日本民族の性意識
「古事記」には、男女の性交や女性器への言及など、性的な表現があちこちに散りばめられています。特に神代の場面に、頻出するのですが、それらを読んでも淫猥な感じは受けず、むしろほほえましいとの印象を抱きます。これは、古代の日本人が、性というものに対して、大らかであったことの表れであるのかもしれません。
この古代日本人のセクソロジー(【sexology】性科学)ともいうべきものを、まず、伊耶那岐(イザナギ)、伊耶那美(イザナミ)の国づくり神話からみてみましょう。
□原文 於其嶋天降坐而、見立天之御柱、見立八尋殿。於是問其妹伊耶那美命曰、汝身者如何成。答白吾身者、成成不成合處一處在。爾伊耶那岐命詔、我身者、成成而成餘處一處在。故以此吾身成餘處、刺塞汝身不成合處而、以爲生成國土。生奈何。【訓生云宇牟。下效此。】伊耶那美命、答曰然善。爾伊耶那岐命詔、然者吾與汝行廻逢是天之御柱而、爲美斗能麻具波比。【此七字以音。】如此之期、乃詔、汝者自右廻逢、我者自左廻逢。約竟廻時、伊耶那美命、先言阿那邇夜志愛袁登古袁、【此十字以音。下效此。】後伊耶那岐命、言阿那邇夜志愛袁登賣袁、各言竟之後、告其妹曰、女人先言不良。雖然久美度邇【此四字以音。】興而生子、水蛭子。此子者入葦船流去。次生淡嶋。是亦不入子之例。
訓み下し文 その島に天降りまして、天の御柱を見立て、八尋殿を見立てたまひき。ここにその妹伊邪那美命に問ひたまはく、「汝が身は如何に成れる」とひたまへぱ、「吾が身は、成り成りて成り合はざる處一處あり。」と答へたまひき。ここに伊邪那岐命詔りたまはく、「我が身は、成り成りて成り餘れる處一處あり。故、この吾が身の成り餘れる處をもちて、汝が身の成り合はざる處にさし塞(ふさ)ぎて、國土(くに)を生み成さむと以爲(おも)ふ。生むこと奈何。」とのりたまへぱ、伊邪那美命、「然善(しかよ)けむ。」と答へたまひき。ここに伊邪那岐命詔りたまひしく、「然らぱ吾(あれ)と汝(いまし)とこの天の御柱を行き廻り逢ひて、みとのまぐはひ爲む。」とのりたまひき。かく期りて、すなはち「汝は右より廻り逢へ、我は左より廻り逢はむ。」と詔りたまひき。約(ちぎ)り竟(を)へて廻る時、伊邪那美命、先に「あなにやし、えをとこを。」と言ひ、後に伊邪那岐命、「あなにやし、えをとめを。」と言ひ、各言ひ竟へし後、その妹に告げたまひしく、「女人先(をみなさき)に言へるは良からず。」と告げたまひき。然れどもくみどに興(おこ)して生める子は、水蛭子(ひるこ)。この子は葦船に入れて流し去てき。次に淡島を生みき。こも亦、子の例(たぐひ)には入れざりき。
■現代語訳 二柱の神はその島にお降りになって、天之御柱をお立てになり、続けて広い御殿をお作りになった。 そこで伊邪那岐命は伊邪那美命に「おまえの身体はどのようになっているのか」とおたずねになると伊邪那美命は「私の身体はすでにできていますが足らないところが一ところあります」とお答えになった。そこで伊邪那岐命は「私の身体もすでにできていますが余ったところが一ところある。そこでこの私の身体の余ったところをあなたの身体の足らないところにさし塞いで国土を生みたいと思うがどうだろうか」と仰せになった。伊邪那岐命は「それがいいでしょう」とお答えになった。 そこで伊耶那岐命は「それなら、私とあなたはこの天の御柱を回って出会い、男女の交わりをしよう」と仰せになった。このように約束されて、そこで「あなたは右から回りなさい。私は左から回って会いましょう」と仰せになり、約束の通りに廻ると伊耶那美命が先に「あなたはなんてすばらしい男なのでしょう」といい、つぎに伊耶那岐命が「あなたはなんてすばらしい女なのでしょう」と仰せになった。 それぞれ言い終わった後、伊邪那岐命は妻に「女が先に言うのは良くないことだ」と仰せになった。しかし男女の交わりをして子を生んだが水蛭子であったので、この子は葦の船に乗せて流した。つぎに淡島を生んだがこの子も子の数には入れなかった。 |
