会場ボランティアさんに誘導され、整理入場の上、斜面に同じテントで過ごした人たちと腰を下ろす。会場後方を見るとファンが続々と入場して来るのが見える。24000人で埋め尽くされた会場に陽が落ち、1983年8月6日19時、夜明けまで続くオールナイトコンサートがいよいよ開演した。
ペース配分を考える事も無く、熱気と興奮が入り混じった会場は最初からボルテージは最高潮だった。しかし慣れない環境で疲れた体は日付が変わる頃、眠気で何度も何度も「気を失った」。ハッと目覚めてはステージを観るの繰り返しだった。食事はどうしたのだろうか?水分はどうしたのだろうか?細部の記憶が全くないのだが、とにかく蒸し暑かった事はよく覚えている。
そして阿蘇山が朝日に染まる頃、1983年8月7日5時エンディングを迎えた。開演から10時間。みんなで万歳三唱を繰り返していると、涙を流している自分に気が付いた。達成感とお祭りが終わってしまった寂しさが混じり合って自然と溢れる涙。
共に過ごした仲間たちとはキャンプ場で別れ、私は来た道をひとりで引き返す。博多駅界隈でお土産を購入し、四日間の汚れを携えたまま16:35博多発ひかり30号新幹線に乗り込んだ。殆ど寝ていなかったので23:20に東京に着くまで泥のように寝ていた。
今となってはもう決して出来ない強行軍であるが、あれから26年が経過した今でも、車窓からの見えにくかった闇夜の風景も、若さ溢れるキャンプ場での笑顔も、清々しいほど綺麗だった朝日の色も、成し遂げて少し大人になった誇らしい気分も鮮明に覚えている。私にとってひとつひとつが熱い熱~い思い出たちである。
だから子供達にはひとり旅を薦めている。有限会社やな瀬不動産