「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「レインボー」

2009年08月18日 | 季節の移ろい・出来事
天候不順を絵に描いたような今年の夏。
今日は大丈夫だろうとたかをくくって近くの海に行っていても、急に雲が出てきたな…と思うとたちまち降り始める。
例年のように、雲が出るだけで通り過ぎてはくれない日が多かった。その上、夕立とは思えない長雨になったりする。

夕立の後に虹が出るのは例年と大きく変わらない。多くの場合虹の向こうに青空が広がってくれると「ああ、夕立だったのか…涼しくなるぞ…」と期待もするし、空の青さや、湧き上がる積乱雲の白さに映えて、虹も美しく見栄えがする。
ところが世の中、一筋縄ではいかない。

虹の向こうに、今にも降りそうなどんより雲がかかっていて、虹の存在さえかすんでしまう、本来の姿とは違う“雲の中の虹”が結構見られた。
しかし、こんな虹の姿も子供達には見せておく必要がある。でなければ、虹と言えば美しく・夢を抱かせるのも…という単純知識だけ植え付けては片手落ちであろう。

我が岩国市の将来像を語る上でも、“岩国再生レインボーシティビジョン” なる構想を勉強したこともある。
『先進医療都市構想』『民間空港再開による企業誘致構想』『治山治水・農林漁業活性化構想』など。
言葉は硬いが我々岩国市民にとって、推し進めていきたい中味ではある。

しかし、用地の確保・先行投資の壁など大きな問題が立ちはだかる。
構想はレインボーでも、曇り空に覆われて、すっきり見えにくい今年の夏空の虹のようだ。
今回の国政選挙の結果が大きく左右することも間違いない。やはり、虹を夢みるのは一筋縄ではいかないようである。

それでも、虹のような夢を追い続けるのも人情。出来るなら、子供達にも夢を抱かせる“レインボー”であって欲しい。

        ( 写真:曇り空に覆われて、冴えない今年の“レインボー” )





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「ウスキヌガサダケ」

2009年08月17日 | つれづれ噺
少し運動不足が続いた。たちまちコンモリ感が漂う胴回り。さすってみたらこりゃヤバイ!!
早速お城山ウオーキング。雨上がりの湿った山の空気、時折差す陽差しを遮る木の葉。こんなシットリした美味しい空気を、誰憚ることなく吸い込める。たったこれだけでもなんかしら大儲けした感じの登山道。

しかも見知らぬ人と気持ちよく交わす挨拶。山道で出会うと不思議なほど、素直に素敵な挨拶が交わされる。
下界でもいつもこうであればいいのに……。

麓で最初に出会った人の良さそうなご夫婦から、「珍しいモノが見えますよ」とモノとその場所を教えてもらった。言われたとおり探した。あったあった、見事に成長した“ウスキヌガサダケ”。「足下は悪いし、マムシに気を付けて…」と言われていたので、それなりの用心をして、恐る恐る近づいてパチリ。大成功!!

     

普通は6月半ばの、カビも苔も一番繁殖しやすい時期に、腐葉土など栄養豊かな土に湿気が十分にあれば出るらしい。しかし、今まで、お城山登山道で目にした記憶はない。
土からの出たては、マッタケの細身みたいな姿。徐々に傘が開き、黄色い網のドレスが下り始めてから完全に覆い尽くすまで、約1時間半だという。それこそたまたま8月の長雨で、茂みの中は乾く間もなし。季節外れの芽生えに、折良く出会った、言ってみれば偶然。でもそのきっかけを作ったのは「城山に登って汗をかこう…」と思い立った自分である。

やはり、ちょっとやる気を起こしたら、早速世の中が応援してくれるのか…などと一人悦に入る、ダイエット登山。これからも続けるかな~。 

         ( 写真: 見事に最盛期を捉えた ウスキヌガサダケ )
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「いい日旅立ち」

