「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「広島男子駅伝」

2009年01月18日 | スポーツ・観戦
日本全国47都道府県の代表選手が一堂に集まる、都道府県対抗男子駅伝が行われた。
例年になく暖かさに助けられ、雪も雨も風もない、いいコンディションの中で、各選手思い存分力が発揮できたことだろう。

世界遺産の広島原爆ドーム横の平和公園を発着点に、同じく世界遺産の宮島を対岸に眺める宮島口までを往復するコース。 静かな瀬戸内海に沿って伸びる国道2号線は、クルマでゆっくり走るには風情豊かな景観ながら、ふるさとの期待を背負ってタスキをつなぐランナーには、景観どころではなかっただろう。 改めてゆっくり観光に来てもらって、その良さを満喫してもらいたいものだ。その時は是非、ついでに足を延ばして、錦帯橋観光もスケジュールに入れてもらえると有り難い。

結果はおよそ予想通りというか、実力の順に大きな狂いはなかったということか。
長野・兵庫・宮崎……宮崎のがんばりは、今もって旬が続いている県知事効果のお陰なのだろうか。

京都11位・地元広島12位・秋田15位・我が山口は28位……京都も山口も女子のがんばりには追っつけないのはちょっと淋しいねー。

お父さんは中学3年で、市内の駅伝大会に試走までは出た。まずまずのタイムだったが本戦は6人の仲間から外れた。 せがれは、中学・高校とも陸上長距離でそこそこの成績を残し、中学・高校とも駅伝を体験した。 その当時のセガレの高校は、ひょっとしたら都大路の高校駅伝出場か…と噂されたが、噂止まりだった。練習のために、修学旅行にさえ行かなかった。その代わりに都大路の高校駅伝見学と京都観光に連れて行ってもらった遠い昔を、ふと思い出した。

どんなに寒くても、風になびかせても、タスキは汗でぐっしょり。一つの地域・一つの学校などの名誉を背負うタスキは重いという。個人ロードレースの方が楽だとも言っていた。その重かったタスキの感触が、今のセガレを支えている部分があるといいな、あって欲しい。

       ( 写真: 男子駅伝、平和公園をスタート! )
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「あれから14年」

2009年01月17日 | 思い出話
1月17日。 阪神淡路大震災から14年の歳月が流れた。
当時3歳だった子が、17歳高校3年生である。被災した彼や彼女は元気に高校生活を送っているのだろうか。 進学を目指す諸君は、今日から始まった大学入試センター試験を、迎え撃っているのだろうか。

14年前のこの日、単身赴任で東京・世田谷区・太子堂にある会社の寮で最初のニュースを目にした。
その瞬間、一瞬ではあるが目眩をおぼえたことを今でもはっきり記憶している。

テレビ画面一杯に、濛々と立ち上る煙・炎。それもあちこち複数箇所で。
その時、ふと脳裏をかすめたのは、終戦間近のB29爆撃機による焼夷弾炸裂の悲惨な状況である。
3歳7ヶ月そこそこで終戦を迎えたこの身に、実際の焼夷弾の怖さが記憶にあるわけではないと思う。が、誰かに千切れそうなほど手を引っ張られて必死に逃げる時に出来た、足のみみず腫れの感触は、遠い記憶の中に今でも残っている。

その再現かと思わせる光景であったが、それは、人為的なことではなくて、天災であることに、不謹慎ながらある意味安堵の胸をなで下ろした記憶は新しい。
多くの犠牲者と、計り知れない損失に見舞われた大震災。 これらの貴重な体験を決して無駄にしてはならない。

先ずもって、人の命の尊さを改めて思い起こしたい。学校や体育館など大勢人の集まる場所の耐震強化などは、待ったなしのはずなのに、あの忌まわしい体験から14年たった今も、地方小都市などは財政逼迫で、具体的な対応が追いついていないのが現状である。

日本人の英知と限りない底力で、震災の爪痕から確かな復興を見せていることは実に心強い。そして毎年訪れる1月17日を、単なる記念式典や追悼式だけに終わらせず、天災は忘れた頃にやってくることを肝に銘じて、“命”を守る具体的な施策を実施して欲しいなと願っている。

