年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

6月の年金支給日は他人の人生観を知る日

2024年06月15日 | 宅老のグチ
年一回の年金支給金額の葉書が6月に届く。おおよその金額は報道で知っているが一応開けて確認する。そこでユ-チュ-ブ動画の年金受給者とそのコメントを読んでいると、金額よりそれぞれの想定する生存年数が誰も話していないことに気が付く。ガンのような病気以外は自分の死というものは人前では話さない。意識するのは病院のベッドの中で、自分の死とその後を考えるが退院するとすぐに忘れる。
 年金の仕組みを考えると65歳の支給開始日から繰り上げ出来るが、70歳位までに亡くなると想定される人は早めに受給したほうが良いと思う。しかし不明なら受給を早めるより、体力を維持し65歳の受給を考えたほうが良い。そこで受給を遅らすという制度から75歳まで伸ばすと、65歳からの年金が1.84倍になるという制度が出来た。でもこの制度は最低でも87歳まで生きる自信が無いと薦め出来ないので、統計では65歳からの年金受給を遅らしている人は1%という。つまりこの受給を遅らすという制度の欠陥があるので実際は12年長く生きると恩恵が生じる計算がもっと長生きできると想定する人しか薦めることは出来ない。この1%の年金支給を延期した人は自覚して延期したのか不明で実際は支給届を出さない・忘れた人もあると思う。
 年金制度の始まりは、戦前の軍隊で亡くなった人の遺族保護から始まっていて、制度自体は毎年の様に変化していて、社会保険労務士の先生に聞くと、チョット前の知識で有利不利を考えてはいけないと言われた。それで40代の人が年金制度の不満を若い人に伝えて、国民年金未納を選ぶ人が目立つ。でも民間の保険に入る人がいて、国が倒産して企業が生きることはあり得ないと言ったことがある。
 多くの人は高齢になると自営の仕事以外は閑職か無職となる。そこで家で家事という仕事に従事することになるが仕事人間は給与の出ない仕事を無視していたため苦労し、体調を早く壊す。この自主規制という規制はかなり難関で規制から逃れてもうるさく言う人が家人しかいない。そこから気まずい空気が出る。年々劣化する体力に加えて75歳になると同年代の男性の40%近くがすでに亡くなり、さらに健康寿命を超えているので、話す話題が介護情報となる。同じ話の繰り返し。
 人生の終わりは超格差生活になって、徐々にしおれてゆく草花の様に枯れてシワだらけになって、ゴミとなる。動く粗大ごみは言葉を話すので厄介者となる。江戸時代の厄介は家名の維持者として期待されていたが今の厄介は不良老人と見なされる。そこに認知症の確率が上がって、先行きがどうしても暗くなる。ここに救いがあって男性は女性より早く亡くなる。日本の女性長寿は金銭が少なくても生きられる制度となっていて、この点が欧米の長寿の研究者が見落としていると思う。
 ある93歳の女性が1年前に歯をインプラントで直した。何か数本を処置したようだ。今年も台湾に行って、特攻の講演をして、体調を壊し寝込んだという。また昨年は大腿骨を骨折し、金属も入れ、リハビリして復帰した。まだまだ生きる気が十分な女性である。まだ免許更新の意欲があって、近距離は駅まで乗って行って駐車場に車を入れ、電車に乗って都内のコンサ-トに出かけている。とても90歳を超えているとは思えない。運転免許の高齢者教習の記憶力のテストの点数は驚いた点数だった。
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日本では迷惑をかけないで死ににくい

