年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

梅カルテル話 後日談

2011年07月16日 | 築地市場にて
梅カルテル話は昨年から情報はキャッチしていたが公取委が取り上げるとは思わなかった。ここ最近の梅デフレは価格の指導や販路の拡大をになっていた功労者達が死去したり引退したりして、情のある取引が消えたということである。紀州情報によると2004年まで南部川村村長の山田氏の努力によって今日の紀州梅業界の発展があった事は誰も否定はしないだろう。日本全国の市町村統合で村と町が統合した時、新しい町長は前の町長が就任するのが普通である。しかし2004年みなべ町となった時(南部川村と南部町の統合)新しい町長が山田氏になった。山田氏は2008年に町長を引退した。彼が行政を担っていたらこの問題は生じる梅価格とはならなかっただろう。
今年の梅価格は熱中症の予防とかで売れ行き好調に付き、高価格で取引されるだろう。全ては需給で決まるのが漬物業界である。
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築地の火事後の風景

2011年07月15日 | 築地市場にて
日本全国の火事場風景で築地市場周辺は全く異なっている。昨夜火事があった付近にブルーシートで覆われていて、誰ものぞく事なく、仕事をしている。野次馬的な人は観光客のみである。それでなくとも消防自動車に業務を妨害されて配送業務が遅れているので火事見物人は邪魔な存在となる。この事は築地市場に芸能人やテレビ局の取材がやってきても酷い人数が集まる事は無い。
7月6日に築地市場内で消防訓練していたが熱中症で倒れるとは余程火元まで接近したのだろう。場外市場の人達のウワサ話は地上げ放火という。
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近火見舞い

2011年07月14日 | 築地市場にて
7月13日の夜の築地場外市場で火事があった。今朝からこのニュースを聞いた都外の人から近火見舞いの電話があった。築地市場内の火事の時も地方の荷主から電話があった。築地は広くうっかりすると情報が外部から知らされることがある。場外市場だって老朽化していて事故があっても不思議ではない。昔の火事で近火見舞いをもらったが日本酒で配る事もできず処分に困ったことがある。
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梅カルテルのコメント

2011年07月13日 | 梅干
梅カルテルのコメントは難しい。梅産地の歴史を知っているだけに共存共栄し紀州梅業界が発展した。しかしバブル崩壊と共に中国梅産地の発展により国内と比較してあまり差のない品質まで中国が追いついてきた。しかし、紀州の梅農家は業者と違って農地を海外に移転することは出来ず、原料梅を低価格に抑えられた。カルテル告発はこの不景気と中国産地の発展の結果ともいえる。
 多分公取が調べても審判は難しいだろう。標準価格リストで購入している事は少ない。農家によってかなり梅干し選別技術差あるという。
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暑くて

2011年07月12日 | 築地市場にて
日本全国節電で
関東東北だけの節電だったのがどうやら日本全国節電になりそうで先進地域である東京は地方から来た客に節電方法を伝授することになりそうである。朝の混雑も早くから混んでいて学校が休みに入る時まで混むだろう。
 ゲーム感覚で節電しなければ。
梅雨明け築地はヒマである。明日は休市で来年は多分夏季は節電のため夏季の水曜日は休みとなるのだろうか?
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タマ切れ

2011年07月11日 | 築地市場にて
例年より早い梅雨明けは強制節電という厳しい状況を複雑化している。家電専門店の扇風機売場はどこも空っぽで人々の行動を急がしている。自発的サマータイム制で早い時間から電車が混んでいて如何に節電に対応しているかが解る。
 いつもの年なら梅干しの販売促進行動が入る時期なのだが昨年の猛暑で梅干しの在庫が少なく、焦って販売すると新物の梅が出てくる時期まで、工場の仕事を無くすことになる。既に何社かは販売抑制しているように思える。営業が営業出来ないことは悲しい。
 新物の梅干しは早くても10月である。
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野望の阻止