       ( 写真:テレビに映し出された、追悼式・“命”のお灯明 )
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「したたかに…」

2009年01月15日 | 季節の移ろい・出来事
真冬の我が家の風物詩、寒アヤメが今年も見事に花開いた。
寒中見舞いに添える季節の写真としては絶好である。清楚な薄紫の可憐さは、人目につきにくい日陰にひっそり、つつましやかに咲いているだけに愛しい。

お正月用のお餅が、石臼と杵から「餅つき器」に取って代わられて久しい。
その石臼が庭の飾りとして、クロガネモチの根本に置いてある。溜まった水に氷が張る寒さと、石臼の陰にもかかわらず、青々と茂り、毎日数本ずつ咲いて楽しませてくれる寒アヤメ。

根っこはと見れば、ショウガを連ねたような頑丈なカタマリが地中深く根ざしている。 みるからに、心和む清楚な花ではあるがその実、たおやかさの中に“したたかさ”を秘めた母親にも似た花のようである。

そうなると俄然、花言葉に興味が湧く。残念ながら「寒アヤメ」独自の花言葉は見当たらない。5月から6月に咲く「いずれアヤメかカキツバタ…」と呼ばれるアヤメの花言葉を借りると“神秘的な人” “よい便り”となっている。

今更、神秘的な人からよい便りなど来ることもないであろうが、連日粉雪の舞う寒さの中、せめて胸の内で花言葉に夢を託し、気持ちを暖かく保つのも悪くはない。

世の中がどのように変わろうと、人間の気持ちがどう動こうと、春には春の花が咲き、冬には冬の花が咲く。もちろん夏にも秋にもそれぞれの時期を違えず花は咲く。
やっぱりこの世の中、どうせなら咲く花を追いかけながら、したたかに生きて行きたいな~~…。

      ( 写真: 日陰ながら、ひっそりと、したたかに咲く 寒アヤメ )
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「パフォーマンス」

2009年01月14日 | つれづれ噺
ウイークデーの昼下がり。長らく無沙汰をしていたカラオケ喫茶の常連さんから「元気かねー……」との電話をもらった。 元会社の先輩でもあり、せっかくのお声掛かりでもあり、ちょっと覗いてみることにした。

ひと頃のブームから急降下したカラオケ産業。
絶頂期は、カラオケ喫茶やカラオケボックスがそこにもここにもあって、それぞれにお客さんが付いていた。一軒に必ず一人や二人は喉に自信のありそうな常連がいたものだ。 初めてのお客には、見下ろして物を言う…そんな雰囲気が強かった。

一軒減り、二軒店をたたみ、あれほど華やかだった業界が、飲屋街は別として、とうとう探さなければならないほど少数になってしまった。こういうのを自然淘汰というのだろうか。

お声が掛かるまま出かけたお店で、大変な物を見てしまった。 年齢57歳男性、出身は地元、現職は大阪で某企業のサラリーマン。久しぶりの里帰りとあって、クルマにはお手製のパフォーマンスグッズ満載。 歌もうまければ、しゃべりや自己PRも関西仕込み。そつがない。

100円ショップを走り回って買い集めたという、オモチャヤや金ピカおしゃれグッズ、造花を撒き、コメットを打ち鳴らす。紙吹雪も蜘蛛の糸も全部自前で降らせて踊る。

「すごいですねー…写真一枚いいですか…」なんて言ったものだから、ありったけの自前衣装を取っ替えひっかえ、1時間あまりを毒気に当てられっぱなし。 自分のカラオケも忘れてコーヒー呑んで早々に退散。
先日の、しっとりしたギター生演奏の独占とは全く異なる昼下がり。

でも、自らを鼓舞し、工夫し、如何に多くの人を唖然とさせて笑いを取るか……。それに情熱を燃やせる身分はいいよなー。これぞ自分には全く出来そうもないオリジナルパフォーマンス。

やっていることへの疑問は多少残るが、彼には彼なりの信念にも似た理由付けがあり、筋の通った理屈も持っている。人を惹きつけるには何が必要か……その昔の司会の極意を彷彿とさせるひとときとなった。