なり余った処(男根)を以て、なりあわぬ処(女陰)を刺し塞ぐとは、いかにも単刀直入で、ユーモラスではありませんか。
ということになりましたが、その方法が分からない。その方法を教えたのが、セキレイである、とされています。セキレイは尾羽を上下に振って、こうするのだと教えたそうです。
男がなり余った処をもてあまし、女がなりあわぬ所を刺し塞いで欲しいと感ずるのは、現代人も古代人も異ならないらしいです。
しかし、この時は「伊耶那美命が先に「あなたはなんてすばらしい男なのでしょう」といい、つぎに伊耶那岐命が「あなたはなんてすばらしい女なのでしょう」と仰せになった。」
「それぞれ言い終わった後、伊邪那岐命は妻に「女が先に言うのは良くないことだ」と仰せになった。」
つまり、プロポーズは男からするのが良いと言っているのです。
なお、ここにある「まぐはひ」とは、文字通り「目をかわす」ことが原義です。そこから転じて、男女の性交にも用いられたとみられ、古代以降も長く用いられました。
目合ひ 1目と目とを見合わせて愛情を通わせること。めくばせ。2男女の交接。性交。「出で見て、すなはち見感(みめ)でて、―して」〈記・上〉「みとの―せむ」〈記・上〉 デジタル大辞泉 |
天岩戸神話で活躍する天宇受売(アメノウズメ)もまた、エロチックに描かれています。
あまのうずめ‐の‐みこと【天鈿女命/天宇受売命】 日本神話で、天照大神(あまてらすおおみかみ)が天(あま)の岩屋に隠れた際、その前で踊り、大神を誘い出した女神。天孫降臨に五伴緒神(いつとものおのかみ)として従い、天の八衢(やちまた)にいた猿田彦神に道案内をさせた。猿女君(さるめのきみ)の祖神。 デジタル大辞泉 |
□原文 故於是天照大御神見畏、開天石屋戸而、刺許母理【此三字以音】坐也。爾高天原皆暗、葦原中國悉闇。因此而常夜往。於是萬神之聲者、狹蝿那須【此二字以音】滿、萬妖悉發。是以八百萬神、於天安之河原、神集集而、【訓集云都度比】高御産巣日神之子、思金神令思【訓金云加海尼】而、集常世長鳴鳥、令鳴而、取天安河之河上之天堅石、取天金山之鐵而、求鍛人天津麻羅而、【麻羅二字以音】科伊斯許理度賣命、【自伊以六字以音】令作鏡。科玉祖命、令作八尺勾璁之五百津之御須麻流之珠而、召天兒屋命、布刀玉命【布刀二字以音。下效此】而、内拔天香山之眞男鹿之肩拔而、取天香山之天之波波迦【此二字以音木名】而、令占合麻迦那波而、【自麻下四字以音】天香山之五百津眞賢木矣、根許士爾許士而、【自許下五字以音】於上枝、取著八尺勾璁之五百津之御須麻流之玉、於中枝取繋八尺鏡、【訓八尺云八阿多】於下枝、取垂白丹寸手、青丹寸手而、【訓垂云志殿】此種種物者、布刀玉命、布刀御幣登取持而、天兒屋命、布刀詔戸言祷白而、天手力男神、隱立戸掖而、天宇受賣命、手次繋天香山之天之日影而、爲鬘天之眞拆而、手草結天香山之小竹葉而、【訓小竹云佐佐】於天之石屋戸伏汚氣【此二字以音】蹈登杼呂許志、【此五字以音】爲神懸而、掛出胸乳、裳緒忍垂於番登也。爾高天原動而、八百萬神共咲。
於是天照大御神、以爲怪、細開天石屋戸而、内告者、因吾隱坐而、以爲天原自闇、亦葦原中國皆闇矣、何由以、天宇受賣者爲樂、亦八百萬神諸咲。爾天宇受賣白言、益汝命而貴神坐。故、歡喜咲樂。如此言之間、天兒屋命、布刀玉命、指出其鏡、示奉天照大御神之時、天照大御神、逾思奇而、稍自戸出而、臨坐之時、其所隱立之天手力男神、取其御手引出、即布刀玉命、以尻久米【此二字以音】繩、控度其御後方白言、從此以内不得還入。故、天照大御神出坐之時、高天原及葦原中國、自得照明。