2009年08月17日 | 趣味・・エッセイ
♪♪ ~~あーあ~世界のどこかに 
          私を待ってる人がいる~
     
いい日 旅立ち しあわせをさがしに~
         子供の頃に歌った 歌を道連れに…~ ♪

6歳児と思っていた我が家の孫が、今日から7歳の新しい旅立ちとなった。
色々楽しませてくれるカー君。これからも兄ちゃん・弟悠雅君共々、素敵な日々を重ねて行って欲しいと願うばかりである。
唯一気がかりは、あれほどまでに、弟・妹を欲しがっていたカー君が、「ユー君をばあちゃんに上げる、しっかりお乳を上げてね…」と真面目な顔で言う。

これまで下の子として一身に受けてきた注目度が、違ってきているものを自分なりに感じているのだろうか。もしそうなら、益々ジジ・ババの出番が重要さを増してくる。

今一人、大事なお友達の、3歳の女の子のお孫さんが、丸8ヶ月の日本滞在を終えてオーストラリアに帰られる。夏のオーストラリアから冬の日本にやってきて、夏の日本から、冬の終わりのオーストラリアに帰って行く。

色んな話の中で、それはそれは見事に逞しく成長し、いわゆる三つ子の魂…と言われる一人の人間としての急成長を目の当たりにしながら、一緒に楽しませてもらった感がある。

特に、三人とも男の孫の我が家とは対照的で、愛らしさやピンクのフリルなどには、ついつい羨ましさを感じたりしながら、それでもカー君の独特な思考回路との比較など、とっても楽しい日々だった。

二人とも新しい明日に向かって一歩を踏み出す。まさに「いい日旅立ち」世界のどこかで誰かが待ってくれている…。そんな素敵な日々を紡いで欲しい…と、カー君の誕生日に寄せて、思い出の1ページとしてここに記しておきたい。

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「ひとつクリアー」

2009年08月14日 | 家族・孫話
101歳で見送った母の新盆供養。
新たな命を受け継いだひ孫、悠雅君0歳をはじめ総勢14人が集まった。
お寺さんにお越し頂き「仏説阿弥陀経」読経の流れる中、厳かに供養を営んだ。

8月14日は、亡き父の36回目の祥月命日でもある。
久しぶりに二人が顔を合わせ、仏壇の奥で何やら話でもしていそうな感じさえする。

「○○ハナヨのおばあちゃんがこの世におられなかったら、こうして集まられた皆さんのほとんどがこの世に存在しなかったのですよ、だから人と人との縁は大切にして、末永くご供養されるように…」と話された住職さんのお言葉が印象的だった。

まこと、そう言われてみればまさにその通り。親と子、姉弟、つれあい、など人間の果てしないつながりを大切にしていかなければならないことを、改めて思い知らされる新盆供養でもあった。

父はもとより、母も賑やかな方が好きな夫婦だった。しかも母は101歳という大往生。新盆供養とはいえ、ともすればお祭りに近い気分になる。

「みなさーん、手を合わせて下さい。ではご一緒に、頂きまーす」ジジ顔負けのカー君の掛け声で始まる食事会。「次にカンパイしましょう…」と続く。
これは、本気でジイちゃんの持っている司会ノウハウを叩き込んでみようかと思わせる。

仏壇の陰で、再会を喜ぶ父と母も苦笑いしながら、ひ孫のパフォーマンスを眺めてているに違いない…そんな新盆行事、先ずは無事終了。一安心!!

       ( 写真: 若い芽を思わせる、朝日に向かって開くハスの花 )
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「お供え」

2009年08月13日 | つれづれ噺
母の新盆に向けて、母から見た子供・孫・多くの親戚などから、お仏壇へのお供え物が届く。
お提灯がその筆頭であろう。昔ながらの家紋入り行灯型提灯もあれば、現代風のバブル灯など様々である。
この地方では、迎え火を焚いて精霊を迎えるという風習は特にはない。しかし、これらの灯りと、贈ってくれた人の暖かさに接して、母の霊も迷わず帰ってきてくれるに違いない。

そんな中に、娘がお供えした-京菓子- がふと目に付いた。それぞれに意味合いを込めた、色んな形・色・風味を取り混ぜた20種類のお菓子が詰め合わされている。
「これほど優美な容姿と、気品あふれる風味、 そして詩情ただよう嗜好品は世界に類を見ない。 外国の文化を己のものとして受け入れ「創造」し、つくり続けてきた 京菓子を礎にし、21世紀の京菓子へと伝承したい。」と、京菓子協同組合の弁。