        ( 写真:カメラを持つ方が赤面しそうな、ド派手パフォーマンス )
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「トレーニング」

2009年01月13日 | 季節の移ろい・出来事
6月から始まる錦帯橋鵜飼、まるで時季外れと思われるこの頃に、鵜飼の公開トレーニングが行われた。
鵜という鳥の本来からある「魚を捕る」という本能さえも、人に飼われて過保護にされるとそのテクニックを忘れてしまうのだろうか。 そればかりではなく、鵜匠自身の手縄さばきの復習も込められているのかも…。

小雪のちらつく錦帯橋下で、かがり火を焚きながら船を操り、一人の鵜匠が7羽の鵜を上手にさばく。鮎の代わりとなる鱈などを投げて、潜ってくわえさせるという本番さながらのトレーニング。やはり本番には一度は遊覧船に乗ってみたくなる。

泳ぎも潜りも、魚を捕ることもプロである鵜でさえ、トレーニングを怠らない。
とすれば、それでなくとも体は硬くなり、運動神経は俊敏さを失う一方の我々高齢者も、鵜を見習わなくてはいけないなーと思いながらも、この寒空にねー…と身震い一つ。

いよいよ、サンデー毎日・悠々自適・晴耕雨読……。あこがれの生活様式を手中に収めた。ダーダーのけじめなき生活を戒め、小人閑居して不善を為さないよう気を付けなければ……。
責めて錦帯橋を見下ろすお城山ウオーキングなど、足腰を鍛えるトレーニングに励まなければ鵜にも負けてしまいそう…ウウッと思いつつ、風邪でも引いたら元も子もない…と、もっともらしい理屈を付けて、二階の陽当たりを独占してしまう。

ヨーシッ! 思い直して、ベッドの頭元に積まれている本でもひもとこう。
結局、体力より文章力のトレーニングに逃げ込んでしまう。ヤだねー……。
♪♪ はーるよ来い はーやく来い ヒーマをもてあますじいちゃんが~ 高い万歩計買い込んで~ おんもへ出たいと待っている~~ ♪♪

        ( 写真: 本番さながらの、鵜飼トレーニング )
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「とんど祭り」

2009年01月12日 | 季節の移ろい・出来事
昨日第2日曜日、小雪舞う錦帯橋下河原で、今年もとんど祭りが行われた。
昨年一年間、床の間に飾ってあった熊手や、古いお守りなどを焼いてもらうために、わざわざ出かけた。

正月以降最初の大勢の人が集まる行事とあって、市長さんは主催者側の一人であるが、それ以外にも、国会議員さんをはじめ、次期衆院選の候補・県会議員・市会議員さん等々、議員さんのオンパレードの様相であった。
無理もない、今春は早いか遅いか衆院解散総選挙が見えている。それぞれの立場で、お忙しいようである。

岩国市報によると「錦帯橋とんど祭り」と銘打ってある。しかし、どんど どんど焼き とんど(歳徳)焼き どんと焼き などなど様々に呼ばれており、その内容も地域や習慣によってまちまちのようである。
百科事典で「とんど」と探したら、「左義長」と呼ばれ、青竹を3本組み合わせてその足を広げた中に燃やす物を放り込む。その三脚状をサギッチョと呼んでいたことから「サギチョウ」と言われるようになった、小正月の火祭りで、少年の管理の元で行われる。いわゆる子供主体のお祭りが原点のようである。

小正月と呼ばれる1月14日の夜または15日の朝などに行われる火祭りが始まりで、門松やしめ飾り、書き初めで書いた物などを燃やして今年の無病息災を祈り、書道が上達することを祈ったという。近年は第2日曜日に行われるところが多い。

苦しいときの神頼みではないが、多くの人が明日の生活に困るという未曾有の不況風を、大きく燃え上がりはじける炎で吹き飛ばしてくれることを祈りたい。
今年のとんども、舞う粉雪を吹き払って大きく大きく燃え上がっていた。 何かいいことがあるといいな……

        ( 写真: 見事に燃え上がるとんどの炎。横山側から撮影 )

