ある秘密クラブに誘われた。退屈な毎日に、刺激と変化を求めていた私は、すぐに入会した。クラブは違法なもので、保健衛生局に発覚すると極刑に処される。

 

私にとって初めての会合が今夜開かれた。会合はコンパニーと呼ばれ、その開催は不定期で、時間も場所も、突然連絡が来た。私はイヴに行く先を伝えて出かけた。

 

 彼女は私に従順で、秘密を外部に漏らすことはない。むしろ話しておかなければ、緊急事態に対処できないので、かえって危険である。彼女は私の優秀な秘書(シクレタリー)でもある。

 

 

 

 会合(コンパニー)は午前零時、ある衣料(ユニフォーム)倉庫の地下で開催された。入口で網膜のチェックを受け、住民管理局が発行する住基カードの提出を求められた。彼らは住民基本台帳ネットワークに不正アクセスして、網膜登録と照合した。身体的特徴を含め経歴、病歴など個人情報はすべてネットワークで管理されている。   

 

その後、男女とも避妊のため、錠剤(ピル)を飲まされた。それは人間とのセックスを禁じられている、私たち労働市民にとっては不要なもので、管理市民からの横流し品である。

 

地下室の一角に、赤い絨毯(カーペット)が敷かれ、粗末な携帯用エアーベッドが六台置かれていた。会合(コンパニー)の招待客はコンパニオンと呼ばれる。

 

今夜の招待客(コンパニオン)は男六人、女五人の計十一人であった。女が一人欠席で、補充が間に合わず申し訳ないとの謝罪と、自己紹介は厳禁であるとの注意があった。会員は互いの名前も職業も知らされてはいない。

 

会員は男も女も四十代前後で、それぞれの職場のチーフ又はマネージャーで、管理市民から直接指示を受ける立場にある。これらの立場の人間は、管理市民が行う様々な試験に合格し、信頼性が実証されている。これは、秘密厳守という重大な理由のためである。

 

赤ワインが、グラスに注がれ、会合(コンパニー)が開始された。労働市民は飲酒を禁止されているので、ワインを飲むのは、私にとって、初めての経験である。

 

 私は、ワインの味を噛み締めながら、周囲の招待客(コンパニオン)の様子を観察していた。それぞれが目当ての招待客(コンパニオン)のところに集まり、二、三人のグループができた。そして、男たちのほとんどがワインに口をつけないのに気付いた。

 

やがて、一人の男が、女に自分のグラスを差し出した。女は嬉しそうにグラスを受け取った。談笑の後、女はワインを飲み干し、二人はベッドに向かった。

 

 私は焦っていた。既に、私のグラスは空になっていた。今夜は女が一人少ないのだ。急がないと取り残される。私は最初から目を付けていた、太った女に声をかけた。私は今まで、こんな体型のウーマンを抱いたことはない。とても興味があった。

 

「貴女を…、抱きたい。」

 

 私は女に自分の意思を伝えた。

 

「…。」

 

 女は、私の言葉に驚いた様子だった。女の驚いた表情を見て、私も驚いた。この女は、私の要求を受け入れないというのか。

 

「えっ…。突然何を仰るのですか。」

 

「…、貴女を抱きたいと言ったのです。」

 

 私は女を抱(かか)え、ベッドに行こうとした。

 

「やめて下さい。」

 

 女は大きな声を上げ、私を拒否した。クラブの人間が慌てて飛んできた。

 

「お客さま、ルールを守って下さい。ここではお互いに話し合いをして、合意の上で行為に及んで下さい。お客さまは、女性を口説いたご経験はないのですか。」

 

 私は、口説くという言葉を初めて聞いた。どうやら、女と行為に及ぶ前に、相手の了解を得ることらしい。

 

 その後、五組の男女のペアが出来上がり、私は取り残された。ベッドの上で彼らは、人目もはばからず、抱擁をはじめた。私を拒否した女が、男の上に乗り、髪を振り乱している。女は欲望の細波の上で、歓喜の舟に揺られている。周囲の状況など見えていない。

 

私は自分のウーマンのこれほど淫らで醜い姿を見たことがない。人間の女に対して嫌悪感が芽生えた。私は異常な熱気の中で、会合(コンパニー)の終わりを待つことになった。

 

彼らを観察しながら、私は多くのことを学んだ。女は男を拒否することがあるということ。男は女のご機嫌を伺いながら、セックスの申し込みをしなくてはならず、そのことに関しては女が主導権を握っていること。そして、女の了解を得るというゲームこそが、この会合(コンパニー)の最大の目的であることなどである。

 

ワインのお代わりなどあるはずもなく、私は水を飲みながら、自分が彼らと同じ人間だったのかと、後悔の海で溺れていた。私の心は憂鬱の海底深く沈んでいった。

 

 

 

 私は月光灯(ムーンライト)の冷たい光の中を、エアーバイクに乗って、労働市民用メンズエリアのハウスへと急いだ。頬に当たる風が、混乱した思考を、憂鬱の闇の底から引き上げてくれた。

 