於是八百萬神共議而、於速須佐之男命、負千位置戸、亦切鬚及手足爪令拔而、神夜良比夜良比岐。
◆訓み下し文 故、是(かれここ)に天照大御神見畏みて、天(あめ)の岩屋戸(いはやと)を開きて刺許母理(さしこもり)坐(ま)しき。爾(ここ)に高天(たかま)の原皆暗く、葦原中国(あしはらのなかつくに)悉(ことごと)に闇(くら)し。此れに因りて常夜(とこよ)往きき。是に万(よろず)の神の聲は、狭蝿那須(さばえなす)満ち、万の妖(わざはひ)悉に発(おこ)りき。是を以ちて八百万(やおよろず)の神、天安(あめのやす)の河原に神集(かむつど)ひ集ひて、高御産巣日神の子、思金(おもひかね)神に思はしめて、常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきどり)を集めて鳴かしめて、天安河(あめのやすのかは)の河上の天(あめ)の堅石(かたしは)を取り、天の金山(かなやま)の鉄(まがね)を取りて、鍛人(かぬち)天津麻羅(あまつまら)を求(ま)ぎて、伊斯許理度売(いしこりどめの)命に科(おほ)せて鏡を作らしめ、玉祖(たまのおやの)命に科せて、八尺(やさか)の勾たまの五百津(いほつ)の御須麻流(みすまる)の珠を作らしめて、天児屋(あめのこやねの)命、布刀玉(ふとだまの)命を召して、天(あめ)の香山(かぐやま)の真男鹿(まをしか)の肩を内(うつ)抜きに抜きて、天の香山の天の波波迦(ははか)を取りて、占合(うらな)ひ麻迦那波(まかなは)しめて、天の香山の五百津真賢木(まさかき)を根許士爾許士(ねこじにこじ)て上枝(ほつえ)に八尺の勾たまの五百津の御須麻流の玉を取り著け、中枝(なかつえ)に八尺鏡(やあたかがみ)を取り繋(か)け、下枝(しずえ)に白丹寸手(しらにきて)、青丹寸手(あをにきて)を取り垂(し)でて、此の種種(くさぐさ)の物は、布刀玉命、布刀御幣(ふとみてぐら)と取り持ちて、天児屋命、布刀詔戸言(ふとのりとごと)祷(ほ)き白(まを)して、天手力男(あめのたぢからをの)神、戸の掖(わき)に隠り立ちて、天宇受売(あめのうずめの)命、天の香山の天の日影を手次(たすき)に繋けて、天の真拆(まさき)をかづらと為(し)て、天の香山の小竹葉(ささば)を手草(たぐさ)に結ひて、天の石屋戸にう気(け)伏せて蹈(ふ)み登抒呂許志(とどろこし)、神懸(かむがか)り為て、胸乳(むなち)を掛き出で裳緒(もひも)を番登(ほと)に忍(お)し垂(た)れき。爾に高天の原動(とよ)みて、八百万の神共に咲(わら)ひき。
是に天照大御神、怪しと以為(おも)ほして、天の石屋戸を細めに開きて、内より告りたまひけらく、「吾(わ)が隠(こも)り坐(ま)すに因りて、天の原自(おのずか)ら闇く、亦葦原中国も皆闇けむと以為ふを、何由以(なにのゆゑにか)、天宇受売は楽(あそび)を為、亦(また)八百万の神も諸(もろもろ)咲へる。」とのりたまひき。爾に天宇受売白言(まを)しけらく、「汝命(いましみこと)に益して貴き神坐(いま)す。故、歓喜(よろこび)ひ咲ひ楽(あそ)ぶぞ。」とまをしき。如此(かく)言(まを)す間に、天児屋命、布刀玉命、其の鏡を指し出して、天照大御神に示(み)せ奉(まつ)る時、天照大御神、逾奇(いよよあや)しと思ほして、稍(やや)戸より出でて臨み坐す時に、其の隠り立てりし天手力男神、其の御手(みて)を取りて引き出しまつりき。即ち布刀玉命、尻久米縄(しりくめなは)を其の御後方(みしりへ)に控(ひ)き度(わた)して白言しけらく、「此れより内にな還り入りそ。」とまをしき。故、天照大御神出で坐しし時、高天の原も葦原中国も自ら照り明りき。
