MR.コールマンの挑戦日記

セカンドライフを迎えて趣味のランニングや街歩き、スケッチ水彩画、地域活動などの日常のあれこれを綴っています。

浮世絵展・広重たちの情景

2019年05月16日 | 絵画
藤澤浮世絵館の新しい企画展示の「広重たちの情景~初代・二代・三代」が始まり、先日見学してきました。

今回は、「東海道五十三次コーナー」・「藤沢宿コーナー」・「江の島コーナー」・「企画展示コーナー」の4コーナーで56点の名作が展示されていました。



「東海道五十三次コーナー」では、「狂歌入り東海道」と題して、歌川広重の五十三次の府中から藤川までの東海道の風景画の中に狂歌が一首づつ折り込まれた様々な構図の19作品が展示されています。


府中の遊郭の旅人が集う光景「遊郭の図」です


島田の大井川を渡る大名行列の川越えの光景です


天竜川の渡し場の光景を描いた「天竜川舟渡し」です


舞坂宿の浜名湖を渡る「今切の渡し場」の光景です。


「藤沢宿コーナー」
では、二代歌川広重による「江戸名所四十八景」と題して、初代広重の「名所江戸百景」と同じ構図や別角度から描かれた作品48点が展示されています。

日本橋川沿いの一石橋や九段坂、御茶ノ水、駿河台、不忍池、隅田川、深川八幡、神田明神、湯島天神など日頃ぶらついているスポットの江戸時時代の光景が描かれています。




馴染みの佃島や永代橋の画です


先日も訪れた上野の根津権現や清水堂です。


「江ノ島コーナー」では、「広重たちが描いた江の島」と題して、庶民の憧れの地であった江の島の弁財天や美しく新鮮な江の島や七里ヶ浜近辺が描かれています






藤沢の花「藤」と燕の画です。


三代広重の作品には、「六十四州名所図会」と題した、故郷福井の若狭魚松漁網の図も描かれています




「企画展示コーナー」では、初代・二代・三代の広重たちの情景として「風景画の広重」の画風が三代にわたり江戸から明治へと受け継がれた23点の作品が展示されています。


江の島名所の「相州江の島岩屋之図」


多くの浮世絵独特の描写を観て、江戸時代の庶民の暮らしや旅人気分の遊び心を身近に感じながら、風景を描く絵心を学ぶひと時でした。 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暇な画家の一日・花スケッチ

2019年05月15日 | 水彩画
我が家の花壇の花も満開となっています。
描いて描いてと訴えているようで、雨の一日となり、筆を取っていました

知人からバラや苞に包まれたカラーの花も美しくその姿にに魅かれて描いてみました。




赤・白・黄色の鮮やかな大きなバラの花に挑戦しました


二枚目も、赤・白・黄色のバラを描いてみましたが、白バラの表現に苦労した一枚です。


マイガーデンで満開になっている菖蒲もその花柄に魅かれて描いてみました




端午の季節も過ぎましたが、天に舞泳ぐ鯉のぼりの躍動感を表現するのもくろうしました(笑)


マイガーデンのエゴノキやシラン、シャクヤクも咲き競っていますが、描けません






 ”バラの花が咲いたバラが咲いたと・・・・”
と口ずさみながら春の花に親しみを覚えながらの花スケッチでした。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本大学バラ園見学

2019年05月14日 | まち歩き
湘南地方で有数のバラ園である日本大学生物資源科学部の付属バラ園のバラの花が最盛期を迎え観て決まました。

当バラ園には、250種類900株が植えられていますが、全て研究課程で遺伝子解析手法を用いて品種改良された花々の秀作で毎年楽しみにしています。

広い園内に入ると噴水池の周辺一帯に赤・黄・白・桃色など色鮮やかなバラが咲き誇っていました。




園内の順路に沿って観ているとどの花も色や形、香りも様々でネームの由来も紹介されています。
黄色のバラを愛したアメリカの名優に因んでネーミングされた「ヘンリー・フォンダ」です。