それにしても、日本人の琴線に触れる見事さで創り出される京菓子の世界。京菓子歳時記23番目となる盂蘭盆会。亡くなった人の霊を迎える行事になっている。昔から外に働きに出ている者や、嫁入りしている者も生家に帰り、家族そろって先祖の霊をまつるのが習慣である。

お盆の準備は、一般的には8月13日からであるが、京都ではその前に御精霊迎えの行事が今も続いている。そして、その日その日のお菓子までが準備されると言う。
我々信心の浅い者にとっては、とても真似は出来ないが、責めて母の新盆に当たって、ほんのわずかでも京の文化に浸ってみたくなったと言えば少し大げさだろうか。

12日 <お迎えだんご・蓮菓子>
13日 <お迎えだんご・白餅・おはぎ・蓮菓子>
14日 <白餅・おはぎ>
15日 <白餅・白蒸・お送りだんご>
16日 <白餅・白蒸・お送りだんご>

         ( 写真: お仏壇に備えられたー京菓子ー )
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「一蓮托生」

2009年08月12日 | つれづれ噺
                  
               あしたは咲くゾー                   こう暑くっちゃーネー

散歩コースのハス田には、白に近い淡~いピンクの花が無数に咲いている。お盆目前のこの時期は、ハスの花の出荷に余念がない。ハスの花はレンゲ(蓮花)と呼ばれ、7月の誕生花であり、夏の季語となっている。早朝に花開き、照りつける太陽を避けるように昼には閉じる。

仏教では、釈尊が蓮華の上で瞑想する絵が描かれ、極楽浄土の象徴とされている。そのため、蓮華をかたどった台座に仏像を乗せたり、厨子の扉の内側に蓮華の彫刻を施したりしている。また、主に寺院で仏前に「常花」(じょうか)と呼ばれる金色の木製の蓮華が置かれているのだそうである。

また死後に極楽浄土に往生し、同じ蓮花の上に生まれ変わって身を託すという思想があり、「一蓮托生」という言葉の語源になっている。さらに「善くても悪くても行動・運命を共にする」という意味につながっていると言う。

子供の頃の夏休み。散々泳ぎまくって、唇は紫色に…、お腹はペコペコ。その帰り道、ハス田に揺れる実のいった蓮の実は、天の助けと思えるほど格好のオヤツだった。
今では物珍しさで一粒くらい口にはするが、渋みがあってさほど美味しくもない。それでも当時は随分甘味があって美味しく感じたし、なにしろお腹の足しになってくれていた。へたに田んぼにはいると、ハスの新芽を折って肝心な地下茎が腐るといって、六尺棒で追っかけられたことも何回かある。

何が言いたいのか分からぬブログ、書く方も読まされる方も、まさに合縁奇縁「一蓮托生」で寛容なお付き合いを頂こう。
花言葉は「雄弁」「神聖」「清らかな心」「離れゆく愛」だそうだ。今の気持ちを雄弁に物語っているのかも。

           
                  ハスの実、生まれたて                       逞しく成長
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「新盆に備えて」

2009年08月11日 | つれづれ噺
母を見送って、昨日でまる9ヶ月。
3日後に控えた新盆法要に向けて、あれこれ汗を流す日の連続である。

降ったり止んだりの雨の合間を縫って、お墓掃除。バケツ3杯の水と、掃除用七つ道具をひっさげて。その中に亀の子たわしも入っているが、墓石にたわしはないだろう…と思い直し、きれいなタオルでこするこする。ピカピカに磨き上げた。一つ肩の荷をおろす。

14日には、お寺さんをお招きしてある。新盆に頂いた提灯の披露もある。そんなこんなでお客さんも見える。こりゃー植木の刈り込みもしておかなければ…。

いつの時も引き受け側には、表に出ない労力が積み重ねられているのだ。まあ当たり前と言ってしまえばそれまでだが、時には気軽に親元へ帰る身分を味わってみたい…と思うこともある。
労力だけにとどまらない「+αの散財」のあることは、言わぬが花としておこう。

