心配されていた、東京オリンピック・パラリンピックの開催、ついに1年程度延期に決定した。
そこまで、世界中を恐怖と困惑に落とし入れている新型コロナウイルス。世界の首脳達が一致して「完全制覇」を目指す。
その後で安心してオリ・パラを改めて開催する道筋を選択した。いろんな思惑が交錯するであろうが、賢明な選択に違いない。
このたびの恐怖・困惑・脅威は、北朝鮮の挑発や、中国・ロシアの圧力的外交などとはケタが違う世界の脅威なのである。
どこそこの桜が満開だとか、見頃はいつ頃だろう、などと呑気なことを言っていていいのか?などと思うかたわらで、こんな情勢だからこそ、日本人が最も愛する花「サクラ」を愛でて、春の訪れを満喫し気を取り直してガンバロー、という気持ちも沸いてくるというものだ。
但し、今年に限ってはその花見さえも、自粛という言葉で縮こまっていなければならないのは辛いことではある。
「卒業・新たな始まり」「人生のスタート」などと胸躍らせて待ちに待った「卒業という儀式」。
全国の幼稚園から大学までの全てで、その儀式が取りやめになったり、規模の縮小によって淋しいものであったりした。
ひと区切りとしての期待が大い儀式であっただけに、がっかりしている卒業生がどれだけいるのだろうか?身の縮む思いがする。
でもこのアクシデントは、今や世界を揺るがす計り知れない規模の恐怖であり、人類の危機にさらされるほどの異常事態なのである。
ということは、普通の卒業式が出来なくて気の毒ではあるが、全く日常と異なる時季に卒業式を迎えた「特別」「格別」な春なのである。
生涯を通して、記憶にも記録にも焼き付いて残される、思い出に代わる一大出来事でもある。と捉えるのは如何だろう。
何を考えても、何を計画するにしても、兎に角、一日も早いコロナ収束を願うしかない日々である。
耐えよう。自らの身体生命は自ら守ろう。コロナと闘おう。そうして再び巡り来る春を待つとしよう。
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