在仏コロンビア大使夫人の名前から付けられた真っ赤な「ロ~ラ」です。


花弁の形が魅力的な「ゴールドハニー」


花弁が色変わりする代名詞のチャールストン


燃える聖火のような色鮮やかな朱赤の火の花「オリンピック・ファイヤー」


切れ込む花弁が流れるような「ファイヤーワークス」


花弁が白とピンクの華やかで上品な「ほのか」


甘い香りが強い「バイオリーナ」


ローズピンクのコントラストな「桃香」


大柄で多弁な「かぐや姫」


複雑に絡み合う花弁の縁が濃桃色の「ニコール」


大きな白い花弁の「正雪」


黒バラの銘花「パパメイアン」





直径約20cmの大柄な「緋扇」


真っ赤な「宴」


リオのサンバカーニバルを想わせる「リオサンバ」



他にも余りに多く名前も不明でしたが、黄色や赤色など優雅な花々に魅せられてバラの小径を行ったり来たりしながら五感で感じる百万本のバラに魅せられていましたが、期待した青いバラの花は見られませんでした。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本橋界隈散策

2019年05月13日 | まち歩き
神田祭の神幸祭を神田駅近くで見送って秋葉原電気街に立ち寄り、その後、日本橋界隈をブラ散歩していました。

秋葉原駅近くの万世橋から神田川の上流には、旧万世橋駅の高架下にレンガアーチのマーチエキュートや復元された聖橋が望めスケッチポイントとなっています。


万世橋から相生坂の先には湯島聖堂横には、築地塀の「昌平坂」が長く神田明神へと続き神田の名所ですね~


万世橋から日本橋へ向かう鍛治町付近では、神田祭の祝提灯が下がり神幸祭のパレードの到着を迎える祭一色の雰囲気が湧いていました


日本橋三越前では、神幸祭の到着待ちでしたが、室町地元の華やかな氏子神輿が置かれて多くの氏子さんが集い、数え切れない祝いの提灯などが飾られ天下祭ムードが高まっていました




店内には、珍しい菊(マム)やオクラレルカなどが飾られて祭を祝っています


三越から高層ビルの谷間に鎮座する福徳の森の「福徳神社(芽吹稲荷)」に立ち寄ってみました。
室町界隈は、訪れる度に高層ビルが新設されていますが、森の中には異次元の都会のオアシスの森となっています。




三越本店の隣に立つ三井本館には、コリント式の列柱が並び、柱頭にはアカンサスの葉の見事な彫刻がひと際目を引きますね


日本橋高島屋へ向かうと、昨年新館が出来てすっかり様相が変わりましたが、本館は今も重厚な洋風検知と和風デザインが調和した建築に魅せられていました。




エントランスには、鉄扉や天井にも素晴らしいデザインが見られ、国の重要文化財に指定された日本橋のランドマークとなっています。




日本橋から京橋を経て有楽町の故郷ふくいのアンテナショップで故郷の特産品を求めてきました


夏本番の陽気でしたが、神田祭から日本橋界隈の下町風情を楽しんだ一日でした。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神田祭り・神幸祭

2019年05月12日 | まち歩き
日本三大祭・江戸三大祭の一つである「神田祭」の2年に一度の本祭りが始まり、見逃せないと「神幸祭」へ出かけてきました。

神田明神は、江戸の総鎮守として1300年の歴史ある江戸の最古の神社の一つで、「神田祭」は江戸の華として東京の中心である神田・日本橋・秋葉原・大手町一帯では、今も令和になって初の江戸祭りとして大人気になっていました。