2011年07月10日 | 築地市場にて
不透明な原発再稼動で日本全国民が来年以降節電する事となる。財政事情厳しい日本は菅首相により究極の政策が出た。今の日本の国債多発原因は税収が支出より少ないためである。この支出で伸びている福祉の部分を減らす究極の政策が熱中症による合法的な年寄り(65歳以上)抹消政策である。働くことで収入を増やすことの出来ない年金世代はここ何年のデフレで年金額が減るようになった。今度の震災で強制節電は関東東北だけであったが原発再稼動が不透明になって秋以降日本全国節電となるのは必死である。クーラーの普及していない時期を過ごした高齢者は昔のことを思いだしてエアコンの電源を入れない。ここで化石燃料の高騰で電気料金が上がってますます収入を増やすことの出来ない高齢者世帯は電気代節約で夏季節電となる。高齢者の死亡が増えれば、医療費・年金財政が好転する。ここに菅首相の消費税を上げなくとも財政が好転する政策とした原因と思われる。表向き原発再稼動阻止は究極の高齢者リストラ政策である。
 この様な政策に対してクエン酸・塩分を含む梅干で熱中症を防ぎ、政府の野望を阻止するしかない。
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人が増えることは嬉しいことで

2011年07月09日 | 築地市場にて
築地場外市場に7月になって欧米系の外国人観光客の家族連れの人が増えてきた。まだまだ<もんぜき通り>は自転車を乗ったまま通行できるくらいの混雑で以前のように下車して通行しなければならない混雑ではない。徐々に混雑してゆく築地は元に戻るのだろうか。今日のニュースでは芝浦食肉市場で解体処理した福島の牛肉からセシウムが基準以上でたという。まだまだ続く放射能の問題は20日の会議でテーマが放射能ということで市場参加者が多数参加することが予想されている。いつもは参加者が少なく参加を催促されているが冷房の効かない築地市場内の会場はどのようになるのだろうか。暗い寒いテーマ『放射能』ということで市況関係者の団扇<ウチワ>問題となることでなく参加者個人の扇子<センス)の問題となるのだろうか。寒い駄洒落。今度の会議では食品でない花卉の人たちも参加するようである。それだけ市場関係者は不安がある。
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アカンテスト

2011年07月08日 | 築地市場にて
どうやら原発再稼働の問題は政府の方針が定まらず迷走しているようである。原発を廃止して大幅に電気料金を値上げしますと宣言すればよいのに、電気料金は値上げしないで、原発廃止との両立は難しい。電気を使う産業は海外に移転してくださいと宣言すればよいのに雇用確保とかで黙っている。ある程度政府は不都合な真実を語って国民に対策を考えさせねばならない。既に自発的な勤務時間の変更で朝の混雑状況が変化している。
 まだ関東は梅雨が明けていないのに熱中症対策とかで梅干しの売れ行きが良い。今年漬け込んだ梅が製品になるには10月となる。欠品しそうな売れ行きである。
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ヒストリアの中島三郎助

2011年07月07日 | 築地市場にて
福神漬の歴史に出てくる中島三郎助の謎が一つ解決した。天保の改革で西浦賀問屋が衰退し、中島三郎助が塩の中継地として浦賀に水戸藩の権利を回すように努力した。水戸藩は中島の造船知識を必要であったという。勝海舟との軋轢も納得がいった。その様な中島に行徳の漬物商人が北海道まで行って戦死したのだろうか。この点はまだ解決していない。
 幕府海軍は築地市場内で発足した。そして今でも海軍の痕跡が築地市場周辺に残っている。築地ガンセンターは海軍病院跡だし、国土交通省の施設が朝日新聞の隣にあって海図等を作成している。7月7日は波除神社で星祭りがあるが神社から銀座へ向かう通りは昭和通りからみゆき通りとなっていて昔明治天皇が築地の海軍を視察する時通った道から命名されたという。
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築地場内散歩

2011年07月06日 | 築地市場にて
休市なので築地市場内の散歩を久しぶりする。場内寿司屋の人達も以前と違ってヒマそうである。水産部駐車場にある幕府軍艦操練所跡の掲示を探しに行くが見当たらず。築地市場は日本海軍の発祥地でもある。築地だから隅田川水運を使って食品を運ぶことが出来るので行徳から漬物が来ることは可能である。
これから中央区の郷土資料室で調べるのだが食べ物の文献は少ない。
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漬物は軍需物資

