東海道五十三次の藤沢宿まつりで藤沢宿巡りの後半は、藤沢橋から感応院や古い蔵めぐりを続けます。
感応院は、源頼朝が静岡の三嶋大社を勧請したそうで藤沢宿で最も古い寺ともいわれ、藤沢七福神の寿老人が祀られています。
境内の「三島大明神」は、御堂が回転するそうですが、この日は参拝者も無く静かな佇まいでした。

旧東海道沿いには、商家の建物や古い蔵が残されており、何れも国の有形文化財建造物に指定されている貴重な文化財で、この藤沢宿まつりで内部が一般公開されていました。
江戸時代末期の「稲元屋呉服店」の蔵は、白漆喰の一番蔵(左)と石造り風の内蔵(右)で当時は内部に天皇の下賜品などが保管されていた名蔵です。

今も営業されている唯一の「桔梗屋用紙店」の紙問屋の蔵です。

また、道沿いの創業130年の人形の名店では、端午の節句を控えて鯉のぼりが青空を泳いでいました。

その先の「常光寺」へ回ると、山門前に「私はしあわせ像」が優しい微笑みで参拝者をお迎えしています。

常光寺の参道脇には、市指定文化財の「庚申供養塔」があり、万治二年と寛文九年の古いもので塔身には笠石が乗せられている珍しい庚申塔で市の有形民俗文化財に指定されています。

広い境内には高木が立つ自然林となっており、中でも樹齢400年の高さ約25mの巨木カヤの木が立ち、神奈川県の「かながわの名木100選」に選定されています。

常光寺前の「関次商店」の蔵は、米穀・肥料商のお蔵で蔵の内部では、壁に板張りも無く塗り壁の木舞をそのまま見せる形式で天井もなく特異な小屋組となっていました。

その先の「旧鎌田商店」は、明治時代の紙問屋さんで石蔵が保存されていますが、藤沢最大級の木造石造りの蔵で内部は壁に板を貼らずに軸組と石積みがそのまま保存されています。

さらにその先の「永勝寺」には、宿場の旅籠屋で給仕・遊女として飯盛女のお墓が立ち立っています。



お墓の周りには、早咲きの桜が満開となっていました。

永勝寺の近くには、「義経公」の首洗井戸と首塚の慰霊碑が立ち、自害した義経公の首が腰越の浜に捨てられたが、泥にまみれた首が境川をのぼり、この辺りに漂着し里人がその首を洗い清めた井戸と首塚が保存されています。


首塚に参拝して義経公を祀る「白旗神社」に戻り想いを馳せていました。

藤沢宿巡りの最後は、藤沢本町駅近くの約260段の急階段を上り伊勢山へ向かい、展望台で江の島を望みながら一休みでしたが、伊勢山には、神明宮(伊勢神宮)の分霊が祀られていたことから今の名前が付けられた聖なる山で春には桜咲く桜の名所となっており、開花が楽しみです。

山頂には、日清戦争や西南戦争で亡くなった地元の戦没者慰霊碑、忠魂碑が立てられています。

また、山頂には市内の庚申塔で最も古い高さ2mの承応2年の「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿が彫られた立派な梵字三猿庚申塔があり、史跡として市の有形文化財に指定されています。

藤沢宿まつりで特別公開された我が街の貴重な史跡や歴史を学ぶ貴重な機会を楽しんだ歴史散歩となりました。
感応院は、源頼朝が静岡の三嶋大社を勧請したそうで藤沢宿で最も古い寺ともいわれ、藤沢七福神の寿老人が祀られています。
境内の「三島大明神」は、御堂が回転するそうですが、この日は参拝者も無く静かな佇まいでした。

旧東海道沿いには、商家の建物や古い蔵が残されており、何れも国の有形文化財建造物に指定されている貴重な文化財で、この藤沢宿まつりで内部が一般公開されていました。
江戸時代末期の「稲元屋呉服店」の蔵は、白漆喰の一番蔵(左)と石造り風の内蔵(右)で当時は内部に天皇の下賜品などが保管されていた名蔵です。

今も営業されている唯一の「桔梗屋用紙店」の紙問屋の蔵です。

また、道沿いの創業130年の人形の名店では、端午の節句を控えて鯉のぼりが青空を泳いでいました。

その先の「常光寺」へ回ると、山門前に「私はしあわせ像」が優しい微笑みで参拝者をお迎えしています。

常光寺の参道脇には、市指定文化財の「庚申供養塔」があり、万治二年と寛文九年の古いもので塔身には笠石が乗せられている珍しい庚申塔で市の有形民俗文化財に指定されています。

広い境内には高木が立つ自然林となっており、中でも樹齢400年の高さ約25mの巨木カヤの木が立ち、神奈川県の「かながわの名木100選」に選定されています。

常光寺前の「関次商店」の蔵は、米穀・肥料商のお蔵で蔵の内部では、壁に板張りも無く塗り壁の木舞をそのまま見せる形式で天井もなく特異な小屋組となっていました。

その先の「旧鎌田商店」は、明治時代の紙問屋さんで石蔵が保存されていますが、藤沢最大級の木造石造りの蔵で内部は壁に板を貼らずに軸組と石積みがそのまま保存されています。

さらにその先の「永勝寺」には、宿場の旅籠屋で給仕・遊女として飯盛女のお墓が立ち立っています。



お墓の周りには、早咲きの桜が満開となっていました。

永勝寺の近くには、「義経公」の首洗井戸と首塚の慰霊碑が立ち、自害した義経公の首が腰越の浜に捨てられたが、泥にまみれた首が境川をのぼり、この辺りに漂着し里人がその首を洗い清めた井戸と首塚が保存されています。


首塚に参拝して義経公を祀る「白旗神社」に戻り想いを馳せていました。

藤沢宿巡りの最後は、藤沢本町駅近くの約260段の急階段を上り伊勢山へ向かい、展望台で江の島を望みながら一休みでしたが、伊勢山には、神明宮(伊勢神宮)の分霊が祀られていたことから今の名前が付けられた聖なる山で春には桜咲く桜の名所となっており、開花が楽しみです。

山頂には、日清戦争や西南戦争で亡くなった地元の戦没者慰霊碑、忠魂碑が立てられています。

また、山頂には市内の庚申塔で最も古い高さ2mの承応2年の「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿が彫られた立派な梵字三猿庚申塔があり、史跡として市の有形文化財に指定されています。

藤沢宿まつりで特別公開された我が街の貴重な史跡や歴史を学ぶ貴重な機会を楽しんだ歴史散歩となりました。