神田明神に着いたときには、既に神幸祭の本隊は出発したあとでしたが、境内には多くの参拝者で賑わっています。


総檜造り、入母屋造り、二層建ての随神門は、朱色と極彩色で彩られ、その周りには獅子や亀などの彫刻が飾られて光り輝いています。




鳳凰殿の屋根には、美しい鳳凰が羽ばたき祭を祝っています


境内には豪華絢爛な本社神輿や天下祭由来の加茂能人形山車が見られ、三層構造の姿は圧巻でした。








社殿前には、参拝者の長い列が出来て参拝に20分を要しました


境内には、祭神のだいこく様尊像・えびす様尊像が改装された祭務所に置かれています。




境内の一角の公園では、太鼓フェステイバルが行われて神田明神周辺に大太鼓のこだまが轟き亘っていました。


参拝後、神幸祭の行列を追いかけて外堀通りを経て「将門塚」へ向かうと、丁度巡行隊は、将門塚の塚前で神事が行われていました。
「将門塚」は、大手町の高層ビルの谷間に鎮座しますが、将門公の御首が祀られています。




墓の周りには、多数の蛙の置物が奉納されていて、帰る(蛙)に掛けた願いが込められているようです(笑)


将門塚を出発した巡行隊を追いかけながら大手町、神田鍛治町通りを巡っていました。
隊列は、一の宮・大己貴命(だいこく様)、二の宮・少名彦命(えびす様)、三の宮・平将門の鳳輦の宮神輿や平安装束をまとった巫女など、約1000人、500mの大祭礼行列が続き、各氏子町内会の出迎えを受けながら粛々と進みます。






神田駅近くで一行を出迎えていました。














神田川で一行を見送った後、日本橋界隈をブラ散歩していました【続く】
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

成就院・なんじゃもんじゃの木

2019年05月11日 | ジョギング
先日、連休明けに茅ヶ崎の成就院の名木の「なんじゃもんじゃの木」を見に行ってきました
成就院は、真言宗のお寺で花の寺とも言われていますが、特に五月には「なんじゃもんじゃの木」と言われる「ヒトツバダゴ」の花が満開となり、人気スポットとなっています。
境内の墓所の奥に「なんじゃもんじゃの木」が立ち、白い清楚な花が綿雪が積もったように大木を覆っていました





元東大総長だった茅誠司氏の邸宅にあった木を移植したものだそうで、珍しい樹木で本名ではなく代名詞の「なんじゃもんじゃの木」として有名な樹となっていますね




名木の横には、美しい観音様も開花したなんじゃもんじゃの花を眺めておられます。


本堂に参拝して見上げると、立派な龍の木彫りや屋根には唐獅子の飾り瓦も置かれて伝統ある格式を感じていました




境内には、不動明王のレリーフ前では護摩供養も行われる邪気払いのスポットとなっています。


願い事を必ず叶えてもらえる、弘法大師空海を祀る「一言大師」です


宝篋印塔や牛の石像など境内には、花以外にも見所多くパワーを授かりました。




成就院を後にして、近くの名門のスリーハンドレッド・カントリーの新緑萌えるグリーンの清々しい初夏のような風を受けながらジョグっていました。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぶらりJOG~鎌倉海岸

2019年05月10日 | ジョギング
衣張山ハイキングコースから大町口に出て鎌倉材木座に出て海岸をジョグっていました。

大町口の「長勝寺」に立ち寄ると、参道の先の帝釈殿の前には、辻説法姿の日蓮上人が迫力ある姿で立ち、その背後に狛犬ならぬ勇壮な四天王(大毘沙門天・大持国天・大広目天・大増長天)が悪を抑えて帝釈殿の聖人を護っていました。










本堂の帝釈殿には帝釈天が祀られていますが、日蓮上人がこの地で松葉が谷法難で白い猿に助けられたことから、その霊場となっているようです。


「長勝寺」から寺町通りを経て浄土宗の大本山の「光明寺」へ向かいます。
「光明寺」では、広い境内に関東総本山に相応しい総門や山門、本堂など格式高い雰囲気が漂っていました
総門には、素晴らしい彫刻や菊と七五の桐の御紋が飾られています。




