7世紀末、大宝律令によって、現在の石川県と福井北部が越前国となり
政務を執る国府がここ武生に置かれた。
いつ設置されたものだろうか?
総社神社の一角に威信を示すかのごとく置かれた石碑。
父の赴任に伴い紫式部が1年半ほど住んだという。
江戸時代以降、北国街道の中継点として栄えた武生。
空襲に遭わなかったお陰で、多くの神社仏閣や商家が今も残り、多いに楽しめた。
しかし、都会へ出て行き戻って来ない跡継ぎ。
これらの商家や古い家がいつまで存続できるかどうか分からないという声も。
シャッターをおろす店舗も増え寂しくなったと嘆かれるが、
それは武生だけの問題でなない。
もっと寂しい、歩いていてもわびしくなってしまう街は日本中いっぱいある。
大阪に戻ってくれば、嫌になるほど人があふれてる。
この格差はいったいどこから、何が原因で・・・と、考えさせられる。
元禄年間創業の老舗料亭「糸屋」。
格子の出窓下の腰壁は石貼り。
晴れ間が見えたと思うと又雨が降ってくる、変な天気だった。
3時間余りかけて見て回った。
武生での滞在時間は4時間みていた。
4時間も必要ないだろうと思いながら武生駅に降り立ったが、
嬉しい誤算とでも言おうか、まだまだ見るべき所は残っている。
しかし、寒い。
お腹も空いてきたので、予定していた「たかせや」で越前おろし蕎麦を。
昼時、たかせやは多くの客であふれていた。
おろし蕎麦¥590を注文。
運ばれてきた「おろし蕎麦」のつゆに驚いた。
蕎麦つゆの中に、ネギ、かつお、それにとろろが入っている。
もちろん、おろし蕎麦だから、大根おろしの搾り汁入り。
大根おろしは辛い。
とろろが入っているのは、その辛さを緩和するためのようだ。
しかし、胃にす~っと収まる感じがする。
蕎麦は二八。
平べったく、つゆともからみやすい。
蕎麦だけ食べても甘味を感じるおいしい蕎麦だ。
いつも並だが、大盛にすれば良かった。
武生駅に戻って来た。
「観光・匠の技案内所」では、越前和紙で作られた祝儀袋やポチ袋などが
手頃な値段で売られていて、いくつか買う。
受付に座っておられた女性、(この方は武生駅に着いた時、地図を頂き
簡単に説明してもらい出発)に、「ただいま!ワンダー武生でした。」と、
話すと、嬉しそうにされ「5月には紫式部公園の藤がきれいですから、是非
今度は時候の良い時におこし下さい。」と、言われる。
まだ見残している建物が半分ほどある。
もう少し温かくなったら又来よう。
駅前の土産物屋で、福井名物の羽二重餅(私は好きではないが)でも買おう。
一口大のチョコ入り羽二重餅を土産に買って帰ったが、これは好評だった。
敦賀で網干行きの新快速に乗り換えると、16:28に大阪へ着く。
特急に乗らなくても・・・と、特急券代をけちったが、これは間違いだった。
青春18切符の乗車期限が迫っていて、18切符で旅している人で普通列車は満席。
どうにか空いてた席に座ると、前の座席には、初老男性7~8人程のグループ。
彼らも青春18切符で旅しているようだ。
うるさい!
女性グループがうるさいのは、周知の事実だが、男性はアルコール
が入るから、余計始末に悪い。
酒か水をこぼして、後ろの座席へざぁ~っと流れる。
のんびり普通列車で帰ろう・・・と、思っていたのに、敦賀ではホームに長い行列。
とほほ、特急で帰るべきだったかな。
るんるんで旅してきたのに、最後はちょっとまずかった福井への旅。