1948年に日本が参加できなかったロンドン五輪と同時期に行われた日本選手権の400メートル自由形と1500メートル自由形で世界記録をマークし、同五輪での優勝タイムを大きく上回った。翌年の全米選手権(ロサンゼルス)でも世界記録を出し、米国メディアから「フジヤマのトビウオ」と称賛されて日本のファンを熱狂させ、五輪では1952年ヘルシンキ大会に初出場し、日本選手団主将を務めた。しかし1950年の南米遠征で体調を崩した影響で、400メートル自由形で8位にとどまった。現役時代に世界記録を更新した回数は33度といわれた。
引退後は日大教授などを務めるかたわら、1985年に日本水連会長に就任し、低迷していた水泳界の競技力向上に努めた。1988年ソウル五輪で鈴木大地、1992年バルセロナ五輪で岩崎恭子が優勝するなど「水泳ニッポン」の立て直しに尽力。1990年にJOC会長に就き、1999年に退任するまでの5期10年間に抜群の知名度と調整力でスポーツ界に貢献した。
私は昔「トビウオの泳ぎ」を実際に見たことがある。私が小学生の頃、学校のプールが新しく出来、そのお披露目に当時の校長先生と親交のあった古橋氏が泳ぎを披露してくれた。残念ながらその当時、「トビウオ」の経歴も知らなかった小学生の私はただ「泳ぎの上手いおっちゃんだな~」程度の失礼な印象しかなかった。
これだけ世界記録を作ったのにも関わらず、金メダルには縁が無かった古橋氏だったが、5期10年間の長期に渡りJOC会長に就任していた経歴を見れば「トビウオ」にどれだけ人望があった事は一目瞭然である。合掌・・・
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