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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

印旛沼掘割物語 高橋哲郎著

2015年06月12日 | 福神漬

 

身辺整理でこの本が出てきた。多分野田周辺の本屋で買った気がする。出版社の所在地は流山である。

 天保の印旛沼開拓は浦賀水道を異国船で封鎖されたとき、江戸の物資を運ぶ別ルートとして計画された。このときの工事の目付として戸田氏栄が抜擢された。彼は長い間、幕府学問所で歴史等を編纂していた。

 天保14年工事が始まり、夏には工事が行き詰まり、老中水野と対立した目付戸田は駿府町奉行として転任となった。印旛沼周辺は工事バブルがあった。と同時に工事を担当した大名はその後の財政難で苦労した。

 当時の土木工事では請け負う人達が工事費積算の必要で利根川周辺で和算が盛んになっていたという。日本地図作成した佐原の伊能忠敬も和算を究めた人である。万歳村花香家から房総の和算書が収集され、今は千葉の博物館にある。

 印旛沼工事の失敗で老中水野は解任され、阿部正弘が老中となった。

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