2024年06月14日 | 宅老のグチ
75歳を過ぎると、暇なせいか死の事を良く考える。まだやりたい、自分しかできないことが多数あってバタバタしているが寝付けない時に時々思うことがある。それは高齢者向けの葬儀費用保険宣伝で考え込んだ。単純計算すると圧倒的に不利な保険設定であるのに、ずっと宣伝が続いている。ということはある程度売れているのだろう。昔は葬儀と言うと大人数で見送りした。それが高齢者が増え、介護施設に入った人も増え、交際範囲が激減していて、さらに長生きのために葬儀の香典も金額が減っていると感じる。年少の頃から葬儀の席に家族の代表として参加し、さらに仕事についてから得意先の葬儀の受付、金銭担当者にもなったこともある。今の葬儀の香典の相場は判らないが、葬儀の香典で一番低い金額が3千円だった記憶がある。このことを葬儀会社の人に聞くと香典返し等の事から来ているようだ。葬儀ほど地域の風習が残っている。反対に結婚式は若い人の情報収集で都会風の結婚式風景で親の財産を結婚式場が搾取する。一度三浦半島を観光に行っていた時、丁度葬儀の帰りの人達にぶつかったことがある。大きな荷物を持っていて、香典返しと思った。
 遺伝子というのが写真を見ていると良く理解が出来る。似ている似ていないは出生時の時から話題となる。それでも生まれか育ちかと言われれば自分は育ちと言いたい。親から引き離されないと生まれと育ちは同じであるが、。引き離された時の状況が育ちによって、運が良いと思うか不運と思うかが差が出る気がする。日本は災害の多い国で一瞬にして親子の生死が分かれることが毎年あるし、車の事故でも親子の別れは毎日報道されている。
 今までの多くの宗教は死の問題で存在感を出していた。ところが長寿と言うことに対処している宗教は自分が知っている限りキリスト系しか見つからない。100歳を超えて亡くなった母は95歳を過ぎて耳鳴りが酷く、早くお迎えが来てほしいと願っていた。さらに認知症があって対処に困ったこともある。この超高齢者は宗教の介護施設は無いように感じる。どんな聖人でも超高齢者になれば、オムツの世界で介護者を悩ませることが想像できる。臭いものは臭い。でも赤ちゃんのウンチは臭くても手でつかむことが出来る。ところが他人の赤ちゃんのウンチは汚いと思った思い出がある。愛犬のウンチは許され、道の知らない犬のウンチは汚い。
 日本では悪人でも成仏できる宗教がある。それゆえ権力者から迫害されて死んだ人が怨霊となって、生きた人の頭の中に復讐する。そこで後日談が生まれる。多くの江戸時代の歌舞伎はこの様な筋が当たり狂言となり伝わる。忠臣蔵は最後に切腹と言うことで、江戸庶民の不満があったと思われ、次々と関連の芝居が生まれた。

 表面の弾圧を避けて、次々と対抗策を人は考え出す。
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年寄の『ポケモン GO』的歩き方

2024年06月13日 | 宅老のグチ
耐力維持のため、天気の良い日は外を歩く。ただ同じところを歩き回る動物園の猛獣から人間を見るとどう見えるのだろうかと一回考えた。多分動物の中で一番凶暴な動物と見えるかあくせく働いて、食の不安のない檻内 (母胎内」から出て、呼吸をするためおぎゃあと泣くのだろうか。

 シルバ-パスを利用して、バスの最後尾の席の左側に乘る。そうするとバス停表示が良く見える。右に座った時は風景が良く見える。普通は始発のバス停から終点まで乗るが、見るのは風景と人の動作。どこのバス停が乗り降りが多いか気になる。多くは駅と病院。でも自分の目的は漬物の文献の根拠の確認でいつも雑念で時間をつぶす。行きと帰りを別道を選べば、見る風景の異なる。坂は例外で昇りと下りは見える風景が異なり、記憶も異なる。昇りの道の視界は狭く、下りは遠くまで見える。富士見坂という地名は記憶のもたらす地名だろう。
 三回連続図書館が訪問先で閉まっていた。都営浅草線押上駅で降りて、墨田区立曳舟図書館へ行ったら休み。ここは墨田区の中央図書館的な郷土資料がある。さらに押上駅から曳舟駅に歩いてゆくのだが、次の震災で東京でも一番危険地域として指定されている京島地区は徐々に区画整理されている。昔ながらの家並みは震災・戦災・空襲を逃れていた家並みがあって、仕事していた時。この地域は危険と思っていた。海抜表示はマイナスの所もある。
 曳舟図書館から次の行き先を考えると、戻るにはつまらないので、墨田川へ向かって歩いてみた。糸-ヨ-カ堂の店を過ぎて、都立隅田川高校を通りすぎ、出会った地域の地図で現在位置を確認する。この地域は西へ向かうと普通の都市の風景だが東に向かい、見上げると東京スカイツリ―が見えて、おおよその位置が頭の中に描かれる。
 隅田川の土手の前の道に首都高速が見え、付近の地図で榎本武揚旧居跡の案内板を見に行く。細い道は正面にスカイツリ―を見ながら進む。彼は明治38年から明治41年までこの付近で生活していた。榎本と勝海舟は福沢諭吉に生き方を批判された人でもある。今調べている台湾で戦病死した北白川宮能久親王は実に評伝を書きにくい人と感じる。榎本を過ぎて、小学校の所に依田学海旧居跡の案内板を見る。この人の本で留守居役の接待の様子が理解出来た。福島事件被告人花香恭次郎が生まれたのが身分不詳の女性で歴史家は書けない人物のようだった。このことから留守居役の接待の場に駆り出させる芸者等の女子と見ていたが文献には無く、様子が判らなかった。多分男子が生まれて引き取ったと思われる。脱線調査で知った依田学海は面白い人で交友関係が広い。向島には愛人と住んでいて、学海の日記が二種類あって、向島の日記は漢文で書かれていて、愛人に読まれても多分理解は出来なかったと思われる。両方の日記は今図書館で読むことが出来る。