総門の先には鎌倉一の大きな山門が聳えるように立ち、和風と中国風の二層建築の圧倒される造景が見られます。


本堂も入母屋造りで青銅色の屋根など国の重要文化財に指定された姿で、堂内には本尊の「阿弥陀三尊像」が安置されています。




本堂の右手には、綱引地蔵尊と延命地蔵尊が祀られています。


鐘楼には鎌倉一の大きな梵鐘が吊るされており、現在も朝夕に鳴らされているようです


光明寺から材木座海岸に出て由比ヶ浜海岸、稲村ケ崎へ向かって穏やかな海岸を眺めながらジョグっていました。
材木座海岸では、遠くに逗子マリーナや日本最古の築港の和賀江島が望めます


由比ヶ浜も夏の海水浴場の賑わいとは異なる静かな砂浜が拡がっています




由比ヶ浜を過ぎて海浜公園では、雄大な碧い海の向こうに逗子海岸を望み、護岸のテトラポットが並ぶ光景も素晴らしい湘南の光景でした。






稲村ケ崎に着くと関東有数の富士見ポイントとなっており、相模湾と江ノ島とコラボした富士山の絶景が見られました。




逗子開成中学の遭難慰霊碑からも「真白き富士の根」に唄われた素晴らしい光景です。


新田義貞の鎌倉幕府攻めの時に黄金の太刀を海に投じて汐をひかせたという故事でも名高い古戦場でその記念碑も立っています。
新田義貞は、我が故郷の藤島で討死したゆかりの武士で、思いを抱きながらひと時を過していました


稲村ケ崎の岩場では、この日は波も無く奇岩が連なる光景が見られました。








五月晴れの鎌倉の富士見スポットを巡る歴史散歩でした

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鎌倉衣張山ハイキング

2019年05月09日 | ハイキング
湘南有数の絶景ポイントの鎌倉衣張山をハイキングしてきました。

鎌倉駅から鎌倉街道の岐れ道を経て大御堂橋から滑川沿いの田楽辻子通りの道標のある角から住宅街を抜けて鬱蒼とした杉林の森の「平成巡礼道」に入ります。




「平成巡礼道」は、観音霊場めぐりで坂東三十三ヶ所の第一番札所の杉本寺と第二番札所の岩殿寺までの巡礼の道だったようで深い森の中の階段の山道となっています。


山道の途中には、大岩の下に可愛い夫婦地蔵様が見られます。


登山口から10分で衣張山山頂(121m)に到着。
山頂からは、材木座・由比ヶ浜や鎌倉市街と雄大な富士山が望める絶景でした。


「衣張山」は、源頼朝が夏の暑い日に、この山を白い絹で覆わせて北条政子と共に雪見を楽しんだことから付けられたと伝えられており、同じ心境で富士見していました。


山頂の広場には、五輪塔や地蔵尊も置かれており、巡礼の小道を実感します。


山頂から「子ども自然ふれあいの森」の中にある「パノラマ台」へ向かう途中には、鯉のぼりが飾られた可愛い地蔵さまが鎮座し迎えてくれました


近くからは「関東の富士見百景」に選ばれている富士の絶景が見られました



71段の急階段を上り「パノラマ台」へ向かうと、鎌倉の絶景ポイントと言われる鎌倉市街を眼下に遥か先に富士山や箱根連山、伊豆半島などの大パノラマ風景が見られ、離れがたい光景に魅せられていました






パノラマ台から尾根道を下って間もなく、かつて石切場であった「お猿畠の大切岸」に着き、約800m、高さ約3~10mの断崖の岸壁が続く壮大な遺構となっています。
大切岸は、鎌倉幕府の防衛遺構と共に建築用の石切場跡で今や観光スポットとなっています
お猿畑の名前は、鎌倉を追われた日蓮上人がこの地で三匹の白猿に助けられたことから附けられたようで、近くの法性寺の山号も「猿畠山」と名付けられています。




