都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
去年9月末が締め切りであった第57回郷土作家アンソロジー 入選「羆霧」が5月19日(昨日)十勝毎日新聞に掲載されました。
登山パーティーの5人が、霧で停滞を余儀なくされてしまいます。
夜になると、テントの周りをうろつく動物が現れます。
昼間でも薄暗い濃霧の中で、10日余りその動物の恐怖と戦い続けるという話です。
いずれ、時期を見てブログに掲載します。
したっけ。
師匠は「みかんジュレ」を描いてきました。
有田みかんが、丸ごと一個入っていて美味しかったそうです。
それは、私は食べたことがないです。
師匠は、お母様のところへ行ってきたそうです。
なにを言っても無反応で、寂しくなったそうです。
それは、寂しいですね。
私の母はにこにこと反応して、喜んでくれますよ。ありがたいです。
師匠は、畑のほうれん草を間引きして食べたそうです。
果樹園の濃厚みかんジュレ 果汁91%使用。濃厚みかんゼリー 早和果樹園の有田みかん果汁を、贅沢に91%も使用した濃厚みかんゼリー。皮をむいて薄皮ごと裏ごしする「チョッパー・パルパー方式」で搾汁された有田みかん果汁がふんだんに入った、高級みかんジュレです。 天然由来の寒天とこんにゃく粉で固めました 「みかんそのままの味」にこだわり、水は1滴も入れず、果汁を極限(91%)まで使用し、自然素材の寒天とこんにゃく粉で固めて作っています。小さなお子様からお年寄りまで安心してお召し上がり頂けます。 凍らせるとシャーベットにも! 水を一滴も使用していな濃厚なゼリーなので、冷凍庫で半日程度凍らせると、とっても美味しいシャーベットに変身します。(ビンのまま冷凍OK)ゼリーやシャーベット、いろんな食べ方でお楽しみ下さい。 |
師匠! 「みかん」ですねですね。
みかんと言えば、思い出すのはみかん缶ですよ。
昔は風邪をひいたときしか買ってもらえなくて、とても美味しかったですね。
↑師匠が私にくれた絵手紙
私が師匠に送った絵手紙↓
叔母の上の片づけは終わったのですが、相続の手続きやら、生命保険の手続きやら、もろもろの雑用があり、気分が落ち着きません。
絵手紙もたまってしまい、続けての投稿になりました。
もうしばらく、仮営業を続けさせていただきます。
宜しくお願いいたします。
したっけ。
師匠は「独活」を描いてきました。
私が庭で栽培している独活を届けたお礼です
酢味噌和えにして食べたそうです。
師匠はミニトマト7本に支柱を立て、ナス、ピーマン、シシトウを植えたそうです。
風のないのに 動くように見えるので 「うごく」と呼ばれ、 しだいに「うど」になった。 漢字の「独活」の字もそこから。 本来は「生土」の意味で、 土から芽が持ち上がるように 出てくることを表わした名前。 若い芽は香りが良く 食用にもされるが、 花が咲くくらいまで 大きくなってしまったら 食用にもならず、 ”大きいばかりで役に立たない” とのことで 「ウドの大木」の ことわざがある。 |
師匠! 独活ですねですね。
私は酢味噌和えを描きます。
↑師匠が私にくれた絵手紙
私が師匠に送った絵手紙↓
したっけ。
師匠は「タラの芽」を描いてきました。
師匠の弟さんから貰ったそうです。
毎年貰っているようです。
天ぷらにして食べたそうです。
師匠! 私も3年前にタラの木を植えました。来年は少し収穫できそうです。
タラの芽のことを、こちらでは「タランボ」と言います。
最近寒かったので、師匠はミニトマトにビニール袋をかぶせたそうです。
標準和名とされているタラノキについては、名称の由来はよくわかっていない。 別名は数が多く、タラ(楤、桵)、ウドモドキともよばれるが、地方によってはタランボウ、オニノカナボウ、タラッペ、イギノキ、トゲウドノキなどの様々な呼び名がある。中国名は「遼東楤木」[1]。春に萌える若芽は、タラノメ(タラの芽)とよばれている。 新芽が山菜として有名なタラの芽(楤芽)で、天ぷらなどに調理されて食べられる。葉は良い香りがする。 Wikipedia |
師匠! 山菜ですね。
私は庭に経ている「コゴミ」を描きます。
庭のアクセントに、少しだけ生やしています。地下茎でどんどん増えるので、春に増えた分は抜いています。
コゴミは大きくなったら草蘇鉄と言います。