誰かがやらなければならないことは、誰かがやらなきゃことは前に進まない。好んで親元を引き受けているわけではない。ましてや吹けば飛ぶよな次男坊。古来の家督云々の話になれば、冷や飯食いの筆頭のはず。それがどう間違ったのか、持って生まれた運命(さだめ)か、そうなる宿命だったのか。千祖伝来のお墓もお仏壇もこの手の中にある。

愚痴ってるなどと勘違いされるのは心外である。というのも、生前の母が誰よりも私を頼りにしてくれていたのを、身をもって感じているから。そしてこの手で黄泉路への道案内をさせてくれたことを、誇りに思っているのだから。

植木の刈り込みも格好だけは一人前。でも、クロガネモチは実が生っている部分は切り落とさないよう注意を払って刈り込んだ。冬場のヒヨのエサを確保するために。

                  
                          before              after

      ( 写真: 幕末期のお盆、『日本の礼儀と習慣のスケッチ』より )
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「この時期はやっぱり…」

2009年08月10日 | 季節の移ろい・出来事
田舎の夏は、色んな虫や生き物の宝庫となる。
1年前に、孫の兄ちゃんに教えられたタニシのタマゴもその一つである。

成長期のハスの葉や花の茎に、また田んぼの仕切のコンクリート壁面、水路の石垣などありとあらゆるところに、きれいなショッキングピンクのウインナソーセージに似た卵塊を産み付ける。

昨年のこの時期、卵塊の付いたハスの茎を持って帰って水槽に立てかけ、観察の真似事はしたのだが、孵化が近づいた頃スズメに突っつき荒らされ、肝心な場面に巡り会わないままお終った。結局、24時間ぶっ通しで数日付き合わないことには、孵化の現場に立ち会えないとの結論に達した。

ただ、今の田んぼを覗き込むと、3~5㍉のタニシの子供と思われる黒点が無数にうごめいている。早くに産まれた卵はすでに孵化されているのかも知れない。孫の兄ちゃんのザリガニ釣りに付き合いながら、見て歩く限りではこの程度の情報しか得られない。

日本にはマルタニシ、オオタニシ、ナガタニシ、ヒメタニシの4種がおり、日本全国の水田、用水路、池などに分布するが、分布域は種類によって多少異なり、ナガタニシは琵琶湖だけに棲息する固有種である。
成貝は条件さえよければ、三、四日に一度のペースで産卵し、その期間が二、三カ月続くため、二千から八千個の卵を産むと言われている。個体が大きいほど、産卵数が多い。ふ化率は70%から80%程度。産卵直後の卵塊は水中に落ちると死滅するが、ふ化直前(卵塊表面が白い)は水中に落ちても死滅しない。

今年は崖っぷちに産卵しているのが見つかった。そのすぐ下の水路に成貝がいた。「この親がこの卵を産んだんよ」と説明してくれる兄ちゃんの言葉を信じよう。やっぱり田舎の夏の風物詩、タニシのタマゴ、二番煎じながら敢えてアップ。

 
    ザリガニ釣りに熱中する兄ちゃん           1年前に撮ったタニシの卵
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「小さな裸の国際交流」

2009年08月08日 | 家族・孫話
観測史上最も遅い梅雨明け宣言。その後も結構雨が降る今年の夏。何か変。
雨降って 地固まらず 土石流。洒落にもならないほどよく降る。夕立も度重なる。
その後の蒸し暑さといったら、これは逃れようがない。何処にいても、何にもしなくても汗・アセ・あせ…。

風の通り道など探すほどの造りでもない我が家。ひたすら海に面した窓の効用を頼りにするが、今年ばかりは効き目が薄い。ついつい団扇に手が伸びる。

こんな暑さの中、孫二人を午後から預けられた日には、ジイちゃん大変。干からびそうなほどに流れる汗を拭きながら、海の公園お散歩。 元々が海水浴場であっただけに砂浜は広がるし、遊び場には事欠かない。