 ハウスに着くと、私のウーマンであるイヴが、いつものように優しく迎えてくれた。

 

「お帰りなさい、ご主人様。如何でしたか。」

 

「…。」

 

「どうかなさいましたか、ご主人様。」

 

イヴが心配そうに、私に尋ねた。夜中の三時過ぎだというのに、イヴはいつもと何の変わりもなく、私を気遣ってくれる。今まで、それが当たり前のことで、何の疑問も持たなかったが、今夜、あの女たちを見てしまった私には、イヴの優しさが心に沁みた。

 

「ご主人様、すぐにお休みになりますか。」

 

「そうするよ。」

 

 私は返事をした。

 

「ご主人様、私もすぐに参りますので…。」

 

「イヴ、いいよ。今夜は遅いから、ゆっくりお休み…。」

 

「ご主人様、私に、お気使いは無用です。」

 

「本当にいいのだよ。私のほうが、今までお前に何の気遣いもせずに、反省しているよ。」

 

「何を仰います。私はご主人様に買われた、女性(ウーマン)型ヘルパーロボットです。どうぞご自由にお使いください。ご主人様は、何の気兼ねもなく、私に命令して下さればいいのです。」

 

 確かに、イヴは私が気に入って手にいれ、もう四年も使っているロボットである。彼女のプロポーションは完璧で、胸も大きく、髪は金色に輝いている。

 

 

 

 紀元二六六六年、かつて緑の星と呼ばれたこのカリグラは、温暖化で砂漠化が進み、極端な食糧不足に陥っていた。海にはホエルという巨大魚が棲息しているが、神の使いとして捕獲は禁止されている。そのため、星(カリグラ)全体で人口抑制が不可欠となり、この星(カリグラ)から国という概念はなくなった。

 

保健衛生局は労働市民の生殖を禁止している。妊娠が発覚した場合、女は生きたまま腹を切り裂かれる。男は剣闘士として闘技場(コロセアム)で殺し合いを強いられ、管理市民の娯楽として賭けの対象にされる。管理市民と呼ばれる人間たちだけに、生殖が許されている。

 

この星(カリグラ)を統治しているのは、代議員で組織する元老院である。代議員は、生殖活動を終了した管理市民の男性から選ばれる。

 

 

 

管理市民の子として生まれた赤ん坊は、ベビーエリアに集められ、六歳までに、学習能力、芸術能力、運動能力等の検査を受ける。検査に合格した一割ほどの子どもだけが管理市民となり労働から解放される。管理市民になれなかった子どもたちが労働市民である。

 

六歳からはそれぞれのチャイルドエリアで、英才教育や職業訓練を受けることになる。

 

 労働市民は、メンズエリアとウーマンズエリアに、男女が居住区を分けられている。そして、二十歳を過ぎると、男は女性(ウーマン)型、女は男性(マン)型のヘルパーロボット一体の所持が許され、ホームと呼ばれる部屋が与えられる。ヘルパーロボットは人間と外見上はまったく区別がつかない。彼らは個体識別のため、番号(タトゥー)が左上腕に彫られている。彼らは所有者として登録された人間には、一切逆らえないようにプログラムされ、日常生活の世話から、セックスの相手まですべてを行う。勿論、彼らとのセックスは生殖行為ではない。

 

ヘルパーロボットは、ロボット管理局のロボットショップで販売されていて、ロボット管理法により五年毎の検査が義務付けられている。十六歳から二十九歳までのロボットが販売されている。十六歳未満の販売と所持は禁止されている。彼らは人間と同じように歳をとり、三十歳を超えると廃棄処理される。

 

 

 

 今朝も、二個の人工太陽(サンシャイン)が午前六時ちょうどに輝きだした。

 

「おはようございます、ご主人様。」

 

 イヴがいつものように、私にキスをした。

 

「おはよう、イヴ。」

 

 私は起き上がり、イヴの頬にキスをした。イヴは驚いた。私が挨拶として彼女にキスをしたのは、今朝が初めてである。

 

「…、ありがとうございます、ご主人様。朝食の用意ができております。」

 

 私は顔を洗い、食卓に就いた。

 

「イヴ、今日から一緒に食事をしよう。」

 

「いけません。ご主人様。」

 

「いいのだ。私が、そうしたいのだ。」

 

 ロボットのエネルギー源は、人間と同じ食事で補われている。

 

イヴは席に就いた。ヘルパーロボットが所有者と一緒に食事をすることは、ロボット管理法で禁止されている。ロボット管理局に知れると、ロボットは処分され、所有者は極刑に処される。しかし、ヘルパーロボットが所有者に逆らえないのも事実であった。

 

「行ってくるよ、イヴ。」

 

「行ってらっしゃいませ、ご主人様。」

 

 私はその日から、今までのように一方的な会話ではなく、イヴの気持ちを考えて、人間として、話しかけることにした。

 

「ただいま、イヴ。」

 

「お帰りなさいませ、ご主人様。」

 

「イヴ、今日は部屋(ホーム )が綺麗じゃないか。」

 

「ええ、久しぶりで大掃除をしましたから。」

 