「大切岸」の先には、2基の珍しい形の石廟が並びますが、鎌倉時代の火葬骨を納めた石造墳墓堂だそうで貴重な文化財に指定されています。




大切岸から急階段を下った「法性寺」では、墓所の周りにも迫力ある石切跡が連なり大きなやぐらのような洞窟が出来ています。


法性寺の奥ノ院に参拝して左手の「山王権現社」への60段の石段を上ると、立派な五重塔や石祀が建てられており、絶景ポイントでした




奥の院の上り階段脇には、猿に縁のある山王権現らしく子猿を抱いた「子育て猿地蔵」の石碑が立ちインスタ映えスポットでした。


法性寺から名越切通への道に戻り、現在は閉鎖中の「まんだら堂やぐら群」に立ち寄ってみました。
入口の門から眺めたまんだら堂のやぐら群ですが、堂跡には大小150穴以上のやぐらが見られます。


切通路に入ると、鎌倉七口の一つの「名越切通」があり、鎌倉幕府の防衛遺構としての要所で、3つの切通しが残されています。
鎌倉側から見た第一切通しです


逗子側から見た切通しです。


折り返して鎌倉へと狭隘な道を下る切通路の第二切通し、第三切通しです




大きなシダが茂るシダ路を下り大町へ出て光明寺などの寺町を巡り鎌倉海岸から稲村ケ崎へとジョグってきました【続く】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

藤沢の花・フジロード巡り

2019年05月08日 | ジョギング
我が市の花「藤」の花が今年は例年になく早く見頃を過ぎましたが、先日、市内の公園や史跡など「引地川・史跡のフジロード」の藤の花の名所を巡ってきました。

最初に藤沢の藤の花の名匠の端山邸の端山藤園では、前日の雨で甘い香りが薄くなっていましたが、長い花房を下げて風になびき舞姫のような美しい姿に見惚れていました。




白藤や薄桃色藤と十二単の花もコントラストな美しく見事でした。






藤園から大庭城址公園へ向かうと、芝生広場の周辺の散策路に約30mの4つのパーゴラでは、やや見頃を過ぎた淡紫色や白藤の美しい房が垂れさがっています。




芝生広場では、シンボルの桜に変わってメタセコイアも見応えある姿になりました


引地川親水公園では、先月には満開であったサクラ並木もグリーントンネルとなっています。


約120mのパーゴラでは、見頃の花房が下がりフジのトンネルが出来て甘い香りを発していました。


ふるさとの森の丘の上には、名物の藤棚ゲートが出来ており、鮮やかな色合いのフジの額を形成してその先には大庭城址公園の山や富士山を望める絶景ポイントとなっています。








さらに藤の名所である「白旗神社」へ向かうと、新天皇の即位を祝う祝賀ムードとなって鯉のぼりが泳ぎ、名物の「義経白藤」や「弁慶紫藤」も見応えある姿でした。


















手水舎は、新天皇のご成婚記念に奉納されたものですが、その屋根裏や梁には、素晴らしい龍のの彫刻が施されていました




最後に境川沿いの「新林公園」へ向かうと、こちらも見頃を過ぎていましたが、長屋門の前のカーボラなどに薄紫の花房が目を引く容姿に魅入っていました。








今年は、例年より開花も早かったようですが、市の花として誇れるフジの姿と香りに酔いしれていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第32回 水郷田名・泳げ鯉のぼり

2019年05月07日 | サイクリング
相模の大凧の会場から相模川上流の高田橋の水郷田名で行われていた「第32回泳げ鯉のぼり」へ行ってきました

新戸の大凧揚げ会場から相模川左岸の遊歩道を走り、途中の三段の滝では、鳩川の分水路の流れが三段の滝となって流れ落ちています


三段の滝の広場から相模川左岸のロードをひた走り、新昭和橋を過ぎてまもなく急坂を降りると「望地の渡し」の石碑や「供養塔」が立ち、母なる相模川を渡って大山詣での歴史の名残のようです