2011年07月05日 | 福神漬
疑念
函館千代ヶ岡陣屋での戊辰戦争最後の戦いで元浦賀奉行与力中島三郎助が無くなった。その時千葉行徳の漬物商人喜兵衛も同日同陣屋で亡くなっている。
 この事は今まで浦賀と行徳の塩の関係で函館に喜兵衛が行ったと思っていたが中島三郎助が築地の隣の浜御殿(今の浜離宮公園)で与曾八を生んだ。(浦賀与力中島三郎助伝・木村紀八郎著)木村摂津守との関係で浦賀から呼び出されて海軍伝習の業務に復帰したようである。明治元年には軍艦役となって築地周辺にいた事となる。
 喜兵衛は幕府御用の漬物商人だったので軍艦納めの沢庵漬とか梅干を納品していたのではないのだろうか。漬物商人の戦前は主な得意先が軍関係であった。(一般人は漬物を購入することは無い)維新となり浦賀奉行が廃止となり、中島が蝦夷地に向かう決心をしたころ、幕府納めの漬物商人は失業し、夢のある北海道行きを決断したのではないのだろうか。行徳付近には喜兵衛の文献・伝承はなく、ただ石井研堂の明治事物起源に喜兵衛の名が残るのみである。もし行徳塩業と浦賀与力との関係があれば地元に喜兵衛伝説の無いのが不思議である。
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ラマダン明け

2011年07月04日 | 築地市場にて
イスラム教文化圏では日中飲食の出来ない1月を断食月(ラマダン)というのがあります。今の東日本の強制節電は中身が異なっていても実態は苦痛を伴うので良く似ています。
 電力不足はこれから何年も続くと予想されるので試練の始まりかもしれません。この様な困難を行事に変化させるのも日本文化です。暑い京都で祇園祭りを行うのも縁起があります。9月23日は罰則を伴う強制節電の終わりです。自由に電気を使用できる『節電明け』となります。3.11の帰宅困難話と共に強制節電中の色々な話を語る祭りとなるのだろうか。
築地市場の不景気ラマダンはまだ日程は決まらず、終わりは無い。
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西浦賀の塩問屋

2011年07月03日 | 築地市場にて
浦賀奉行
海の関所の役割を果たしていた下田奉行所から浦賀奉行所と移転となったのは享保五年(1720)のことである。急に示された奉行所の位置案は西浦賀・東浦賀に混乱をもたらした。特に干鰯問屋(干した鰯を肥料に用いる)で繁盛していた東浦賀の町民の反対は強く、結果として西浦賀の奥まったところに浦賀奉行所が設置された。下田から63軒、西浦賀が22軒、東浦賀が19軒と全部で104軒の廻船問屋が設置された。彼等は浦賀奉行の船番所の下働きの機能を担っていた。水野忠邦の改革で問屋は一時禁止されましたが、東浦賀の干鰯問屋は復活したが西浦賀では塩問屋の復活の交渉に浦賀与力たちの力があったようです。

函館で戦死した中島三郎助は妻や遺児の行く末を浦賀の塩問屋に依頼したのはこのような事情があったようです。

神奈川県横須賀市浦賀愛宕山公園に中島三郎助招魂碑がある。この碑は中島三郎助の23回忌ということで建設計画がなされた。西浦賀の疲弊した嘉永年簡に中島が塩を西浦賀で扱えるように努力した。このことから西浦賀の塩問屋と中島の関係が始まった。
 函館の最後の戦闘前。中島が家族の将来を浦賀の塩問屋大黒屋臼井儀兵衛に依頼したのはこの様な関係があった。
 関東における塩は行徳の塩とあるときには競争となるが天保の改革までは表向き棲み分けが出来ていたようにみえる。天保の改革で株仲間が禁止され塩問屋が混乱したと思われる。行徳の塩と浦賀との関係はどのように変化したのだろうか。
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評伝・中島三郎助

2011年07月02日 | 福神漬
義に死す最後の幕臣-評伝・中島三郎助
松邨賀太著
戊辰戦争最後の組織的戦闘だった函館千代ヶ岡陣屋で中島三郎助は戦死した。中島の留守家族の世話をしたのは西浦賀の商人であった。東浦賀が干鰯の専売によって繁栄していたが西浦賀には有利な商材は無かった。そこで西浦賀の商人たちは中島三郎助の力を借り、水戸藩と交渉し、塩を扱うことで大黒屋臼井儀兵衛は繁盛した。瀬戸内の塩は浦賀・行徳塩業者とも関係が生じてくる。ここで幕府納入漬物商人喜兵衛となんらかの関係が中島三郎助とあったように思える。しかし行徳には喜兵衛の資料はなく、ただ石井研堂のところに出てくるだけである。石井は何処で喜兵衛を知ったのだろうか。
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