都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
昨日は「誕る」でしたので、今日は本来の「誕生」に関する話題です。
■誕生日の由来
現在では、個人の誕生日をお祝いすることは一般的になっていますが、もともと日本には誕生日をお祝いする習慣がありませんでした。
昔は「数え年」で年齢を数えることが普通で、お正月がくるとみんな一斉に年をとっていたためです。
昔、私の祖母は大晦日を「歳取り」と言ってました。
明治35年に『年齢計算ニ関スル法律』ができて「年齢ハ出生ノ日ヨリ之ヲ起算ス」とありますが、普及しなかったようです。
日本で個人の誕生日が祝われるようになったのは、昭和24年に「年齢のとなえ方に関する法律」が制定されて以降に、満年齢での数え方が普及しはじめてからだと言われています。
年齢のとなえ方に関する法律 (昭和24年5月24日法律第96号) 施行 昭和25年1月1日 (1) この法律施行の日以後,国民は,年齢を数え年によって言い表わす従来のならわしを改めて,年齢計算に関する法律(明治三十五年法律第五十号)の規定により算定した年数(一年に達しないときは,月数)によってこれを言い表わすのを常とするように心がけなければならない。 (2) この法律施行の日以後,国又は地方公共団体の機関が年齢を言い表わす場合においては,当該機関は,前項に規定する年数又は月数によってこれを言い表わさなければならない。但し,特にやむを得ない事由により数え年によって年齢を言い表す場合においては,特にその旨を明示しなければならない。 附 則 (1) この法律は,昭和二十五年一月一日から施行する。 (2) 政府は,国民一般がこの法律の趣旨を理解し,且つ,これを励行するよう特に積極的な指導を行わなければならない。 (3) 前項の事務は,附則第一項に規定する期日よりも前から行うことができる。 |
○ 年齢計算ニ関スル法律 (明治35年12月2日法律第50号) 施行 明治35年12月22日 (1) 年齢ハ出生ノ日ヨリ之ヲ起算ス (2) 民法第百四十三条ノ規定ハ年齢ノ計算ニ之ヲ準用ス (3) 明治六年第三十六号布告ハ之ヲ廃止ス |
「年齢のとなえ方に関する法律」の制定理由に面白いのがありました。
「数え年」の場合、特に12月生まれの者はすぐに2歳に勘定されてしまう。それが嫁入り等に大きな関係を持つため、しばしば正確な届出をしないということが当時現実に行われていた。生れた時から正直にやって行く、合理的にやっていく、国民生活の態度を最初からそういう形にすることは、これからの日本にとって非常に大事である。
明治35年に満年齢に関する法律ができていたにもかかわらず、なかなか浸透しなかったようです。
海外においても、誕生日は、神の生誕を祝う日として宗教的な意味合いが強いものでした。
イエス・キリストの生誕を祝う「クリスマス」などが代表的です。
海外で個人の誕生日をお祝いする習慣がいつからはじまったのかについては定かではありませんが、15世紀のドイツでは、「キンダーフェスト」と呼ばれる子どもの誕生日会が行われていました。
当時のドイツでは子どもの誕生日に悪霊がやってくると考えられていたため、バースデーケーキの上に1日中ろうそくを灯すことで神に祈りを捧げ、子どもを守っていたそうです。
1日が無事に終わるとろうそくの火は消され、ケーキはみんなで分け合って食べました。
誕生日にバースデーケーキを食べる習慣は、19世紀にアメリカに伝わり、戦後に日本に伝わったと考えられています。
■誕生日にケーキを食べる習慣はいつから?
