都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
師匠から絵手紙が届きました。
今回の絵手紙は「向日葵」を描いてきました。
師匠の庭の向日葵が3m超えたそうです。
先日伺ったときに、ずいぶん伸びているなと思っていました。
「向日葵は きんきら恋の 最中かな 黄の色深め 大地に立てり」
師匠の短歌です。若々しい歌でしょうと、自画自賛です。
8月25日は短歌誌「樹樹」のニ十首贈呈式と歌会だそうです。
師匠は横断幕と賞状を書いたそうです。
師匠は書家でもあります。絵手紙に書いている、あの字です。あれが、味があって人気なんです。
帯広に発行所を置く短歌誌「樹樹(きぎ)」の創立者で、歌人中城ふみ子(1922~54年)の実妹でもある野江敦子さん(帯広)が24日、病気のため音更町内の療養先で死去した。88歳。地元歌壇から惜しむ声が上がっている。
ひまわりは北アメリカ原産の植物で、紀元前1500年頃から栽培が始まったとされています。 では当時、ひまわりは何のために栽培されていたのでしょうか。 それは「食料」としてです。 原産国である北アメリカに住んでいたネイティブアメリカン(インディアン)は、種から栽培する唯一の農作物として、ひまわりをたくさんの土地で栽培されていたようですよ。 ひまわりは高いエネルギーを得ることができるため、とても重要な作物の1つだったそうです。 ちなみに当時のひまわりの食べ方は、様々な方法があったとされています。
例えば、ひまわりの種をつぶし、お菓子やパンの生地として使ったり、他の肉などの食材とひまわりの種を混ぜて食べたり…そのままだけではなく焼くことや他の食材と混ぜることもされていたようです。 ひまわりは、たくさんの種類で食べられていたと考えられているのですね。 そしてひまわりの種は「パンを焼く時に使われる油も、ひまわりの種を絞って使っていたのではないか」という説もあるそうです。 また、ひまわりは食料としてだけではなく、染料や薬としても使われていたとも言われています。 1つの「ひまわり」という植物から数多くの活用があったのですね。 ちなみに、蕾はバターでいためて食べられます。
●北アメリカからヨーロッパへ 先ほど北アメリカで誕生したひまわりは、紀元前1500年頃からインディアンによって広く栽培されていたことをお伝えしました。 コロンブスがアメリカ大陸を発見した後、1564~71年の間にスペインの医師ニコラス・モナルデスがひまわりをスペイン王立植物園に持ちこまれ、ひまわりの栽培がヨーロッパでもスタートしたのです。 それをきっかけとして、徐々にスペインからフランス、イギリス、ロシアへとひまわりが広まっていきました。 主にヨーロッパでは観賞用に栽培され、改良が行われていきました。 一方、ロシアでは食用としてさらに改良されて栽培されるようになっていたのだそうです。 そのためロシアでは、食用のひまわり畑が多く作られていたそうですよ。
●ひまわりが日本へ 日本にひまわりが伝わってきたのは江戸時代の寛文年間(1661~1672年)です。
ひまわりがヨーロッパからロシアを経て中国に伝わり、ついに日本へやって来ました。 日本にひまわりが伝わったのは、スペインでひまわりが栽培されてから100年ほどが経ってからだったのです。 当時の日本では、ひまわりのことを「丈菊(じょうぎく)」と呼んでいたようです。 「訓蒙図彙(きんもうずい)」という図が入った百科事典にも「丈菊、俗に言ふてんがいくわ(天蓋花)、一名迎陽花(げいようくわ)」という記述があったことが分かっています。 その後「日廻り(ひまわり)」から「向日葵(ひまわり)」と呼ばれるようになりました。 「ひまわり」と日本で呼ばれるようになってきたのは、1700年頃と言われています。 「丈菊(じょうぎく)」「天蓋花(てんがいか)迎陽花(げいようか)」などと呼ばれていた時代もあったのです。
●日本でも、ひまわりを漢字で書くと「向日葵」 太陽の向きに合わせて、東~西へ向きが変わることから来ているようです。 成長途中のひまわりは、日に当らない方が早く伸びるのです。 茎が太陽の方に曲がってしまいます。 そこで、花が咲く前のひまわりは、太陽の方を向いているように見えるのですね。 日没後は、反対側の茎がバランスを取るために伸びます。 オーキシンというホルモンの影響です。 朝になると太陽の茎はまた東側を向いているという訳です。 ひまわりは向きを変えながら光合成を促進しているのですね。 ただし、向日葵の花の向きが回るのは蕾が完全に咲くまで 咲いてしまうと、ピタリと光の差してくる方向に固定されるのも面白いです。
●向日葵の由来 ひまわり(向日葵)の花名の由来ひまわりの花名は、漢字で「向日葵」と書きます。 太陽の移動によって花の向きが回ると考えられていることから、昔は「日廻り」と呼ばれていました。 「向日葵」は、ひまわりの花に向日性があることに「四方に向いて花が開き、開いて回る」という意味のある「葵」がつき、「向日葵」と言われるようになりました。 |
師匠! 今回は「夏の花」ですね。
私の庭には何も咲いていません。道端に生えている「犬蓼(いぬたで)」」を描きます。
↑師匠が私にくれた絵手紙
私が師匠に送った絵手紙↓
※「雑草」は「くさ」と読んでください。