MR.コールマンの挑戦日記

セカンドライフを迎えて趣味のランニングや街歩き、スケッチ水彩画、地域活動などの日常のあれこれを綴っています。

ブラ散歩~銀座・日本橋

2016年06月06日 | まち歩き
銀座の画廊で開催されている知人の水彩画展で知人と再会し、素晴らしい作品に触れた後、久しぶりに銀座から日本橋へとブラ散歩してきました。
銀座中央通りは再開発が進み松坂屋なども姿も無く寂しい光景でしたが、この日は晴海通りに向かって歩いてみました。
懐かしい三原橋地下街の「銀座シネパトス」も無くなり、再開発が待ち遠しいところですが、未だその姿は判りません。
あづま通りへ向かうと、夏の花やシンガポールのマーライオン?を描いたような素晴らしい大壁画が描かれており、いつ描かれたのかも不明ですが、しばし見入っていました。

壁画の先の三原小路も一昔前はよく通い慣れた路地ですが、「吾妻稲荷大明神」も残っており懐かしい雰囲気を味わっていましたね~

銀座通りに出て四丁目交差点のサッポロ銀座ビルもリニューアルされており姿を変えており、四丁目交差点一角の光景はすっかり変わっていました。

一方、銀座のシンボルである和光の時計台は、歴史的な姿を誇っていました。
和光ビルと言えばいつも立寄るウインドウデイスプレイですが、この日は、「華」と命名されている打ち上げ花火が開くようなイメージの立方体のオブジェが回るようにデザインされており、いつ見ても銀座の華として華やかでした。

となりのデイスプレイには、季節のフルーツのサクランボが舞いあがるデザインでした。

京橋を経て日本橋に来ると、中央通りで新しい高層ビルが建つ中でいつ来てもレトロな姿は、圧倒的な貫禄を示しており、これまでも何度かスケッチのモチーフにしていますが、お気に入りのスポットです。

永代通りの日本橋交差点でも、日本橋タワービルが建設されており、一昔前の白木屋の立っていた光景はすっかり変わっていました。
コレド日本橋裏側の蛸の博物館・たいめいけん周辺も高層ビル工事中でしたがアネックス広場には、「名水白木屋の井戸」の隣に「漱石名作の舞台」の碑が立ち、江戸時代の名残が残されていました。

日本橋の中央には日本の道路元標があり、日本の幹線国道の起点となっています。

日本橋の南側は滝の広場となって岸壁に水が流れていましたが、江戸時代には罪人の晒し場だったそうですが、現在は双十郎河岸として日本橋クルーズの乗船場となっています。


日本橋の中央には、首都高に挟まれて麒麟象が鎮座していますが、羽を拡げて日本橋から飛立つイメージですが、厳つい顔で現代の世相を怒っているようでした(笑)


日本橋を渡り北側の一角には、「日本橋魚市場発祥地碑」が建っていて、この辺りは江戸時代あから大きな魚市場があったそうで、築地市場もまもなく豊洲へ引っ越ししますが、歴史が繰り返されていますね。

コレド室町エリアでは、三井ビルも全て再開発が終わってすっかり街並の形相が変わって「COREDO街」となっていましたね~

一方、室町3丁目エリアは、再開発が進められており、高層ビルに囲まれていた「海老屋美術館ビル」だけがポツンと残されており、開発終了時はどんな形相になるのでしょうか?

室町2丁目のビルの谷間にあった「芽吹神社(福徳神社)」も立派な社殿となりすっかり変貌していました。
「福徳神社」は、平安時代に創建され徳川家康公も何度も参詣した古社だそうで、日本橋の発展に関わった神社でビルの合間に聖なる空間を創られたのですね。

室町のシンボルである三越本店も高島屋に劣らぬ石造りの重厚な景観で、新しい高層ビル街の中でひと際存在感がありました。

正面玄関のライオン像も百歳を超えていますが、気品ある姿を見せています。
連れのダックと記念撮影でした。

この後は、馴染みのイルキャン店で久しぶりにランチをいただきました。
コメント (2)
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