是に八百万の神共に議(はか)りて、建速須佐之男命に千位(ちくら)の置戸(おきど)を負(おほ)せ、亦鬚を切り、手足の爪も抜かしめて、神夜良比夜良比岐(かむやらひやらひき)。
■現代語訳 天照大御神は須佐之男命の暴れる様を見て恐れてしまい、天の岩屋戸を開けてそこにお引き籠りになった。 高天の原も葦原中国も全て暗くなってしまい、いつまでも夜が続くようになった。そして悪神の騒ぐ声が満ちあふれ、悪鬼による様々な被害が起きるようになった。 八百万の神は困りに困り、天安の河原に集まり、高御産巣日神の子、思金神の思慮をつくさせ対策を練った。 まず常世国の長鳴鳥を集められ、一斉に鳴かせました。(鶏が鳴くと太陽が昇ることから) 天安河の河上の天の堅石と天の金山の鉄を取ってきて、鍛冶屋を探して、伊斯許理度売命に鏡を作るように言い、玉祖命に八尺の勾たまを作るように言いました。(この時作られた鏡と玉が、後に天孫降臨によって高天原から地上にもたらされ「三種の神器」の二つになる。) そして、天児屋命、布刀玉命をお召しになって、天の香山の牡鹿の肩の骨を丸抜きし、天の香山の朱桜を取ってきて、占いをして神意をはかり、天の香山の枝葉の繁った栄木(さかき、榊とは別)を根ごと掘りとり、その上枝に八尺の勾たまを取りつけ、中枝に八尺鏡(やあたかがみ)を取りかけ、下枝に綿と麻の布を取り垂らし、これらの物を布刀玉命が神に献る品物として取り持ち、天児屋命が祝詞を述べて、天手力男神が戸の脇に隠れて立って、戸が緩むのを待ちました。 神楽が始まりました。天宇受売命が天の香山のさがりごけを手次(たすき)に掛けして、つるまさきをかづらにして、天の香山の小竹葉を手に持つ程度に束ねて、天の石屋戸に空笥を覆せて置いた。そして大地を踏み轟かし、神懸った状態になると、胸もあらわに、裳の紐も陰部まで押し下げて垂らした。これに高天の原は揺れ、八百万の神々は共に笑った。 これを天照大御神は不審に思って、天の石屋戸を細めに開いて中から、「私がここに隠れているのだから、天の原も、また葦原中国も暗くなっているはずなのに、どうして天宇受売は歌い舞い、八百万の神も皆笑っているのか。」と申し上げた。 これに天宇受売は、「あなたにも増して貴き神がいらっしゃいました。ですから喜び笑い歌い踊っているのです。」と答えた。こう答える間に、天児屋命と布刀玉命は鏡を指し出し、天照大御神に示し見せました。天照大御神は鏡に映る自らの御身をご覧になって、自分と同じような太陽の神が別にいると勘違いして、びっくりなさいました。 その時、そこに隠れて立っていた天手力男神はその御手を取って引き出し、すぐに布刀玉命が注連縄をその後ろの方に引き渡して「これより中に入らないで下さい。」と申し上げた。 こうして天照大御神は岩屋戸より出て、高天の原も葦原中国も自然と明るくなった。そして八百万の神は皆で協議し、建速須佐之男命に罪をつぐなわせるために、千の台を満たすほどの夥しい品物を科し、鬚を切り、手足の爪も抜き、追放した。 |
ウズメのグロテスクななかにもユーモラスな仕草が目に浮かんでくるようだ。ウズメは天孫降臨の場面でも活躍しており、その折も胸をはだけ、陰部を露出しながら猿田彦に近づいたと、日本書紀にはあります。
天宇受売(アメノウズメ)は、「岩戸隠れ」のくだりなどに登場する芸能の女神であり、日本最古の踊り子(ストリッパー)と言えます
女性器をさしていう「ほと(火所)」という言葉は、様々なところで使われている。スサノオの乱暴によって、機女が「ほと」に杼を突き立てて死んだという話などは、隠微な部類に属するが、もっとも傑作なのは、神武天皇の皇后選定の条に出てくる話です。
