十二単は正装で、何かの行事ときにしか着用はしていませんでした。いつも着用していた訳ではありません。
ただ、とんでもない運動不足だったのは事実です。食事も一見華やかに見えて、その栄養面は最悪でした。
また、入浴する習慣自体が貴族の間にはなかったので、極めて不潔。病気になったときに水蒸気浴するぐらいです。髪の毛だって五ヶ月に一回、それも毛先をちょっと米糠で洗うぐらいだったと言います。体や髪の毛を洗えない事は、当時の女性の感覚でも苦痛だったようですし、この辺の事情が香の発達した理由でもあるのです。
不潔さ故に、皮膚病も多く、死因の7割以上が結核で、平均寿命は庶民より低かったようです。
華やかなのは見た目だけで、平安貴族の生活は本当に伝えられるような優雅な生活ではなかったようです。
貴族の箱入り娘なんて運動なんてしないし、家事もしないから体が弱いのは当たり前です。そこに総重量何十キロもある着物を着せられているのです。動けないのはあたりまえというものです。更に女性は家族以外に顔を見られてはいけないので、奥の日差しが当たらないところに住んでいたのです。そうしておくことで、女性を軟禁状態にしていたのですね。女性は着物という鎖に繋がれていたという訳です。
動くのには不便でも、侍女が何人もいるので、普通に生活は出来ます。全部侍女に命令していたのですから。
扇は熱いから仰ぐという目的で使われるのではなく、「白粉(おしろい)」のためなのであります。平安美人の最大の敵は「白粉が剥げ落ちること」だったのです。
だから御殿の廊下なんかを歩く時、おもしろいものを見ちゃって笑わないように扇で顔を隠していたのです。
例えば、向こうから歩いてくる女性の書いたマユゲが落ちていたりすると、「白粉」に命をかけている女性にとっては笑いたくなる光景なのです。そんなものを見て自分が笑ってしまったら自分も「白粉」がはげるので、見ないように・・・と扇で顔を隠していたのです。流行っている化粧は、眉毛を全部抜き、額の上にちょこんと書きます。眉と眉の間はなるべく離して書くのが鉄則だったのです。
ですから、平安時代の美女は大口をあけて「わはは」と笑うことはなく、口の先を軽くあけて「ホホ・・・・」と笑うだけでした。いわゆる、おちょぼ口です。
女性は人前で笑わないので、上品イメージがつきましたが!実は笑いたくても笑えなかったのです。それは厚く塗りたくってある白粉が、笑うと剥がれてしまうので、笑いたくても笑えなかったのです。
それは男性も同じで、だから、口をなるべく開けない公家言葉「・・・・でおじゃる」などという変 な言葉が生まれたのです。
なんか、大変というか、可笑しいですよね。
平安美人といえば、なにやら雅でいい香りがしてきそうでありますが、実際は化け物のようでありました。
貴族の娘は外出もほとんどしませんでした。そのため不健康で、さらに食べ物も今と違い全てが欠乏 栄養失調気味で顔がむくんでいたのです。ほとんどの貴族が皮膚病と脚気に悩まされていたといいます。
平安美人といえば、下膨れのぽっちゃりとしたイメージですが、栄養失調とは驚きです。
顔を真っ白く塗るのは男性が夜やってくるとき、いかにはかなげに青白く見せるためでもあったのです。象牙のベラにたんまりつけた「白粉」をべったりと塗り、更にお歯黒で、髪の毛も生まれて一度も切らないので七メートルくらいはあったのです。髪の毛は洗わないで伸ばしっぱなし、痒かったでしょうね。臭かったでしょうね。
薄げ、禿げの女性はカツラを使用していました。今のような人工毛髪などありませんから、カツラは行き倒れの女性から切り取ったもので作られました。生え際OKとはいかなかったでしょうね。
女性が正装(十二単)のときにもたれる扇を衵扇(あこめおうぎ)といいます。(上)
檜扇(ひおうぎ)とは、男性が宮中で用いられた木製の扇のこと。(下)
どのように違うのかは分かりません。どなたか知っている方、教えてください。
どうです、みなさん!平安貴族のイメージ変わってしまったんじゃないですか。
したっけ。