プロ野球もコロナ感染対策によるイレギュラーペナントレースが季節を外して開幕したが、ここにきていよいよ最終版を迎えた。
スポーツ新聞も、一般新聞のスポーツ欄も、消化試合となって書くべきネタに苦慮する時期かと思いきや、そんなに生易しくはない。
プロ野球担当記者の場合、ペナントレースが終わったら、新たに始まるのが「ストーブリーグ」という大層なネタが待っていてくれる。
この季節になると、何故か思い出す言葉がある。『超二流』。現在の巨人や西武ライオンズ、横浜DeNAなど5球団の監督を務め、名将と呼ばれた「三原脩」氏が放った造語である。一流とは言えないけれど二流ではない。チームの主力が欠ければ代役を務め、時に主力を上回る活躍をする。そんな、いつもは日の当たる場所ではないが、陰にうずくまってばかりではない。少し日を当てればキラリッ輝いて見せる選手のことである。
年間130試合も140試合もこなすプロ野球の世界。一流ばかりで戦えるならそれでよし。しかしそれは現実問題不可能である。
控えと呼ばれる選手や、走塁や守備、犠打などのスペシャリストと呼ばれる選手など、チーム全体が一つになって戦う。それらの代役が一流をしのぐ活躍をするチームは強いのだ。監督と呼ばれる人は、それら個々の選手の力量や個性を見出して、使いこなすのが最大の仕事である。
プロ野球の世界ばかりではない。ごく普通の我々の日常生活の中で、これに似たようなことはゴマンと転がっている。
ただプロ野球選手と違って、専門的な道を歩んできたうえで選ばれた者ではないのだから、誰もが一流という世界ではない。
好きな道であったり、趣味とする場合など、人知れず努力して玄人はだしと呼ばれる一流に近い人もいる。そんな人と巡り合い、互いに磨き合えるチャンスに恵まれることは、その人にとってラッキーなことに違いない。
そしてさらにその人に近づこうと必死の努力をする。必死の努力をしないまでも、それなりの秘めた実力を発揮して代役を務めおおせる人もいる。そんな人のことを世間では「スーパーサブ」と呼んだりする。三原脩氏の言う「超二流」を現代語に訳すと「スーパーサブ」ということになるのだろうか。
いつもかつも世間の表舞台でリーダーと呼ばれるためには、先ず責任感が必要となる。次いで人知れずそれなりの努力が要る。そのうえで素晴らしいリーダーは、その影に潜むサブの力を見出し、使いこなすところにあるのかな~ などと、一流ではない、二流にも程遠い三流が、勝手な思いを巡らせている、深み行く秋の夜である。