『ポケモン GO』は、位置情報を活用することにより、現実世界そのものを舞台としてプレイするゲームです。今やっている街歩きは予備知識を少し入れ、街を歩く。地域の歴史が記載されていて、自分の知識のない所を歩く。東京には文士村という呼称のある村があった。そこに次代の作家が集まり、文化の村が出来る。今でも文士村が生まれているのだろうか。本屋の無い町が増えていて、消える文化の最後のきらめきかもしれない。
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都知事の築地は政争の具だった。無駄な年月だった。

2024年06月11日 | 宅老のグチ
2024年都知事の選挙がある。この知事選挙の混乱で築地市場移転が人生の退職を遅らした。食の政争の番外地と当初は思っていたが、東京都という日本の中央市場という性格は他から見ると別格扱いされていて、些細な不祥事でも新聞記事となることを知ると、やんちゃなアルバイトも高齢者の築地人に期待され、築地の仕事から卒業して行く。学歴不問・反社の経歴も再度が無ければ良。ただ早朝の無断欠勤は厳罰、交代要員の少ない築地は体力要員が求められていて、バブル時の築地は高齢の人が日本人で、若い人は異国人という。今考えると不思議なところだった。そこから神田青果市場と築地市場の移転話があって、結果として築地が残り、神田は大田に移転し、青果市場として大田は日本一の市場となった。その理由は広さと量販店との対応が出来たことになる。
 バブル時の築地の混雑は今でも考えられない大渋滞を周辺にもたらした。築地4丁目交差点を中心にして深夜から渋滞が年末恒例となり、特に翌年度の大蔵省の予算復活裁定時に、霞が関の陳情しに来た人を驚かせていて、桜田門の警視庁もなすことが出来ず、その下の築地警察署が交通安全週間の期間で市場の講堂で講習会があって、挨拶の冒頭で渋滞への対策お願いをしていた。色々な行政の講演会が築地市場の大講堂でおこなれていて、否応なく食の日本代表意識が育ってゆく。一応東京都の代表市場は築地の様で、ごくまれに都庁の会議室で会議があった。それは危機管理の一部で市場が管理する訓練をする部門だった。結構青果に関して、残留農薬の問題のメ―ルが来ていた記憶がある。これにも違和感があって、日本産は何々県xx市農協のxxと違反農産物の流通先の調査がある。ところが外国産だと産地情報が大雑把で真面目な産地も区別できない。そして違反記録が残る。これには時効が無い。
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食の話題の戦後史の本

2024年06月10日 | 宅老のグチ
雨で始まる月曜日・新聞休刊日
味なニッポン戦後史 著者名 澁川 祐子
 戦後の食の変遷から今の食の話題の変遷を知る。この変遷を知ると日本人の食情報が実に他の人の言動で左右されることを知る。いまは脂肪味の話題が多いがこのことの検証にはまだ時間がかかりそうだ。なぜ脂肪味ということ、トンコツラ-メンから来ていて、この人気が欧米人の来日動機が寿司を上回っている。やはり日本は寿司と言っても、生魚食文化が無い国では、魚食の流通が整備されないので、ほぼ冷凍か塩漬の魚から来ている食文化。そこにビ-ガンという宗教に近い信念の食文化が魚でも生き物扱いされ、寿司を嫌う。そこで妥協の日本食がラ-メンとなり、さらにビ-ガンの範囲を緩めて、トンコツラ-メンに行っているように思える。おいしいものに日本と言うことで許されているか旅の恥のかき捨て心理か、旅の冒険・経験の様にラ-メンに向かっているように思える。ビーガン・ベジタリアンの概念は厳密には宗教の様に見えるがかなりビーガン食・ベジタリアン食にはまる人は多い。さらにイスラム系の食も日本で食べることが出来ないものもあって、日本人の宗教と食の関係が明治維新の肉食解禁後の歴史が浅く知識が不足している。そこにヨロズの神の存在が宗教をあいまいにする。日本の統計では宗教人口(1億8千万人)が国勢調査の人口より多いし、クリスマスのセ-ルの盛大さがキリスト教信者数(1%文化庁の資料)が圧倒的に少ないことを知ると日本の統計は中国並みの統計操作と思ったこともある。
 この節操のない日本人が食の文化の戦後史にもあって、その変遷を知る食のウンチク本と感じる。欧米では素性の知らない人と会話の話題は車と女性と言われるが、日本では食の話題が無難と思われる。
 この本では日本の女性は甘い物で欧米の女性も甘い物で共通しているが、男は欧米では強さの象徴で肉類で日本では酒という。タダに日本人は遺伝子に酒のアルコ―ルを分解する遺伝子を持っている人が欧米より少なく、路上で寝ている姿が知られている。盗難が少なく、治安がいいので路上で寝て始発を待っていると思っていないようだ。

