「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「床屋さん今昔」

2009年01月06日 | つれづれ噺
世の移り変わりの激しさや、人と人とのつながりなど必要としない、殺伐とした世の中の流れに飲み込まれるように、大きく姿を変えた業種のひとつに散髪屋さんがある。 
その昔、床屋さんといって、あの街この村、何人か人が集まって暮らすところには必ず1軒や2軒はあったものである。

その頃の床屋さんは、その地区の井戸端的情報の発信基地であり、お年寄りなど暇な人の集会所であり、将棋や囲碁の同好連のたまり場でもあった。地域社会の大切な憩いの場でもあった。 将棋が強かった父の姿が見えないときは床屋さんに探しに行った。 強いお客さんが来られた時などは、わざわざ将棋相手をさせるために呼びに来ていたこともある。

その代わりというか、理容美容組合がしっかりしていたというか、散髪料金は組合の決めたとおり、結構高い水準を維持していた。 小生が、それこそ数十年通った散髪屋さんも、廃業直前は3700円であった。

下にも置かない扱いで、散髪はもとより、洗髪・ひげ剃り・洗顔ケアー・肩もみに至るまで、それはそれは丁寧なサービスで、優に45分はかけていた。最近の釣り情報・パチンコ屋さんの出玉動向などなど、情報も色々聞けた。

それがどうだ、今はなんと1000円である。その代わり、カットだけ。ものの5分。
刈り終わった頭は、備え付けの掃除機のようなバキュームにかけられ、細かい毛を吸い取る。洗面台もシャンプーグッズなど一切なし。カミソリも見えない。挨拶もロクロクするいとまは無し。

昔の床屋さんの面影など、ハード面もソフト面もどこを探しても見あたらない。
それほど人間が忙しくなったのか、理容という一つの襟を正す儀式みたいなものが吹っ飛ばされてしまっている。 単なる懐古だけではなく、ことほど左様に、人間らしさをどこかに追いやった事柄は他にも一杯あるような気がしてならない。これじゃー人間が優しくなれないよなー…… 嘆き節をひとつ……。

        ( 写真:あちこちに見られる1000円カットの髪切屋さん )
コメント (12)
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