年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

2006年9月以降の築地市場移転会議3

2020年01月28日 | 宅老のグチ
2006年9月以降の築地市場移転会議はオリンピック開催地がリオに決まると移転会議の真剣度と開催頻度が依然のようにのんびりとなった。とにかく水産部仲卸の意見統一は容易にまとまらないと感じていた。有力な水産仲卸は移転してもしなくともびくともしないので消極的態度だったと感じていた。また弱小の水産仲卸が移転費用が多大で将来の見込み出ないので移転には消極だった。道路のように移転の補償金が出ると考えている人もあったようだが新市場に動くだけで融資と補助金があるだけで東京都の方針が知れ渡るとさらに移転反対の運動が強くなった。神田にあった青果市場が大田に移転した前例が基本となっていた。
 2013年9月に東京で2020年オリンピック開催が決まるまでゆったりとした築地移転会議が進んでいた。この間に水産仲卸の幹部が移転推進派から懐疑派が多数となり、青果部も水産部の動きをにらんでゆっくりと進んだ。
 今から思うとオリンピック開催は3兆円以上かかると思うがこれが無ければ今でも築地に残り、老朽化し時代の流れから取り残され遺跡になっただろう。SNSなどの動画で不衛生の状況が露見すればと思うとぞっとする。
 今中国の大都市武漢から新型のインフルエンザが制御できない状況となったが築地だって病気の原因地となることもありうる。東京都が中国のように衛生情報制御してもいつかは漏れる。そのような時代となった。人の移動が安価となり、情報の洩れも早くなった。ただ築地だけが光回線の普及が遅く、時代に取り残されていった。その原因は水産部仲卸の4年に一度の全店舗くじ引き店舗移動という制度からもたらされたと思う。扇型の水産仲卸店舗は盛業時のバブル期は1300ほどあって、狭い店舗は電力不足もあってパソコンが置けず、手書き伝票が優先だった。さらに東京都の条例で荷受けのセリ値の改ざんを防ぐため、手書き伝票となっていて、書き損じとか訂正は東京都に提出することとなっていた。膨大な書類が毎日たまっていた。一番先進的な事例は大田花卉市場だった。そこから荷受けの改革が始まり今に至る。マグロのセリ風景は数少ない昔ながらの市場となる。今はセリをする商材が減り、ほぼ全量に近いものがセリ前に搬出される。
 豊洲のマグロのせり方法の画像でも今でも直接パソコンへデ-タを入れていないようだ。これは水産部の移転混乱の名残かもしれない。ふた昔前は株式の取引は手セリだった。
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