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「小雪がお似合い」

2009年01月11日 | 季節の移ろい・出来事
真冬の都大路を駆け抜ける、全国都道府県対抗女子駅伝。今回で27回目という歴史を数える。
色とりどりのユニフォーム。タスキを待つ選手が走ってくる選手に飛ばす黄色い声援。可愛らしい仕草。
毎年テレビ桟敷からではあるが声援を送り続けている。 

胸を張り、前を見据える選手。苦痛に顔をゆがめながらも、なんとかタスキをつなごうと唇を噛む選手。それぞれがひたすらゴールを目指す。その選手達の華やかさやひたむきさ、吐く息の白さが、今を盛りに咲き乱れるサザンカの花につながる。 “困難に打ち勝つ” “ひたむきさ” という花言葉からもピッタリである。

本来は、10月から12月に咲くと言われているサザンカ。 この地方では、10月にはほとんど花は見られない。むしろ正月を挟んだ厳寒に向かって花開く。 チラチラ舞う小雪がお似合いの可憐な花である。
清楚な真っ白や、しぼり柄の花弁も多く見られるが、真紅に薄く白を掃いた薄紅色がなんと言っても主流である。
このサザンカ、人も木々も自然全体が寒さに縮み上がる時季に見事に花開く。
ひたむきな我慢強さを持っているが、なかなか贅沢な一面も持っている。兎に角水分を欲しがる。夏場などに水を切らせると、その冬の花の数は極端に減る。 その上、太陽光線も他の庭木に比べて多くを欲しがる。

多くの草花が、春の開花を控えて静かに冬眠している時季に、一足早く咲く花には、やはりそれなりの愛情を込めて、計算された一足早い準備が欠かせないのである。
今回優勝した京都チームには、それはそれは用意周到な準備と鍛錬があったに違いない。
おめでとう! 京都!!

        ( 写真:岩国運動公園に咲く見事なサザンカ )
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「ホンモノ」

2009年01月10日 | つれづれ噺
私の住んでいるところは、いつも書いている通り、かっこよく言えば地方小都市。平ったくいえばど田舎の静かな町である。田んぼや畑、小さな山に囲まれ、遠くに瀬戸内海が見える。その手前を山陽本線が走り、ガタゴトの夜汽車の響きも聞こえてくる。さすがに“ポー…”という汽笛は聞かれないが電車の警笛は聞こえてくる。

そんな静かな町だが国道188号線が南北に走っている。クルマの量だけは飽和以上に走っている。
当然ながら国道沿いだから、とんびとんびながらレストランや日本料理のお店もある。

そんなレストランの一つに、友達から昼下がりのコーヒーを誘われた。食事には何度か行ったことがあるお店。
行ってみるとギター奏者の生演奏が聴かれるのだという。テーブルを挟んだ目の前で演奏してくれる。
周りを見たら、誘ってくれた友とマネージャーらしき女性、他には遠くの椅子に2・3人。
こりゃー場違いなところに来たかな…とドギマギしているうちに演奏が始まった。

2曲も聴いたらもう引き込まれて、その世界に溶け込んでいく。もちろんアンプを通してではあるが、間近に聴く生演奏まさしく「ホンモノ」。 ご本人の承諾を得ていないので、奏者の詳細には触れないが、肖像権は了解を得ている。 次回またお目に掛かったとき、承諾が得られれば詳しく報告したい。

間違いなくプロの指の動き。滑らかな優しい演奏。ピアノも顔負けの豊かな音色。クラシックからポピュラー・フォークさらには演歌。こちらのリクエストにも気軽に応じてもらって、あっという間の1時間あまりを堪能した。
大きな劇場やコンサート会場とは全く異なる空間。指の動きまでがはっきり見える距離での、私たちの為だけの演奏会。

普段の感動とはまた違った大きな感動を味わった。やっぱりホンモノはいい。月に1度の定期演奏だそうだから、しばらくは通ってみよう。 田舎ながら、こんな洒落た時間を持てることもあるんだよなー。友達に感謝かな…。
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「腕におぼえあり」

