上の関町の史跡代表格「四階楼」 今一番の賑わいを見せる道の駅「上関海峡」
何をしても暑い。動けば汗が流れる。今夕からお盆帰省で、この夏二度目のマゴマゴお接待が始まる。
そんな状況を踏まえて、誰もやって来ない昼間、クルマのエアコン効かせて避暑ドライブに、などと柄にもないことを思いついた。
それも、帰省客でごった返す繁華な場所を避け、海沿いの道を選んで走っていたら、馴染みのある上関町に着いた。
上関町は山口県の最南端に位置し、周防灘に向かって突き出した室津半島の先端部と長島、祝島、八島などの島々からなっている。
古くから潮待ち、風待ちなど海上交通の要衝として栄え、江戸時代には 朝鮮通信使などが、この地を中継点とした歴史もあるという。
ちなみに、山口県の瀬戸内海側には、上之関、中之関、下之関という三つの海上関が設けられ、海上交通の税金を集めていたという。
上之関は岩国市と隣接する柳井市の沖合。中之関は防府市三田尻。下之関はご存じの通り、関門海峡の要衝を監督していたようである。
水軍にまつわる話など多くの歴史を持っており、上関城というお城も存在したという。
但し、それは主に水軍と呼ばれる海賊軍団が拠点としていたらしく、真偽のほどは明確ではないようである。
そんな中でも、1879年(明治12年)幕末に活躍した元第二奇兵隊書記小方謙九郎が建てた擬洋風建築木造4階建ての建造物「四階楼(国指定重要文化財)」がある。建築費は当時の金額で3000円と言われている。擬洋風建築とは日本の大工が自分達の技術で西洋の外観などを模した和洋折衷の建物をいうのだそうで、棟梁は地元室津の吉﨑治兵衛と言う人であった。この建物は取引先の人々や船主らを商売上もてなすために建てられたもので、特に4階は畳が敷き詰められており、いかにも昔の商家が商談に用いた雰囲気を今も残している。
四隅の柱が一階から四階まで貫いていて、内外壁に施された見事な雲龍や鳳凰、唐獅子牡丹などの鏝絵(こてえ)と四階大広間のステンドグラスとの組み合わせなどが、この建物の独特の雰囲気を作り出している。と、パンフに書かれネットで発信されている。
このほかにも見るべき歴史はいくつかある。狭い地域なので、興味のある方は是非一度お訪ねを。なんだか、上関町職員になった気分。
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