すぐ目の前に見える灘山を覆い隠すように垂れた雲。
目覚めからずっと降り続く春先の雨。所在無いというほどでもないが、今朝に限って言えばなんとなく手持ち無沙汰。
格別な目的もなく・・・というのもおかしな話しだが、春雨けぶる「宇野千代生家の庭」を見たくなって出かけた。出かけたというほど大袈裟でもない。クルマで30分もあれば行ける。
千代さんと縁が深いのは「薄墨の桜」であることは今更言うまでもない。
が、晩年ここで過ごす時間を楽しみにした生家の庭は、どういうわけか、もみじの木がところ狭しと植えられている。
秋のもみじ茶会は、それはそれは見事な色合いで、地元の人も観光客も魅せられる。
薄墨桜とも紅葉とも縁のない今、何故宇野千代生家なのか・・・そんなことは知っちゃいない。
敢えて言うなら、冬枯れたもみじにけぶる春雨の風情を見たかった。ただそれだけ。
期待に違わず、それはそれはシットリ落ち着いた「無我の境」に近い瞬間を得る。
誰一人いない静寂。“もみじの木に梅の花が咲いたか・・・”と見まがう。
細かい枝の先に宿る白い玉。目を懲らすと、梅の花ではなく、静かに降る春雨が、したたり落ちるのを嫌って必死に丸まっている健気な姿であった。
寒さも忘れてしばし眺めていると「OOさん、いつも読ませてもらっていますよ・・・」顔馴染みの管理人さんの声で我に返り、少しの世間話で引き上げた。
「いわくに文学の旅」に寄せられた福田百合子さんの言葉を載せるつもりで書き始めたのに、まえふりが長すぎた。またこの次にしよう。
( 写真 : もみじの木に花が咲いたような、白い水滴が心慰める )