年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

評伝・中島三郎助

2011年07月02日 | 福神漬
義に死す最後の幕臣-評伝・中島三郎助
松邨賀太著
戊辰戦争最後の組織的戦闘だった函館千代ヶ岡陣屋で中島三郎助は戦死した。中島の留守家族の世話をしたのは西浦賀の商人であった。東浦賀が干鰯の専売によって繁栄していたが西浦賀には有利な商材は無かった。そこで西浦賀の商人たちは中島三郎助の力を借り、水戸藩と交渉し、塩を扱うことで大黒屋臼井儀兵衛は繁盛した。瀬戸内の塩は浦賀・行徳塩業者とも関係が生じてくる。ここで幕府納入漬物商人喜兵衛となんらかの関係が中島三郎助とあったように思える。しかし行徳には喜兵衛の資料はなく、ただ石井研堂のところに出てくるだけである。石井は何処で喜兵衛を知ったのだろうか。
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