 NHKの朝ドラの虎に翼を見ていると昭和22年の日本の食事情が解かる。法規範を守ると都市では餓死する。そんな時代からコメ余りとなり、餓死することを忘れた日本人は生きるための食から自分の脳のための食に変わり、次々と食情報の変化で肯定されたり否定されたりして変化して行く。多くは今でも良いとも悪いとも結果は出ていない。多くは政治・経済・商業誘導の広告によってもたらされている。
 今でも長寿世界一の日本の女性は学問的に納得のゆく長寿の見解が出ていない。男女差別が先進国で一番と言っても良い日本女性の長寿は不可思議の世界にまだある。誰が解明できるのだろうか。
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本当の人生は75歳から始まるかもしれないと思うようになって来た

2024年06月09日 | 宅老のグチ
日本の敗戦後に生まれた団塊の世代が75歳を超えて、愕然とした様子が彼らのブログやユーチュ-ブの動画で見ることが出来る。その意思表示は加工されていても、同感する部分があって、75歳は節目の年であることを感じる。
 厚生労働省の統計で75歳の平均余命が令和2年で男性が12.56歳、女性が16.22歳となっている。表面上では、男性は75歳の時点でまだ13年程生きられるからと思うが、いざ銀行ロ-ンを計画し、死亡時に生命保険で迷惑をかけないようにと思うが、生命保険の加入できる年令ははるかに若い。宣伝している葬儀費用の生命保険も300万円程度で、この保険の内容は保険に入ってすぐ死去した人しかほぼ無駄な保険で詐欺に近いとおもう。この様な現実を知ると不動産取得で勝ち組という高齢退職者も家族の構成と地域の変化で転居を考えるとロ-ンが組めない現実に驚く。仮に担保物件があっても、相続の問題で銀行で単独では無理と感じる。75歳は会社社会と分断されていて、将来の計画は現金が無いと自己の所有する不動産を処分し転居することとなります。これはロシア人形のマトリョーシカのようで転居するたびに家が小さくなる。

ロシアの代表的な民芸品、マトリョーシカは木製人形です。 胴体の部分で上下に分割でき、中には少し小さい人形が入っています。 これが何回か繰り返される「入れ子」構造になっており、次々とお人形が出てきます。つまり転居するたびに資産が小さくなってゆきます。これが75歳以上の現実で最後は畳1枚の広さのベッド生活となる。それ以前の高齢者の有料施設の宣伝でも43平米程度で、単身ではもっと狭い。共同部屋ではさらに狭い。日本では高齢者の不動産の勝ち組は存在しない。あるのは先送り。谷中墓地で日本史に残る人の墓が無縁となり、東京都の公示があった。江戸時代の高名な儒者の墓もほぼ無縁に近い。
正岡子規はフトン一枚で結核の末期を過ごし、新聞日本にコラムを書いた。フトン1枚では頭の中は広い。
 子規の病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。僅わずかに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団ふとんの外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。

 75歳の後期高齢者は日本の近現代歴史で最も平等な世界で間も無く死ということに対峙する。何もしなくても世間的には保護される。ここがうっとしいのが生きる目的が消えた人で死というのが自死以外は他の人を犯罪者にする。自死でも他の人の心を傷つける。なぜ死に急ぐのか。遅かれ早かれ人は死ぬ。
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開国後の金・銀の交換比率