河川敷の先の望地キャンプ場の傍らには「望地弁財天」が鎮座しており、以前には藤沢の江の島弁天に安置されていた弁財天を移設したものだそうで、相模原市の重要文化財に指定されており、興味深い存在でした。


望地弁天を過ぎてまもなく高田橋に到着すると、「水郷田名」の河川敷には対岸の愛川町の山と繋ぐ長さ250mの4本のワイヤーを渡し、青い空に約1000匹の鯉のぼりが吊るされていますが、今年は鯉のぼりの数も減っており、春の風も弱くやや期待外れの光景でした








河川敷では、吊り下がる鯉のぼりの下で水遊びを楽しむ家族連れも多く子供の日を祝っていましたね~






河川敷には多くの屋台も並びゴールデン広場となっていました


広場には、花文字の鯉のぼりも描かれています




鯉のぼりの光景を堪能してサイクリングロードを戻り、途中「田名向原遺跡」に立ち寄ってみました。
遺跡公園には、約5000年前の竪穴住居が復元されており、直径約3mの住居の中央には、石で囲われた炉と5本の柱穴があり、縄文時代の竪穴住居だったようです。




また、約1400年前の古墳時代の小型円墳が復元されて石室内から武具や装身具が発見されて貴重な史跡となっています。


遺構の周りには、平和のシンボルの白鳩なども飛び回っており、令和となって神の使いで令和を祝っているようでした


久し振りの往復67.4kmのロングライドでしたが、後半の4時頃には雷雨に見舞われて大粒のひょうに打たれながら何とか無事帰宅しましたが、行きはよいよい帰りは恐い一日でした
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相模の大凧まつり

2019年05月06日 | サイクリング
伝統の「相模の大凧まつり」が始まり、快晴のサイクリング日和となり、ロングライドで会場へ向う途中、相模三川公園で一休みして相模川の新戸会場へ行ってきました。


相模の大凧は、天保年間から行われていると言われ180年近い歴史ある伝統の凧揚げで、日本一の大凧である8間凧(14.5M四方)や6間凧など4会場で行われます。

字凧の題字は、今年は新元号のが選定されていました。


新戸会場では、8間凧の他、3間凧など4つの大凧が並び大勢の観客がその壮大な姿に魅入っていました。






会場には端午の節句を祝って鯉のぼりも大空を泳いでいます。


大凧は、950kgの重さで直径約4cmの縄を使い約100人の引き手で引き揚げられて米俵で支えられます。




北風の微風が吹いていましたが、南風が吹くのを待ちわびながら大凧の前では、よさこい踊りや阿波踊りが披露されていました。




大凧の裏側を見ると、長い大竹を組み合わせて和紙に赤色と青色の二文字が描かれており、偉大な創作過程が連想されますね




大凧が上がる前には、小さな180の連凧が北風に乗って舞い上がっていましたが、大凧が待つ南風は約1時間待っても吹いてくることは無く午前の予定は残念ながら中止となりました






大凧上げを見るのを諦めて相模川上流の水郷田名で開催中の「泳げ鯉のぼり相模川」へ向かいました。
途中の磯部の堰では、多くのサギの群生し母なる川の相模川の光景が見られました。






相模川の光景を楽しみながら水郷田名まで約12kmを快適なサイクリングを続けます【続く】

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小田原歴史散歩

2019年05月05日 | まち歩き
小田原の北条五代祭りを観た後、小田原城下町を歴史散歩していました。

城内にある「尊徳二宮神社」では、創建120年を迎えて参道には新しい明神系の四脚鳥居が設置されていました

境内には、令和の新天皇即位を祝う参拝者が多く、最近は殆ど見られなくなった昭和天皇即位の大礼記念に立てられた二宮金次郎像や二宮翁像が見られます








城内の馬屋曲輪では、二重隅櫓と土塁の上に登る雁木(階段)が保存されています。


城内から尊徳神社の先にある「八幡山古郭・東曲輪」へ向かいます。
八幡山古郭は、戦国時期には小田原城の中心地だったようで、小田原城や城下を見下ろせる絶景ポイントとなっており、国指定の史跡になっていました。