―三島溝咋(みぞくひ)の女(むすめ)、名は勢夜陀多良比売(せやたたらひめ)といふ、其の容姿麗美しくありき、故(かれ)、美和之大物主神、見感でて、其の美人の大便(くそ)まれる時、丹塗矢になりて、其の大便まれる溝より流れ下りて、其の美人の富登(ほと)を突きき、爾(ここ)に其の美人驚きて、立ち走り、いすすきき、乃ち其の矢を持ち来て、床の辺におけば、忽に麗しき壯夫になりて、即ち其の美人を娶りて生める子、名は富登多々良伊須々須岐比売命(ほとたたらいすすきひめ)といひ、亦の名は比売多々良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)」といふ |
富登多々良伊須々須岐比売命(ほとたたらいすすききひめ)とは、「ほと」がもとで「あわてふためいた」という意味でもあろうか。何ともユーモアにとんだ挿話ではありませんか。
ところで、現代の関東地方では、女性器をさして、読者もよくご存知の四文字言葉を使う。この言葉は、古語にある「ほと」が転じてできたものなのです。
古代「ほ」は唇を用いて出す音であった。同じく唇音たる「ば」行の音や、「ま」行の音とは、相互に親縁の関係にある。こんな事情から、「ほと」が「「ほほ」となり、「ほほ」が「ぼぼ」となり、さらに「もも」、「めめ」、「めこ」などとなりゆくうちに、今日ある、「おま○こ」の四文字に落ち着いたのです。
話がそれてしまいましたが、昔の日本人は性におおらかであったということです。いやらしさはなく、ユーモラスでさえあったのです。
最近の性犯罪の多発に、何か警鐘を鳴らしているようにも感じてしまいます。
【かってにせんでん部】
ハーブティーは下記のお店「雑貨(Tkuru&Nagomu)で取り扱っています。
http://www.d-kyoya.com/minimarche/
☆ミニマルシェ12月のイベントのご案内☆ ☆ショップ イベント☆... ”お肌にやさしいアロマクリーム作り” ☆ミニミニマルシェ☆ ☆カウントダウンパーティー☆(予定)
店内はすっかりクリスマスモードです。
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したっけ。
セックス・アンド・ザ・シティ (吹替版) | |
クリエーター情報なし | |
メーカー情報なし |
きゅい~ん’ズ再登場!! | |
NOBE | |
DUNIVERSE |
きゅい~ん’ズ登場! | |
NOBE,Jiao Long,God |
いつの頃からでしょうね。
神秘的なものであっても明るく大らかだと
もう少し世の中も変わるかもしれませんね^^
いつもありがとうございます♪
日本民族の起源は沖縄の女性が
美人の方が多くはっきりした顔立ち
は縄文人と弥生人の混血が日本人
の起源で顔のことを言っていました
がいいかげんに聞いていましたの
で沖縄はどちらの顔か忘れました。
今日は朝から出かけて帰ってきても
買い忘れた物があったりと駅伝も最
後まで見れませんでした。
もっと明るくおおらかに話せる雰囲気であれば、ちょっとは変わる気がしますね^^
したっけ。
気がするだけです^^
したっけ。
だから日本人という人種はいないんです^^
したっけ。
プロポーズはやはり男性からがいいです。
やっぱり男からですか。
最近は女性からというのが増えているそうですよ^^
したっけ。
時にはユーモラスですね。
陰湿なニュースが多いこの頃。
文明と共に生活は便利にはなったけれど、
大切なものを忘れてしまったのかもですね。
私が言いたいのは、まさにそう言うことです^^
したっけ。