そもそも、「なぜ誕生日にケーキを食べるようになった」のでしょうか。
実は、バースデーケーキの起源は、古代ギリシャの時代にまで遡ります。
古代ギリシャ人は、月の女神「アルテミス」の誕生日を祝うため、古代ギリシャ人は円形のハニーケーキを焼き、アルテミスの神殿の祭壇にお供えしていた。その際、月の光を表すためにケーキの上に細長いロウソクを立て、火を灯していたのだ。また、彼らはロウソクの煙が天上にいる神たちに人々の願いを届けてくれると信じていた。
このように遥か昔から、誕生日を祝う習慣があったことを考えると、誕生日がとても神聖で、特別な日であることを実感します。
■誕生日の風習
個人の誕生日を祝うようになるずっと前から、日本には、ある伝統的な誕生日の風習があります。
それが、七五三です。七五三が行われるようになったのは、室町時代頃といわれています。
当時は、現在ほど医学が発達しておらず、栄養も乏しかったため、乳幼児のうちに亡くなってしまう子どもは少なくありませんでした。
そこで、七五三の歳まで無事に育ったことへの感謝を込めて、また、幼い子どもから少年・少女へと成長するひとつの節目を祝う意味を込めて、神様に祈りを捧げるようになったことが、七五三のはじまりです。
七五三では、男の子は3歳と5歳、女の子は3歳と7歳にお宮参りをすることがしきたりとなっていますが、それぞれの年齢に意味があることはご存じでしょうか?
3歳の髪置(かみおき)
男の子も女の子も髪を伸ばしはじめる時期
5歳の袴着(はかまぎ)
男の子が大人の男性の衣服である袴を初めてつける時期
7歳の帯解(おびとき)
女の子が着物に帯を使いはじめ、大人の女性に近づく時期
七五三は、ご両親にとって、お子さんがすくすくと成長していることを実感できる大切な行事です。
満年齢で毎年の誕生日を祝うようになった現在でも続けられている、伝統的な日本の風習と言えるでしょう。
また、奈良時代以降に行われるようになった男の子の「元服(げんぷく)」や、公家の女の子が執り行う「裳着(もぎ)」も、古来より続く日本の伝統的な誕生日の風習だといえるかもしれません。
元服や裳着は、数え年12~16歳で執り行う成人の儀のことです。
現在では20歳の誕生日を祝う「成人式」として、その形を残しています。
成人の儀には、大人の一員として迎えることをお祝いするだけでなく、その年を迎える本人にとっての通過儀礼の意味が込められています。
午前0時を過ぎたら イチバンに届けよう
Happy birthday, Happy birthday♪
Happy birthday to you♪
したっけ
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080-0018 帯広市西8条南6丁目7番地
ハーブティーは下記のお店「雑貨(Tkuru&Nagomu)で取り扱っていま
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可愛い雑貨も、たくさんありますよ。
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私の一押しの詩集を紹介します。現代女性詩人のトップクラスの詩を感じてください。魂が揺さぶられます。これは倉内佐知子の入門としては最適な詩集です。一度読んでみて下さい。
〈溶ける魚〉が背を這いずり、異国の香りが鼻腔を抉る、無頼の詩語は異界をたゆたい、イデア(idea)の入り口を探る——「幼年の濃い光の中で 時間の臓器は待っている」(本文より)心地よいリフレインが幻惑の世界へと誘う「音更日記」、言葉の配置と表現形式にこだわった「光る雪」、グロテスクな言葉の暴力で異質な世界を構築した「青」など計18篇を収録した、小熊秀雄賞受賞詩人の詩集。言葉が持つ魔術的な美を、無意識の泉から掬い上げた、幻想的かつ根源的な一冊。
海鳩
―潮騒が希望だったー
ぐしゃぐしゃに砕かれた大顎の破片が散乱し
ているのは知っていたがここのものではない
さんざん悪質を通過しなお何ものとも繋がら
ない兵器的非感覚の海を死生の循環の内へと
流し込むなど可能かぶふぅィ暫し棘状の海塚
にうずくまりわたしたち固有の肉体がはぜる
記憶のふあんに堪える堪えて噛む海鳩が翔ぶ
〈母ァさん 母ァさん〉
あなたさえ答えようもないのです
(後略)
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