2024年06月08日 | 宅老のグチ
学校の教科書歴史で日本の開国後に物価が急上昇し、幕府への不満が増え、討幕の原因の一つとなったと教えられた。開港した港が少なく、輸入する物も幕府の言うように自給自足の日本では物価が急上昇すると思えず、そこで歴史学者が海外の金と銀の交換比率と日本の交換比率の差で金の流出があった。このことに気が付いていた日本人がいて幕府に捕縛され石川島人足寄場に投獄された人がいる。明治の豪商高島嘉右衛門である。この嘉右衛門の評伝を読んでいて、なぜ日本の物価が急上昇したのかが合理的な説明が学校では知ることは出来なかった。最近日本銀行本店の近くに貨幣博物館を訪問し、やっと幕末の開国後に物価が急上昇した理由が理解できた。
 金と銀、特に洋銀との交換比率の差で日本の金貨(小判)の流出が起きて、幕府は急遽金の小判の改鋳を行い、金の含有量を減らした。このことで市中の金の小判の価値が下がり、物価が日本全体で急上昇したようだ。やはりお金のことは日銀と思った。
 貨幣博物館は日本橋三越本店付近にあって金座があった地域という。そこでふと思い出し昭和天皇御即位60年の記念10万円金貨を思い出す。一時金相場が10万円金貨より低くなり、偽金貨が出回って、銀行に鑑定を依頼した事例があった。今は金相場が異常に高く、主にウクライナ戦争と中国の富裕層の不安から不動産から金投資に向かっているとおもう。そこで日本の古銭買取の相場をネットで検索すると10万円金貨は3種あって、高いものは367000円、安物は245000円で取引されているようだ。昭和の末期の発行なので、日本ではほぼ金利の無い時代で、金投資は盗難が無ければ良いのだろう。酒の文献を読んでいた時、中央区新川の建築現場で、埋蔵された小判が見つかった。江戸の火事にも強かったと思う。
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2024年5月の自動車登録の数字から

2024年06月07日 | 宅老のグチ
自動車の数字について、自分自身は普通の人より知識が無いことを自覚している。それでも数字の表面から見ると、国産車の台数は昨年の半導体部品不足と型式認証の不正、もしくは基準と合致しない検査が不正と見なされて生産中止となっていた影響がみられる。今月でもほぼすべての国産車の不正摘発があって、何か学校の時代に合わない校則から、徐々に緩んだ服装に見える。校則が悪いのか、時代に合わないのか、またまた日本の良くある長年の間、不都合もなく過ごしていて、今頃なぜ見直すのかということもあるだろう。この姿勢は不都合があっても憲法改正の機運が出ないと同じ思考と見える。
 多分というより自動車業界で検査の仕組みが自社だけでなく、販売先の国でも同様の検査の仕組み無いと無駄と思う気持ちがあると推測する。
 5月の自動車の国産車(この定義は知らない・統計に出ているので)では台数で圧倒的に軽自動車という分類の車が多い。次に輸入車の分類で、ヨーロッパ系のブランドが多いが前年比8%少ない。これは何の影響があったのだろうか。気になっていた韓国・中国車の台数は、あれだけ両国のマスコミが日本での発売状況を宣伝していても、実数は誤差の範囲と思われる数字で、一応前年比500%以上と数字で驚くが全年の台数が展示車数位で話にならない。今月から靖国ペンキユチュ-バ-事件でますます安物通販以外は中国産高級商品は産地偽装しか売れない気がする。輸入車でも欧米ブランドなら日本人は中国産でも市中でいたずらされない。
 中国のBYDの自動車は動画で見ると、動くカラオケ室か映画館の様に見える。この車は渋滞の時に役に立ちそうだ。そこで足りないのが車内のトイレと思う。この車用のトイレは中国車にはまだ無いようだ。もちろん日本車にもない。それは高速・拘束道路から降りると日本ではコンビニで用を足すことが出来る。
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少子の対策・ 卵子の凍結保存しか思い浮かばない

2024年06月06日 | 宅老のグチ
また少子のニュ-スでもう日本は20年以上前から少子の対策をしていて、効果が無い。まだやれる政策は高齢保守派の嫌いな同性婚、夫婦別姓などあるが、しかし効果は少ない。
 法的に問題のある卵子の凍結保存しか思い浮かばない。これも本人が死去してから生まれるという事例もあって、相続が安定しない。
 敗戦後の日本が食の確保や医療の状況が悪い時に、多くの子どもが生まれた。この世代が団塊の世代と言われる。今の研究では本能による子孫生産と見ているようで。多産は多死の状況からくる。先進国が少数に死によって多産の本能が消えたのだろうか。
 少子が日本で少子を騒ぐのは言論で社会を維持する海外諸国と違う日本、暗黙の合意で平穏を保つ日本が移民の人でかき回せられる未来を心配をしていると思う。
そこに全体を見ていない、見ることの出来ない日本の報道・言論が、見た目の悪い仕事を異国人に任せ、日常生活を維持していることを知らない、知らせない、知りたくないことから来ている。
今の野菜生産から重量野菜は外国人労働者の支援が無ければやってゆけない。工場生産の野菜は高価で天候が順調だと多くの工場野菜企業が消える。介護のような事業も人手が必要で、ロボットでは一部しか補填できない。そんな日本に来る異国人の底辺労働を担う人への尊敬が無ければ、虐待が始まる。それを嫌うなら自分の両親の介護は自分でするしかない。実母の死で親ガチャの一種の4人の親の死の早さも加わることを知った。早すぎたら幼少時に苦労し、学歴が無いことになり、親がいつまでも生きていると自分の老後が介護で終わる。介護は親の死で終わるから他の人の前例とはなりにくい。伝えにくい。評価しにくい。
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上野繁昌史・続編から 上野観光協会編

2024年06月05日 | 宅老のグチ
台東区の図書館郷土資料室で、時間切れで上野繁昌史の続編を読みそこなって、近所の図書館で借り出した。台東区で読んでいた時は、下谷・上野の人は江戸時代からの住民が多く、寛永寺の恩恵の記憶が残っていて、明治の初めから終戦までの維新史史観によって、うっぷんが貯まっていて、普通の地域の史観とは離れている。さらに続編はほぼ彰義隊の逸話の話で、事実検証は難しいが言い伝えとして広く知られている。これには明治の言論機関が旧幕臣知識人が多く、さらに江戸東京の出版関係が神田周辺にあったこともあると思われる。
 この続編は見出しから、彰義隊の部分が多く、小説風の話が多い。敗北した東軍・彰義隊の武士たちの想いが伝わる。
 多くの上野本は下谷の人達と上野寛永寺の僧たちとの交流が伝わる。そこには相互の依存関係がみられ、特に池之端の商人たちは、幕府の認可だと思うが寛永寺の掃除で不忍池の土手に茶屋を設け、営業して繁華街となっていた様子が解かる。江戸時代は風俗が乱れると、規制が厳しくなり、掘っ建て小屋の茶屋は簡単に撤去される。そこで再復活となるのだがその口実で寛永寺の知恵が必要となり、寛永寺としては広大な敷地の掃除、桜の花見の後始末等々の利権、寛永寺御用という権威付けもあったと思われる。福神漬の文献で酒悦の店名は輪王寺宮から頂いたという話もある。
 多くの上野周辺の商人は時代の変化と幕府の規制と緩和で老舗がきえ、新しい文明開化の影響のある店が繁盛する。今の令和でも起きているアメ横の変化も激しく、魚店が減り飲食店が増え、観光客用のホテルも激増し、それに伴う風俗街も変わりつつある。この変化は想像以上に早く、記録を残していないと時代・時期の整合性がとれないのでAIの誤検索を訂正できない内に多数事例となる気がする。どこかで元祖とか日本初と言っても検証が出来ないこともありそうだ。
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都知事の選挙は世界へ見せる日本の現状

2024年06月04日 | 宅老のグチ
駅前で自分の名前や公約を連呼するだけのアナログ選挙を日本で行っていることを増えた外国人が動画で撮っている様子が見える。多分日本語と内容が判っていないので、動物園の猛獣が檻の中でわめいていると見物人が見ていると同じとおもう。もうネット選挙に向かうべきで、公約改変できないように.
世界に知らせる騒音選挙妨害は中国人による靖国神社トイレ落書き騒動と同レベルの日本の今を表す。これは中国強権政権の正当性を強調しそう。これだけの表現の自由があるということ。これは安静にしなければいけな虐待かもしれない。パチンコ屋の営業は学校周辺は出来ないと同じように、住宅地は騒音レベルの規制が必要な時代でネット公約をもう少し自由化すべきである。テレビでの政見放送は見る時間の制約がある。
 都知事の選挙は駅前しか選挙カーがたむろしない。多くの人は動員された政党支持者で本当の有権者の希望は何処に吸収され、政策に生かされるのだろうか。多くの事例から人が亡くなってから対策が進む。
青島知事から石原知事まで連続当選した都知事は仕事慣れで、あまり都庁へ出勤していなかった記憶がある。小池知事の勤務はどうなのだろうか。都の仕事で今は高齢者問題で健常者を維持しないと、地方都市の様に土地が安くなく、介護者の給与もたかい。残るのが小中高の跡地で、これから耐震工事で学校跡地に特養を作るしかない。保育園はもうじき余る。
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目覚まし代わりの携帯の緊急地震速報

2024年06月03日 | 宅老のグチ
朝うとうとしていたら、携帯が騒いで、思わず立って、様子を見るが揺れない。チョット後で北陸の震源地という情報。またもや連続地震で小さな地震でも連続すれば新耐震基準の建物でも倒壊する恐れが増えるとしった。恐るべし日本の自然災害。
 落ち着いてNHKのニュ-スと天気予報。東京は昼間は晴れそう。ついでに虎と翼。GHQが出て来る。テロップで昭和22年と言う。叔父の遺品・遺書が消えた、消された時期と推測している時代でGHQがどのように思われていたかが知れる。多くの80代以上の人の記憶がある時代とおもう。GHQの最高司令官マッカーサーと昭和天皇の記念写真は強烈な印象がある。それは背の高さで日本人のコンプレックスを現実化した写真だった。戦前では天皇の写真は学校などで神格化され、写真の焼失、破損等の不祥事で多くの学校関係者が処分された。今は戦後に奉安殿は破壊されごく一部に残るだけとなった戦争遺産である。
 このマッカ―サーとの写真が戦後の日本で鬼畜米英と教えられた人々の反抗心を抑えたと思う。そこで戦争継続を見込んでいた米国農産物が余り、ソ連の東欧への圧力と中国の内乱拡大と日本の赤化を恐れ食料供給と切り札として日本に余剰農産物が来たようだ。印象に残るのが学校給食に牛乳・パンでコメ余りとなるまで日本の小学生はパンに馴染んだ。地方では学校給食が普及するまで弁当だったのでご飯の世界と記憶する。それでも今から思うと粗末な食生活で平均寿命が20年も伸びた原因を解明し、自分も納得いく論文はまだ知らない。ただ言えるのが沖縄が日本に返還されるまで、平均寿命が日本一だったのが今ではかなりランク落ちた県となってしまった。この話は築地市場の講演会で聞いた話で米軍の払い下げの激安のラード缶詰で沖縄ゴーヤチャンプ-を作ったため、血管に脂肪が貯まったという。講演を聞いたときは信じられないと思った。今でも沖縄の平均寿命が下位のランク県である。最近まで沖縄には鉄道が無く、ガソリンが安いので車社会となり歩行運動が減り、急速に体形が変化したようだ。
 1ドル360円の時代は米軍兵士には多くの日本人があこがれていたが200円を割り100円になるとハワイが憧れの地で無くなり、普通のリゾ-ト観光地となった。今1ドルが160円となり、アメリカの物価高とインフレでハワイの不動産を持っている日本人は管理費等の上昇が激しく、報道によると負動産化しつつあるという。栄枯盛衰が昔の速さより早い。十年一昔から5年一昔という気がする。最近ではコロナの3年一昔となったようにおもう。コロナ以前の日本と今の日本は違う。物価上昇で値上げが普通となり、就職困難も消え、転職業界のバブルが感じる。ホテルが稼働率競争から、空室でも安い部屋を埋めようとしていないことが時代の変化と感じる。
 栄枯盛衰の記憶のある高齢者はいまどう思っているのだろうか。初任給が急上昇し、長い間の勤務者との差が無くなりつつあるという。これは大卒の効果が消えると感じる。一生勉強の世界で、高齢者がスマホの扱いに参戦しないと、生きられない。近くのス-パ-でセルフのレジは本日ポイント5倍と店内放送をしていた。多分パ-ト時給競争で転職が増え、補充できず対策している気がする。間も無く近所の普通の夜間営業(10時過ぎ)のパ-トは時給2000円を超す。上野はもっと早い。
 
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もののあわれ なにか物悲しい。

2024年06月02日 | 宅老のグチ
朝から粗大ごみの搬出の用意をする。鉄製のラックで金属ごみのサイズに小さくするには、ワークマン・ニトリで調べても高価な道具が必要で、粗大ごみの回収に任せる。ついでにインクジェットプリンタ-も廃棄とし、予約したら2週間後となり、これで家の中が待機ゴミが消える。こんな分別作業でペットロスの空虚感を紛らわす。
 どうも靖国神社の柱のいたずらはネット検索数稼ぎの人の様で、自分たちの行為が愛国的と思っているが中国への投資を予定している日本人の心証は苦しくなる。また投資意欲が激減だろう。口先投資を言うだけで、実際はさりげなく撤退し、他国に転進する。これは先の戦争で日本が普通にやってきたことで驚くことは無い。
 付き合う人を間違え、テレビ受けするかと言って、その人の言動はほぼ老人の戯言になっていても、記録があって今の影響力のあると思っているようだ。日本ではバイトテロの方が企業に影響が出る。高額な損害賠償は人生を狂わすし、ネットに時効や記憶切れは無いことを知るべきだろう。今のAIの仕組みはあいまい検索で過去の事例で出て来る。そこから誤報対処を怠ると、永遠に残る。
 韓国に反日政権時に、サムスンのスマホは日本ではブランド価値が弱かった記憶がある。日本でアップルのスマホが強いのは反日行為によって、反日国製のスマホを持っていることが恥ずかしい。同様に韓国のヒュンダイの自動車はアメリカでも売れているが日本ではほぼ皆無である。何度も日本に拠点を設けようとしたが在日系のタクシ―会社しか納入できなかった気がする。なぜこんなことを書くかと言うと、ある時にタクシ―に追突され修理期間の代車として、ヒュンダイの車が一か月借りて乗った。感想としてはいい車と良かった。でも家族の自家用車としては安くても買えない。中古も無理。
 これから高級な中国商品は多分日本では売れないと思う。ドイツブランドで中国産車が日本に販売するしかない。テスラの車は中国産と思う。BYDは中国に部品を納入している企業が勉強目的で購入している気がする。日本の自動車の台数の半分は軽自動車で、自動車大国が日本に食い込めなかった原因は道路が狭いことから来ている。ス―パ-や多段の駐車場は大型と車高の高い車が停まれない。高齢者の事故は目的地と出発地で起きやすい。油断だろう。日本産なら事故報道が無くても中国産車の火事事故は大報道になりそう。
 
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次の都知事の期待公約、都のシルバ-パスのIC化

2024年06月01日 | 宅老のグチ
次の都知事の選挙公約で期待するのが東京都のシルバ-パスのIC化と思う。75歳後期高齢者になって感じるのがどうも世間に出回っている情報が偏っていて、この数字はと思うことが多い。その理由は情報の入手方法でカタカナ用語を使い高齢者のアンケ-トを取り、アンケ-ト依頼先の要望に沿うような質問がなされていると感じる。今日の広告でも医師の92%の人が好意的という広告があって、脚注には医師242人というのがあり、その選定方法も不明。これでは言い逃れの脚注と思う。良くあるのがお客様満足度1位という広告で、自分は楽天を利用していないので1位の購入者ではない。優良誤認の広告が許されていて、指摘されると訂正する文化が誇大広告の横行する日本で、それに追従するのが異国の軍事国家と日本の世論誘導を狙っていて、台湾の事を日本の関与することではないと言っているとコメントし、鎧の下を表し在日中国人の日常生活を不安にさせる。日本でも平時は冷静だが天災時には略奪的な窃盗もある。災害に慣れない外国人が配給の列を乱すとどうなるか判らない。
 虎に翼で現行の日本国憲法草案の新聞記事で、NHKが自画自賛していたがよくよくネットで明治憲法を調べると、明治憲法は一度も憲法を変えることなく、解釈で済ませ、敗戦後に米軍の圧の下で現行憲法を作ったようだ。この事情は東京 毎日新聞社の2003年出版の岸信介証言録  著者岸 信介 編集者 原 彬久で新憲法が施行され年数がたって、米国人の憲法関与者が1項目も改憲しないことに驚いていた。岸氏はその人に改憲手続きの難しくしたのは米軍だと思っていたようだ。その憲法は令和の今でも1項目も改憲されていないし改憲の発議もまだ無い。このことはワ-ドの文字変換でもかいけんと入力しても会見、開建、懐剣とか出てきて、まだ改憲の言葉が文字変換の一番に出てこない。岸さんの本で驚いたのが現憲法でも核武装が日本でも可能ということを思っていたようだ。

 7月の都知事の公約で、70歳以上の都内の都バス、都営地下鉄、民営の都内のバスが住民税非課税所得者が1年間1000円で乘れる。高所得者が20,510円となっている。横浜市がICカードか進めて、データが出てきて、東京でもICカード化し、そのデ―タを福祉の健常者デ―タとして利用できないのだろうか。横浜のデ―タでは利用する頻度は年令で異なり。70代と80代では異なり、さらに利用頻度の多い人は介護認定が遅れるようだ。このデータを利用させることで、シルバ-パスのIC化費用をバス会社へ還元すれば、地域広告も成り立つ気がする。高齢者が動くと介護認定が遅れ、介護保険料が増えないという。
 健常の70歳以上の高齢者のデータ不足が今の日本経済の低迷の一因と思う。元気な高齢者はスマホも利用頻度が少なく、経済視点から漏れている。でも統計上は資金を持っていることになっていて、これを動かさないと給付金を出しても貯蓄に回るだけだった。
 今高齢者に近寄るのは詐欺の人達が多いと感じる。彼らは体感で経済活性化の義民と思っているかもしれない。

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