国道一号線に出ると旧小田原宿跡で国道沿いには、小田原城のような室町期の八棟造りを再現した外郎博物館(ういろう)が見られますが、お薬屋さんのようです。


箱根口から御幸の浜へ向かう途中の「西海子小路」では、桜並木が続き過って武家屋敷が集まっていた街で風情ある景観が見られます。


「御幸の浜」海岸に出ると、砂浜ではなく小さな赤灯台もある石浜の美しい海岸で、湘南の隠れスポットでした。






明治初めに明治天皇と皇后さまが立ち寄られて地引網をご覧になった海岸で、遠くには伊豆半島や湘南海岸も望める絶景を眺めながら一休みしてストーンアートを試していました




一休みして国道1号線に戻ると、小田原宿の中心の街の宮前町で名残の「ふれあい交流館」では、武者行列も通過した後でしたので、観客で大変な賑わいでした。


交流館近くの国道沿いには、明治天皇が宿泊した清水金左衛門本陣のあった場所に「明治天皇小田原行在所址」として今も記念碑が残されています。


交流館の近くの小田原宿の総鎮守の「松原神社」に立ち寄ると、例大祭が行われており令和の参拝者で大賑わいでした


拝殿前には、「吉兆の大亀」が置かれ撫で亀としてパワーを授けています。


パレードが出発した馬出門近くには、大手門跡が残されており、石垣の上に現在は鐘楼として保存されています。




お堀端通りを経て小田原駅前近くのオシャレ横丁の繁華街には、豊臣秀吉の小田原攻めで自害した「北条氏政・氏照の墓所」があり、願掛けの「幸せの鈴」を結ぶ場となって多くの鈴が結ばれています。




小田原駅に戻ると、名物の大きな小田原提灯が改札ロビーに掲げられ、思わず懐かしい「お猿のかごや」の”エッサエッサ エッサホイサッサ~”と口ずさんでいましたね(笑)


久し振りの小田原城や小田原宿場を偲ぶ歴史散歩でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第55回 小田原北条五代祭り

2019年05月04日 | まち歩き
第55回を迎えた「北条五代祭り」が晴天のもとで行われ、今年は北条早雲公の没後五百年という節目の年で開催され大変な賑わいでした。

「北條五代祭り」は、戦国大名の後北條氏五代『初代早雲、二代氏綱、三代氏康、四代氏政、五代氏直』を称え偲ぶ祭りで春の風物詩となっており、北条五代歴代城主を模した武者行列や神輿などのまち衆隊も参加し、総勢1700名が小田原の街中を練り歩く壮大な大行進でした。

小田原駅前の北条早雲像もこの日限定の兜に陣羽織姿でした。


小田原駅から小田原城へ向かう途中の青橋からは小田原城を望むと天守閣の展望台には、多くの人が溢れるように大混雑の光景が見られます。



本丸広場にも多くの観客が溢れ天守閣へは大行列となっていました




本丸広場から二の丸へ通じる常盤木門は、多門櫓と渡り櫓から構成される枡形門形式で周囲には巨松などの松の木が長く植えられていてその名前の由来にもなっているよう扉の飾り金具にも伝統の重さを感じます。








二の丸広場から南曲輪に向かうと「御感の藤」が美しく花房を垂らし微かな香りを発してインスタ映えスポットとなっていました。








御茶壺橋には北条五代祭の幟が掲げられ、御茶壺曲輪の出陣式の観覧場も大混雑でした。




盛大な出陣式が行われた後、銅門から住吉橋を渡って手作り甲冑隊に続いて武者隊北条軍団の初代北条早雲隊を先頭に、二代北条氏綱隊、三代氏康隊、四代氏政隊、五代氏直隊と続き、大観衆から声援が送られていました。