2009年01月08日 | ニュース・世相
自動車の運転をするのに、運転免許取得1年を満たない人に「初心者運転標識」通称、初心者マーク・若葉マークと呼ばれている標識の掲示が義務づけられている。
一方、75歳以上の運転者は「高齢者運転標識」通称、高齢者マーク・もみじマークあるいはシルバーマーク・枯れ葉マーク、ひどいのになると落ち葉マークなどと呼ぶ人もあるという。
そんな標識の掲示が義務づけられている。

私自身、高齢者マークを最初に目にしたときは「涙マーク」と思い込むほどだった。
初心者も高齢者も、そのマークを掲示したクルマは、一般運転者が保護して上げよう、そうすることで交通事故を減らそう、という狙いがあったことは言うまでもない。 その主旨や立派である。

ところが、その内容には何かしら消化不良が残る。
特に最近の「後期高齢者」の呼称や、健康保険料・介護保険料の年金からの天引きなどなど、高齢者に優しくない扱いが目立っているため、運転の高齢者マークにまで話が飛び火してしまう。

幸いというか、高齢者マークの表示義務違反に対する罰則だけは取り除かれようとしているが、それをしないのなら、初心者マークの掲示も、免許取得1年未満の人だけでは不公平である。高齢者が75歳以上は全員が対象となっているのと同じように、免許取得3年~5年は初心者マークを掲示させるべきである。
免許歴47年・運転歴44年、無違反ではない(ネズミ取りの経験あり)が、無事故の実績は、まさに“腕におぼえあり…”。運転の怖さも楽しさも噛みしめている、自称ベテランドライバーに言わせると、我が身の危険を感じるのは、高齢者相手よりも初心者を終えたばかりの若者運転の方が遙かに多いという実感である。

交通事故撲滅は人類の悲願である。振り込め詐欺撲滅は親切で弱い人間の悲願である。
高齢者にも、初心者にも優しい交通マナーのアップは、他人任せでは達成出来そうにない。

       ( 写真:ご存じ、初心者マークと高齢者マーク )


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「拡大鏡」

2009年01月07日 | つれづれ噺
正月明けを待って、母が長く使っていた部屋の片付けを始めた。
それほど広くもない我が家で、一部屋明けておくほどの余裕はない。出来れば有効に使いたい。
しかも、玄関脇の陽当たり最高の一等室。 応接室として使えば、いいお客様が増えるかも。

その生涯が長かっただけに、色んな物が出てくる出てくる。 それぞれに母の思いが込められていたに違いない。そんな中の一つ、大きな足のついた首かけ式の拡大鏡が出てきた。母の目が段々悪くなって、老眼鏡では間に合わなくなった。それでも新聞はじめ活字を追う母のために、カミサンが通販カタログで探し当てて買った記念の一品だという。 これはばかりは我が家に残して置こうと決めた。

他のめぼしい物は、形見として姉弟や甥・姪に持って帰ってもらった。今我が家に残っている物は、処分方法をじっくり考えなければならない物ばかりである。

「形見分け」といえば、2500年ほど前、お釈迦様は、遺品を売ってそのお金を等分に分けるように教えられたそうな。そして遺品を受け取ると言うことは、亡き人の遺徳をしのび、生前の善行(ぜんぎょう)や浄行(じょうぎょう)を学んでいかなければ、形見を受ける資格はない、と説かれたという。

形見という目に見える品物は、このように近親の者に分け与えられて何も問題ない。ところが、『遺産』となると話は別である。結婚以来30数年、義父母と片時も離れず一緒に暮らしてきた「嫁という立場」には全く何の権利も保障されない。 逆に1年に一度か2年に一度遠くから帰ってくる実の子には、相応分の遺産相続権利がある。 平等を唱える法律がこれほど不平等に思えることはない。

世の中、裁判員制度導入で揺れているが、もし小生に裁判員の話でもあれば、いの一番に取り組んでみたい課題である。 オット、裁判員制度は刑事裁判にだけ適用されるのだったなー。 それにしても、世の中の小さな片隅で人知れず苦労している立場を、大きく映し出せる拡大鏡があってもよさそうなものを。

        ( 写真:足を胸に当て、首から吊せば手を使わなくていい拡大鏡 )
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