「そうか…、疲れただろう。」

 

「はい、少しだけ…。でも、気になさらないで下さい、ご主人様。」

 

 

 

こうして、会話をするようになって、三ヶ月ほどたった頃、イヴに変化が現れた。機械的で抑揚のなかった、彼女の会話に感情があるような気がしてきたのである。

 

私は仕事が終わると部屋(ホーム )に帰るのが楽しみになった。イヴの顔を見るのが待ちきれない思いであった。時折、私を迎えるイヴの顔が微笑んだように見えることがある。ロボットに感情などないのだから、そんなはずはないのだが…。私の思い込みかもしれない。

 

彼女とのセックスも以前とはまったく別のものとなった。私はイヴの体温を感じ、胸の鼓動を聞き、柔らかい吐息を受け、今まで感じたことのない、幸福感に抱かれていた。

 

これが、昔密かに読んだ、本に書かれていた、恋なのだろうか。男と女が想いを寄せ合う愛情というものなのだろうか。

 

現在、小説は禁止されていて、昔かかれたものが、今も裏本として、一部の愛好家の間を、転々と、密かに受け継がれている。

 

 私はイヴがとても愛おしく思えてきた。ロボットにこのような感情を抱いていることがロボット管理局に知れると、イヴは処分される。私も公安警察局に危険人物として拘束され、処刑される。

 

 しかし、私にとって心が満たされる生活が続き、退屈な日々は過去のものとなった。

 

 

 

ある日、チャイルドエリア時代の友人、ジェームスから驚くべき事実を知らされた。彼はとても優秀で、最近食糧局の極秘部門「M十六」のマネージャーになった男である。

 

彼の話では、食糧庁が生産している大型ネズミの肉とされるミートが、実は人間の肉だというのだ。更に驚いたことに、ヘルパーロボットが、我々と同じ人間だというのだ。労働市民のチャイルドエリアから、容姿と健康状態の優れた子どもを選別し、ヘルパーロボットとして洗脳するという。そして、薬剤で避妊処理をしているという。その薬剤の有効期間が五年だというのだ。彼らは肉体が衰え始める三十歳を超えると回収され、食糧局に送られてミートとなる。そのほかに処刑された犯罪者もミートの原料となる。

 

 このことを知ったジェームスはいつもの冷静さを失い、私に知らせてきた。秘密を外部に漏らしたことが発覚すると、彼は処刑される。勿論、私にも公安警察局の手が伸びるのは、時間の問題である。

 

 

 

 私は焦っていた。どうにかしなくてはならない。イヴとの生活はもう失いたくはない。

 

イヴは私が買ったとき二十五歳タイプだったので、もう二十九歳になろうとしている。もし私が当局の手から逃れたとしても、あと一年でイヴは処分されてしまう。

 

 私はこの生活を継続するために考えた。この星(カリグラ)に逃げ場はない。人間の生存できるエリアはどこへ行っても当局の目が光っている。人間の目の形をしたアイと呼ばれる監視装置が浮遊しながら人間を監視している。このアイに、私のデータを入力されたら逃げる術(すべ)はない。この星(カリグラ)を脱出するしかない。

 

私は三日後に迫ったクライスマスを利用することを思いついた。ジーザスと呼ばれる神の誕生日だ。この日から七日間だけは、すべての生産活動が休止され、労働市民は労働から解放される。この七日間はバカンスと呼ばれ、労働市民の休息期間である。

 

 私はエネルギー局の格納庫にある、旧型の箱型宇宙船(スペースシャトル)「ノア」に目を付けた。あの貨物運搬用宇宙船(スペースシャトル)なら最近まで使用していたので何とか使えるはずだ。格納庫のキーは私が管理している。とにかく、このアンドロメダ系銀河にはいられない。

 

ソーラー系銀河に地球(アース )というこの星(カリグラ)に似た星がある。そこに逃げよう。その星には邪悪が宿るという紐( ひも )状の生物、蛇(スネーク)が棲息していて人間は近づかない。食糧には、林檎(アッポー)を大量に積み込んだ。この拳(こぶし)大の赤い木の実は、善悪を知る、禁断の木の実として、この星(カリグラ)では食べることを禁止されている。

 

 

 

女を欲望の対象として所有していた男と、男に従順であるように洗脳された女が、未知の星、地球(アース)へ向かっている。暗黒の宇宙の彼方に待ち受ける、針の先ほどの未来へ向かっている。二人が求めた未来が、やがて過去となり、光り輝く伝説となる日が来る。

 

二人は一瞬の時が紡いでいく、愛という名の永遠には、まだ、気づいてはいない。

 

「イヴ、私は一生、君を離さない。」

 

「はい…、ご主人様。」

 

「イヴ、ご主人様はもうよしておくれ。」

 

「では何とお呼びすれば宜しいのでしょう。」

 

「アダムと呼んでおくれ。」

 

「アダム…、慌てて林檎(  アッポー  )を食べると、喉につかえるわよ。」

 

 イヴが私を見つめて微笑んだ。

 

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