↑師匠が私にくれた絵手紙
私が師匠に送った絵手紙↓
したっけ。
五葉躑躅(ゴヨウツツジ)の花が咲きました。
白八汐(シロヤシオ)とも言います。
毎年葉が展開してから、葉裏に咲くので花が見えませんでした。
今年は、初めて葉が展開する前に花が咲きました。
純白の美しい躑躅です。
シロヤシオ(ゴヨウツツジ) 愛子様のお印として有名なシロヤシオ(別名ゴヨウツツジ、ツツジ科) 岩手県以南の太平洋側、四国にかけての山地の主に岩場に生える白いツツジ。小枝の先に5枚ずつ葉を広げ、白く清楚な花を斜め下向きに咲かせる。葉が5枚ずつ枝につくので別名五葉躑躅(ゴヨウツツジ)とも呼ばれている。「この純白の花のような純真な心を持った子どもに育ってほしい」との願いを込めて、愛子様のお印(皇族のシンボルマーク)としても知られている。
名前の由来・・・「ヤシオ(八汐)」とは、8回も布を染め汁に浸して染めたことを意味し、純白の花の色が布を8回も染めるほど鮮やかに見えることから、「白八汐」と書く。葉が5枚輪生することから、別名「ゴヨウツツジ」とも呼ばれている。 |
したっけ。
黒船躑躅(クロフネツツジ)の花が咲きました。
「いやござんなれ、ペリーさん(1853年、黒船来襲)」と覚えた黒船が語源です。
実際には、黒船来襲より15年も遅く、日本に持ち込まれました。
「黒船躑躅」は6cmとツツジ類の中でも特に大きな花を咲かせることからツツジの女王と呼ばれることもあります。 また、10本ある雄蕊のうち5本が長く突き出し、より華やかな印象の花姿です。
この躑躅は、今年も元気に咲いてくれました。
【黒船躑躅とは】
・中国東北部及び朝鮮半島を原産とする落葉性のツツジ。日本に渡来したのは、ツツジの栽培が盛んだった江戸時代の寛文8年(1668年)。当時「黒船」と呼ばれていた西洋の貨物船によって中国あるいは朝鮮半島から運ばれたため、クロフネツツジと名付けられた。 |
したっけ。
淀川躑躅(ヨゴガワツツジ)の花が咲きました。
八重咲き淡い紫色の花がたくさん咲いています。
八重咲きの花は牡丹に例えられ、ボタンツツジとも言われます。
丈夫なので街路樹として植えられています。
この躑躅は黐躑躅(モチツツジ)なので葉や茎がねばねばしています。
葉が出はめたころ、四十雀が葉にくっついていたことがありました。
しずかに、剥がしてあげましたが飛べずに木にとまっていました。
その後、見えなくなったので、飛んで行ったのだと思います。
チョウセンヤマツツジは対馬(九州)、朝鮮半島に自生しており紅紫色の一重咲きで、その雄蕊が弁化したものをヨドガワツツジ(R・var.yedoense)と云われています。半落葉の低木で4月末に開花(南小国町)し、ボタンツツジとも呼ばれ葉は細長い披針形で葉脈が浮き上がっており、日本へは15世紀頃に渡来したと云われ、チョウセンヤマツツジの変種として登録されています。 ところで九州地方では、ヨドガワと呼ばれていたツツジ群がありました。これは100年位前に、関西の淀川沿いで自生していたツツジ(モチツツジ)を植木市に出荷する時に産地名でヨドガワと名付けていましたので、それから大輪で紅花系統のツツジをヨドガワと呼ぶようになったそうです。現在では、ヨドガワという名前は消滅して、「大輪で園芸的価値の高いもの」をヒラドツツジ(オオムラサキ・ケラマツツジ・キシツツジ・リュウキュウツツジ・モチツツジなど)と呼ぶようになっています。ヒラドツツジという名称は昭和30年代に国立久留米園芸試験場(久留米市)の田村輝夫博士が平戸島のツツジ群を調査したところ多くの品種が誕生しており、それらを総称として名付けられたそうです。 |
したっけ。
灯台躑躅(ドウダンツツジ)の花が咲きました。
白い花が溢れんばかりに咲いていますと言いたいところですが、去年の猛暑の影響で元気がありません。
躑躅は全体的に弱っています。
久留米躑躅は3本枯れてしまいました。
ドウダンツツジの名前の由来は、枝分かれの様子が、結び灯台に似ているところから名づけられたものといわれています。可憐な白い花が咲くさまを、空一面に星が輝く様子に見立てて、「満天星」という字が使われることもあります
無数の白い花に「満点星」の異名も。ドウダンツツジはこんな植物です