初代早雲役には、NHKの大河ドラマで演じた合田雅吏、四代氏政役に高嶋政伸が演じています








城内を出発したパレードを見送り国際通りを経てお堀端通りへ戻ってきたパレードを迎えていました






氏子の神輿隊も伝統の姿で続き大変な盛り上がりでした。




大パレードを見送りながら小田原の歴史散歩を続けました【続く】


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京坂道散歩~麻布十番・東京タワー

2019年05月03日 | まち歩き
夏日のような散歩日和となり、久し振りに坂道の多い港区の麻布十番から東京タワー、芝公園、新橋へと坂道散歩してきました。
麻布十番駅を出発して新一の橋交差点から石垣の永坂を経て狸穴公園の先に細長く狭く急坂の「鼠坂」を上りますが、「鼬坂」とも呼ばれています。




「鼠坂」を下って並行してある「狸穴坂」は、右手にロシア大使館がある長い坂道でしたが、昔、狸の穴が坂下にあったのが名前の由来となっているそうです。




狸穴坂から外苑東通りに出てロシア大使館前から榎坂を下り飯倉交差点へ向かい、さらに「永井坂」を上ります。
坂の途中には独特のデザインの聖アンデレ教会があり、左手に見ながら長~い坂の先に東京タワーに着きます。




東京タワーには、端午の節句を迎えタワー下には多くの鯉のぼりが風も無くぶら下がっていましたね


東京タワーは、創建60年の還暦を迎えて、ノッポン兄弟の周りには60周年記念の花文字が描かれてお祝いムードとなっていました。





東京タワーから芝公園の銀杏坂を経て「愛宕神社」へ向かいます。
途中、巨大な山門の青松寺には威厳高い四天王像が見られます


その先の愛宕山のパワースポットである「愛宕神社」に着くと、「出世の石段」と呼ばれる参道の86段の急な石段の男坂を上ります。


この階段を馬に乗って駆け上がった武士が大出世したことから「出世の石段」と呼ばれてご利益多いパワースポットとなっています。


都心で一番高い愛宕山には、火伏の神様と言われる「愛宕神社」が鎮座し、防火・防災のご利益も大きいパワースポットでした。
拝殿は、徳川家の葵の御紋が飾られています





”伊勢へ七度 熊野へ三度 芝の愛宕へ月まいり・・・”と詠まれた権現様で、ご利益を求めて多くの参拝者が訪れているようで境内のあちこちにパワーが漲っていました。




拝殿前には、権現様の遣いの白猫もオーラを発してましたニャ~


参拝後はご利益を頂いて女坂を下ります。


愛宕山を降りて夕闇迫る懐かしい新橋の裏町の飲み屋街を経て、SL広場へ着くと待ち合わせ場所では多くの人達が集いこれから飲み会でしょうか






久し振りに懐かしい麻布や芝公園、新橋の街並みを楽しんだ散歩でした
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旬のタケノコ堀

2019年05月02日 | まち歩き
春の旬の味覚である「タケノコ」が今年も収穫の時期を迎え、いつも懇意にさせてもらっている果樹園から旬のタケノコが採れ始めたと聞き、タケノコ掘りに出かけてきました。
裏山の竹林に入ると、春の陽射しが射し込み竹林の美しい景観が見られましたが、美味しいタケノコは陽の光が一番だそうで長年のお手入れの良さを感じていました。




今年は、筍の成長も例年より1週間ほど遅かったようで、土の上に顔を出している姿は見られませんが、豊かな土壌で育った柔らかく評判の採れたてのタケノコが沢山準備されていました。






庭園には樹齢100年を越す藤の花も美しく咲き始めていました


タケノコ大好きのタケノコ族ですが、この季節には外せない食材となっており、早速アク抜きして茹で上げし、筆を取ってみました








筍ご飯や煮物など筍三昧の毎日で、竹細工や竹画などの日本の伝統の文化を楽しんでいます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする