北海道昆虫同好会ブログ

北海道昆虫同好会は北海道の昆虫を中心に近隣諸国および世界の昆虫を対象に活動しています。

ジョホーンの危機・絶滅か。

2017-04-15 09:43:09 | 採集記・旅行・写真
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ジョホーンの危機・絶滅か。

Atrophaneura ( Pachliopta ) jophon Gray 1852
ジョホーンベニモンアゲハ  Ceylon Rose



かなり昔のことだが、この蝶は、まさかのヘクトールベニモンアゲハの亜種のように扱われていたこともあるらしい。

その後、南インドに分布する Atrophaneura ( Pachliopta )pandiyana Moore 1881 のスリランカ代置亜種のような扱いを受けてきたようだ。


1961年に 至り Munroo.E により、これらは別種同士であるとされ、ジョホーンベニモンアゲハ(以下ジョホーン)はスリランカ固有種とされた。


その名も Ceylon Rose.



当時はペットボトル飲料や良い水筒がないので椰子の実のジュースをよく飲んでいました。



この蝶は、かってはスリランカ南西部に広がっていた広大な熱帯雨林では稀ではなく棲息していた。


しかしこの地域では1960年代からの人口急増があり30年で人口は倍に増えたという。


そのため熱帯雨林のほとんどが材木生産需要と農地造成でたちまち切り倒され消えてしまった。


ダブレラによればジョホーンの主たる生息地であった Ratnpura から Daniyaya にかけての熱帯雨林は、恐らく1970年代までに、この世から消えてしまったという。


ジョホーンの記録のあるもうひとつの比較的せまい生息地 Sinharaja State Forest Reserve はジョホーンの最後の砦と目されていた。


しかし、ここでも無秩序な猛烈な森林破壊が急速にすすんでおり 1975 年、ジョホーンを求めて同地を訪れたダブレラは、かろうじて1♂を見たのみであったという。


もともと 11000 ha ほどあった Sinharaja State Forest Reserve の熱帯雨林は、その頃までに 5000ha 、半分以下に激減していた。 


さて、さらに40年以上が経過した 2017年現在では一体どんな状況なのだろうか。 ジョホーンはまだ健在なのだろうか。


何年か前、スリランカの保護区内でジョホーンを密猟したヨーロッパ人蝶愛好家が捕まったというニュースをどこかで見かけた記憶があるので、きっとまだ絶滅はしていないのであろう。


いつの間にか、ジョホーンは 固有種ダルシウスや、クリノなどとともにスリランカの自然保護の象徴的な存在になっているという。


一方、かろうじて原始の熱帯雨林が残っている保護区内に居住する人たちはいまだに勝手気ままな森林破壊を続けているようで監視の目は、まったく行き渡っていないという。


このジョホーン外国人密猟者氏は当局が自然保護をやっているという事をアピールするための最高のスケープゴートになったことは間違いない。


今から半世紀近くも昔のこと、スリランカに蝶採りにいった私たち夫婦は 朝早く Ratnapura ラトナプーラ のホテルの庭木の花に、おびただしい数のジョホーンが吸蜜の訪れているのに遭遇した。


当時は、なんだ ベニモンアゲハのでっかいのがたくさんいるな、朝食後少し採集しようかなといった軽い気持ちであった。


ゆっくり朝食の後、濃厚なセイロン紅茶を楽しんでから、ネットを持って採集にゆくとあれほどいたこの蝶がウソみたいにいなくなっていた。


それでも、目についた分をすべて採集したのであった。


後にこの蝶が Ceylon Rose として有名な スリランカ固有種ジョホーンであり、生態的特徴として早朝のみ低く飛び吸蜜に訪れるということを知ったのであった。


ジョホーンを見たのはこれが最初で最後であった。恐らくラトナプーラに生き残っていた最後の個体群であったとおもわれます。



♂表面



♂裏面



♀表面



♀裏面


前述のごとく、この蝶の生息地であったRatnpura から Daniyaya にかけての広大な熱帯雨林は既に完全に消えてしまったので、もうラトナプーラにいってもこの蝶をみることはないだろう。


ひらたく言えばここでは絶滅したということです。





ラトナプーラは宝石の街。いたるところ宝石屋ばかり。街を歩いていると、宝石買わないか?とすぐに売人が寄ってきた。私たちはつい雰囲気に呑まれ、日本ではとても手がでないような美しいスターサファイアとスタールビーのきれいどころを、お手頃価格で買ってしまった。アレキサンドライトは、さすがに高価で手が出なかった。




Sri-Lanka の蝶採集の思い出はまだまだ尽きませんが、とりあえずここで一休みにします。




浅見さんから貴重なコメントをいただきました。本当にすごい方がいるものです。


スリランカの蝶 (浅見 訓男)
2017-04-06 20:00:28
70年代のスリランカレポート、興味深く拝見しています。小生がスリランカに居住していたのは97-01年ですが、すっかりスリランカファンになってしまい、以後も年に3回訪問、退職した今は年に100日以上滞在しています。
09年に内戦が終結、それまで行けなかった北部や東部も自由に行けるようになりましたが、蝶の採集禁止はますます厳しくなり小生も写真撮影が中心になってしまいました。
立派な蝶の生態図鑑が地元の研究者たちにより刊行されました。標本を殆ど使っておらず、スリランカ産247種の成虫と幼生期を網羅した大図鑑です。
クリノもヘクトールも40年前と比べたら大分少なくなっていると思いますが、自然保護のお陰かどうか健在です。再訪される機会があれば喜んでご案内します。


貴重な情報ありがとうございます。ぜひ、そのうちお会いしてお話をうかがいたいです。南陽堂のHP にご連絡いただければ幸いです。






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セイロンキシタアゲハ( ダルシウスキシタアゲハ )♀

2017-04-12 20:16:09 | 採集記・旅行・写真
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セイロンキシタアゲハ( ダルシウスキシタアゲハ )♀ 
Troides darsius Gray 1852

ダルシウスキシタアゲハ♀は、後翅表面亜外縁に黒色斑がべったりと発達することから ミノスキシタアゲハ♀と容易に区別されます。


ダルシウスはスリランカ固有種代表みたいな見事な蝶ですが、かって熱帯雨林が残っている地域では稀ではなかったと思います。


ただ、当時でさえ熱帯雨林は猛烈な勢いで減少しつつあったので、現在の状況はどのようなことになっているのやら心配です。


当時、森の奥地に住んでいる人たちはおおかたこんな格好で男はフンドシ姿が多かった。







しばしば野生の象がでてきます。


この蝶は、私たちが訪れた頃のスリランカでは平地から山地帯の樹林にしばしば見られましたが北部など乾燥地域ではまったく見られませんでした。


シギリアの有名な観光地シギリアロックの付近に残された密林あたりが恐らく北限で、そこから北部の乾燥地域には棲息しないようです。


名著トリバネチョウ生態図鑑の著者、松香宏隆氏もシギリアロックの裏の密林でダルシウスを撮影しており、このとき食草のウマノスズクサ科植物 Aristolochia indica 先端若葉に産卵する♀を観察撮影しています。



♂も♀も路傍のランタナの花に好んで吸蜜します。


1976-2-8  Kulnaga-la Sri-Lanka Troides darsius  ♀ 表



1975-11-5 Belihul-oya Sri-Lanka Troides darsius ♀ 表



1975-11-5 Belihul-oya Sri-Lanka Troides darsius ♀ 裏




次は いよいよ  Ceylon Rose ジョホーン がでてきます。




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映画、ディーパンの闘い を見た。スリランカ人が主人公

2017-04-09 12:05:21 | 採集記・旅行・写真
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映画、ディーパンの闘い を見た。スリランカ人が主人公。



このブログにスリランカの蝶を連載している時にビデオ屋でスリランカ難民を主人公にした映画、ディーパンの闘い というのを発見、さっそく見た。




タイトルからは市民、女性、子供を巻き込んで凄惨をきわめたスリランカ内戦を描いているのかと思った。


スリランカのどこか、きっとディーパンというところでの闘い を描いた戦争映画かと大きな勘違いで借りてしまったのでした。


スリランカ内戦(1983〜2009年)は国民の8割を占めるシンハリ族・仏教徒中心のスリランカ政府と2割弱のヒンドゥ教徒・タミール人中心のタミル・イーラム解放のトラ (LTTE) によるまれにみる長期の内戦です。


最終的にはスリランカ政府軍がLTTE支配地域を制圧して、追いつめた幹部とタミール人住民等を皆殺しにする格好で26年にわたる内戦は終結しました。


宗教、民族が違うとこんなにもひどいことになるのかというなりふり構わぬなんでもありの悲惨な戦争であったようです。


タミル・イーラム解放のトラ (LTTE)の兵士であった主人公は闘いに負け、内戦で愛する妻や子供も殺されてしまいます。


内戦は終結したが、治安が乱れ旧対抗勢力の弾圧が横行しているスリランカから、難民としてスリランカを脱出し ディーパン と名乗ってフランスへ向かいます。


当時、独り者の多くは強制送還されるため、同じ境遇で家族を失った女性と少女の、本来赤の他人の3人で偽装家族となり、なんとか難民審査を切り抜けてフランスへわたります。




フランスに着いた主人公達は、政府の斡旋で仕事を得ます。


しかし、仏語も話せないディーパンが管理人職を得、擬似妻が認知症老人と麻薬売人の部屋のメイドの職を得たパリ郊外の貧困者向けの集合アパートが実は麻薬売買人たちのアジトであったことから、種々トラブルが発生、発砲事件も頻発します。


偽装家族の少女もいじめにあったりしながら、最終目的地、英国への渡航ビザがおりるのを待つ日々、ストレスはたまりにたまり爆発寸前。


これらの経過が実に入念、実に丁寧に美しい映像で描写されてゆくのはすごいと思った。


特にヒンドゥ教の祭壇、信徒女性の衣装がこんなにも美しいとは。


麻薬売人が内部抗争で射殺され、その場にいあわせた偽装妻が危険に巻き込まれ、ついにディーパン爆発。


長年の内線で鍛え上げられた元兵士ディーパンはフランスのちんぴらやくざとの闘いで圧勝。



これがタイトル、ディーパンの闘い の所以でした。 


最後はイギリスに渡って夢のような幸せな生活を得るといったほっと一息の物語でした。 


不思議なことに、全編通じてフランスはまったくの無法地帯、フランス警察等は一切登場しなかったのはストーリーの流れ上、わざとでしょうか。


フランスに較べて英国は天国みたいに描写されている。


大の映画マニアでもある私は、毎年おびただしい数の映画を見ますが、面白くて気分爽快、見てよかったといったものは案外内容もすぐ忘れてしまうものです。


話題作やなんとか映画祭受賞作など、ひたすらやたらと重い映画は、やっぱり見なきゃよかったと思う反面、いつまでも心に残ってしまいます。


ディーパンの闘いは後者です。


主人公ディーパンを演じたアントニーターサン・ジェスターサンは、実際にスリランカ内戦ではタミル・イーラム解放のトラ (LTTE)の元兵士で、フランスに亡命後に作家として活動しており、この映画で演技に初挑戦。


サロジャニちゃんを思わせるかわいい少女役の女の子も演技初体験。



カンヌ映画祭のパルムドール受賞作とのこと。




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シギリアの美女とセイロンキシタアゲハ Troides darsius Gray 1852

2017-04-08 12:03:28 | シロベニヒカゲ
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シギリアの美女とセイロンキシタアゲハ
( ダルシウスキシタアゲハ )♂  
Troides darsius Gray 1852




シギリアレディ : Sigiriya Lady

スリランカ中北部の平地密林のなかに忽然とそびえる小高い巨大な岩山シギリアロックがあり、この付近では有名な観光スポットになっていました。





5世紀後半、はるか昔、この岩山の上にはカーシャバ王の王宮があって、たった11年間でしたがこの付近の都となって栄えていたようです。


この岩山の裏の密林にはダルシウスが飛んでいました。


岩山には急な階段があり、息を切らしながら登ってゆくと岩山中腹の洞窟には有名な壁画シギリアレディが残っていました。


シギリアレディの壁画の前にはガードのおじさんがいて、撮影禁止と怖い顔で見張っていました。


私はなんとか撮影したいと思いこっそり1ドル紙幣数枚を握らせると、誰もいなくなってから撮影してもよい、ただし ノーフラッシュと交渉成立。


せっせと撮影したのが、ここに示す写真です。












40年以上前のずいぶん古い写真で劣化が激しく申し訳ありません。今から1500年も昔のシギリアの美女たちの様子がよくわかります。


彼女たちが歩く道沿いのランタナの花には、当時も今と同じようにダルシウスキシタアゲハが吸蜜に飛来していたのではないでしょうか。



Troides darsius Gray 1852


最近では日本の蝶愛好家は ダルシウスキシタアゲハを略してダルシウスと呼ぶことが多い。


インド南西部に分布する Troides minos ミノスキシタアゲハ と同じものだと、したり顔で話しているのを聞いたことがあるが、その人は本物のダルシウスをみたことがないことは明白だ。


一見、ミノスに似ているようですが、ダルシウスは一瞥してまったく異なる特異なスリランカの固有種です。


ミノス♂にはダルシウス♂の特徴である後翅表面基部の大きな黒色斑がありません。


ダルシウス♀はもっと特徴がありますが次項で説明しましょう。 


上述の会話のように、実は日本ではダルシウスの現物をみたことがある蝶愛好家はそれほど多くはないと思われます。


その理由はスリランカの厳重な昆虫採集禁止措置で蝶の標本が日本に入ってこなくなって久しいからです。




1976-3-3 Kandy Sri-Lanka ♂表面



1976-2-27 Kurnagala Sri-Lanka ♂表面



1976-11-7 Kulnagala Sri-Lanka ♂表面



1976-2-11 Uduwala Sri-Lanka ♂表面




    次項、ダルシウスキシタアゲハ♀に続く。





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Blue Mormon in Sri-Lanka スリランカのテンジクアゲハ

2017-04-06 20:05:45 | 採集記・旅行・写真
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Blue Mormon in Sri-Lanka
スリランカのテンジクアゲハ。


テンジクアゲハ Papilio polymnestor parinda Moore in Sri-Lanka
( Blue Mormon : Blue Peacock butterfly )

Blue Mormon ( 青いモルモン教 ??? )の別名があるテンジクアゲハ。


なぜそんな名前がついたのかは、どうにもわからない。♂後翅表に大きく発達する青白色の紋理が特徴的な大型・美麗なアゲハチョウ。





天竺(テンジク : インド)のアゲハチョウの名のごとく南インドからバングラデシュにかけて産するが、海を越えた島国スリランカの森にも ssp. parinda Moore が生息する。


広大な分布域をもつ近似種ナガサキアゲハの南インド〜バングラデシュ・スリランカでの代置種ともされる。


スリランカの森ではよく見かけ、個体数は少なくない。目の前に飛来して吸蜜をはじめるとあまりの美しさに一瞬息を呑む。


個体数は少なくないようだが厳しい採集禁止措置により近年、スリランカ産 : ssp. parinda は入手困難。


わが国では古い採集品が残っているかも知れない。♂後翅表に大きく発達する青白色の紋理には、かなり個体変異があるようだ。




山里の民家でヤギの乳入りのおいしいセイロン紅茶などいただいて記念撮影。





ヌワラエリアの山肌の多くはセイロン紅茶栽培の広大な紅茶畑になっていた。




沢筋には多少の自然が残っており、そこに蝶が見られた。


急にお婆さんが現れ、なにかしゃべっているが意味不明。



後にお金をめぐんでほしいと訴えるお乞食婆さんであることを知った。




スリランカの赤ちゃんはオムツなどしない。かわいい。




スリランカのテンジクアゲハ♂表面。大型。美麗。Papilio polymnestor parinda Moore ♂ in Sri-Lanka.



スリランカのテンジクアゲハ♀表面。大型。Papilio polymnestor parinda Moore ♀ in Sri-Lanka. ♀は2型あり。ここに図示するタイプと♂そっくりのタイプ。







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