ドウダンツツジは、4月中旬〜5月にスズランの花に似たかわいらしい壺形の花を下向きにつけます。開花期は約2週間です。節から車輪状に伸びる枝のようすが、大昔に明かりをとるために用いられた「結び燈台」の足に似ていることから「燈台躑躅(とうだいつつじ)」。このトウダイがドウダンに変じたという説もあります。暖地でも美しく色づくため、秋の紅葉も愛されています。
日本でよく育てられているものは、まず白い花の咲くドウダンツツジ。春に出た若い葉の下に花径8mmほどの花をつけます。道教の神である太上老君が霊薬をつくるときにこぼした霊水が地上に降り注ぎ、まるで満天の星のように輝いたという中国の伝説から、別名「満天星」とも呼ばれています。 |
したっけ。
今回は、「観音様」を描きました。
毎日叔母さんの家に通って、片付けをしながら遺影を見ていたら、観音様が描きたくなりました。
不思議な気分です。
観音さまっていったいなんでしょうかね。そもそも観音さまの教えとはどのようなものなのでしょうか。日頃とても多くの方々からそんなご質問を頂き、私もあらためて考える機会が多くございます。しかし、考えれば考えるほどに観音さまのお姿がいくつも浮かんできて私も困っているのです。「60年近くも仏道にありながらいまだにそんなことを言っているのか」と皆さまからお叱りを受けるかもしれませんね。といいますのも、観音さまには決まったお姿がないのです。
観音さまの教えは『法華経(※1)』と『般若心経(※2)』という経典に主に説かれています。『法華経』では観世音菩薩、『般若心経』では観自在菩薩と訳されていますが、いずれも同じ観音さまのことです。
「音を観る」と書いて観音さま。音とは世の中のすべてをあらわし、観音さまとは見えるもの、聞こえないものも自在に見聞きして救いの手を差し伸べてくださるという意味です。 また、観音さまの「観」は主観、つまり自分自身の心をあらわします。「音」は客観、これは周囲や他人のことですね。つまり、観音という言葉には「私とあなた」という意味もあります。
私たちは主観を通して物事を見ています。向かい合った相手がどのような事を考えているのか、自分は周囲からどのように思われているのか。人間は皆、観音の世界に生きているんですね。ただ、私たちは目に見えるものに影響されがちで、他人の心やこの世の真理までをもはっきりと「観る」ことはできません。そこへいくと観音さまは大らかな視野で偏りなく自由自在にこの世界を観ておられます。これが『般若心経』に記されている「観自在」の意味です。私たちは言うなれば「観不自在」といったところでしょうか。
※1 法華経 : 正式には『妙法蓮華経』 ※2 般若心経 : 正式には『般若波羅蜜多心経』 |
したっけ。
師匠は「鯉のぼり」を描いてきました。
師匠の子どもたちが小さいときに両親は孫のために立派な五月人形を買ってくれたそうです。
しかし、子どもたちは鯉のぼりが欲しいと言ったそうです。
鯉のぼりは買わなかったそうです。
私が子どもの頃は、鯉のぼりをあげましたが、私の子どもには上げていません。
師匠! 鯉のぼりは住宅事情が難しい時代になっていましたからね。
歴舟川 そよぐ400匹 こどもの日 笑顔と歓声 十勝毎日新聞 2024.05.05 【大樹】「歴舟川清流鯉(こい)のぼり」が開かれている大樹町の歴舟川河川敷で 5日、こどもの日に合わせ たミニイベントが行われ た。雄大にそよぐ400匹 のこいのぼりの下、子ども たちの笑顔があふれた。 町と町観光協会が主催するこどもの日の恒例行事。 午前10時の開始とともに大 勢の家族連れでにぎわっ た。木のくいにロープを張って作られた迷路では、多くの子どもたちが出口めが けて駆け回っていた。ふわふわドーム、モルックなど のミニゲームや、スイーツなど飲食物の出店も盛況だった。 いずれも町内の阿部板金 工業とサトウ塗装店による 高所作業車の乗車体験には 行列ができ、多くの家族連れが上から眺めるこいのぼ りの景色を楽しんだ。広尾 町の祖父母宅に帰省した札 幌市の佐藤愛華さん (1) は「高所作業車に乗って、 大きなこいのぼりを間近で見たのが楽しかっ た」と笑顔だった。 (吉原慧) |
師匠!こどもの日と言えば鯉のぼりとともに金太郎ですね。
私は「金太郎」を描きます。
↑師匠が私にくれた絵手紙
私が師匠に送った絵手紙↓
師匠が所属する短歌誌「樹樹」が発行されました。
師匠の短歌と師匠の批評を載せておきます。
したっけ。