ちょうど最高の干潮時、小魚を捕まえたい兄ちゃんには絶好のチャンス。そんなに甘くはないが、小腰をかがめてダッシュのポーズ。何十回でも繰り返す。カー君はもっぱらヤドカリ集めと貝殻拾い。

満ち潮に変わってあっという間に海面が上がる。ちょうどその頃、赤鬼を思わせる六尺豊かな大男が、手のひらに乗るような可愛らしい女の子二人を連れて現れた。岩国基地のアメリカ兵とその子供さんである。実に愛らしい水着姿で小さなカニやヤドカリを探し始めた。
                         
思いがけないチャンス到来と思ったのか、カー君がそれとなく近づいて、自分のヤドカリを分けて上げる。兄ちゃんは逃げ回るカニを捕まえてプレゼントする。小さい方の女の子は、盛んにジイちゃんにちっちゃな貝殻を持ってきてくれる。

そのうち、「ボクも泳ぐ…」言うが早いか、水着でもない普通のパンツ一丁になって飛び込む。泳ぎは得意中の得意の二人。競争で彼女に得意のパフォーマンスを披露しているようだ。自然に笑みがこぼれる。女の子のお父さんも安心して遊ばせている。しばしの間、小さな裸の国際交流。瀬戸の海に感謝。
                  
こちらが先に帰ることになった。「see you again」二人の耳元で教えたら、兄ちゃんはそれらしく言ったような…。カー君は大真面目「しおあげん」を繰り返しながら大笑いで海の公園を後にした。
流れる汗が全く苦にならない、何だかおとぎ話の世界に浸ったような爽やかさが残る真夏の午後のひととき。

      ( 写真: 裸の国際交流…… )
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「6歳児に迫られて…」

2009年08月07日 | ニュース・世相
昨日夕方、突然の雨でサッカー練習が中止になったカー君が、駆けり込むようにやってきた。

「ジイちゃん、今日ねー、朝ねー、8時15分にサイレンが鳴ったんよー」
目を丸くしながらジイちゃんの手を取らんばかりに言う。

その勢いたるや、自分の胸につかえている思いを一気に吐き出したい・ジイちゃんに何かを答えてもらいたい、そんな熱気が伝わってくる。

「サイレンが鳴ったの…」「ウン。あれはね、大きな大きなバクダンが落ちてきてね、みんなが熱い熱いといって川に飛び込んだんよ。そしてねいっぱいの人が死んだんよ」必死にジイちゃんに説明してくれる。

読み始めて間がない「はだしのゲン」の影響かそれとも、どこかで誰かから聞いた耳学問か。いずれにしてもその目は真剣そのもの。東京タワーを見たくて甘えたのとは迫力が違う。

64年前の原爆投下という現実をどう説明するか、どのような注釈を加えて偏らない認識を植え付けるか、世界の中の日本をどのように意識させるか…難問である。言うまでもなく、ジイちゃんにはジイちゃんの信念にも似た思いは持っている。それを、そのままカー君に植え付けるのも如何なものか。

兄ちゃんは「アメリカが原爆の実験をしたかったんじゃろ、じゃけー飛行機に積んできて落としたんよ…」こちらはもっと具体的な話をどこからか仕入れている。「それもあるかも知れないね…」迂闊なことを言えば、アメリカが一方的に悪者になって、この子達の将来の国際観念を損なってはいけない。世の中の全てのことにおいて、片方だけが100%のワルで、片方が完全な善玉などという単純な色分けはあり得ないことも分からせなければ……苦慮するところである。

原爆投下という事実は避けて通ってはならない。これからの人間社会で核兵器などという愚かしい物は徹底排除しなければならない。その前に、「人間同士決して戦争を起こしちゃいけんのよ、みんなで仲良くしないとね」これだけは6歳児も3年生にも徹底して叩き込んでおきたい。

そして、もう少し時間をかけ、彼らの成長にあわせてジイちゃんの色んな思いを聞かせることにしよう。
多感な6歳児、想像をふくらませながらあれこれ思うようだ。
流れる汗を拭いてやり、冷やしたスイカをお皿に盛って、原爆投下64年目の夕方は静かに暮れていった。

           ( 写真: 夕闇迫る広島、原爆ドーム )
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