「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「犬の散歩のお裾分け」

2009年08月06日 | つれづれ噺
“ 旬の味 小皿に載って 垣根越し ”
お隣さんから色んなお届け物が来る。その容器に載ってこちらからも行く。また帰ってくる。
一つの容器が何回か往復することがある。お互い若くはない二人暮らし同士。話題の交換だけでなく、手作りの味の交換も実に心和むものがある。こんなのを援助交際…というのか。ちょっと違うかな……。

今日もまた大きな袋に入って、ジャンボ・ナスが届けられた。
「犬の散歩でね、畑のおばちゃんと仲良しになって、色々くれてんよ…」と。
大きい物はなんと45㎝はある、とてつもない大きいナス。紫というより黒光りするほどの豊かな実り。

ナスは作りが難しくて、我々素人には向いていない。虫にやられて葉がボロボロに穴だらけ。ここ3年ばかり植えたことのない難敵である。にもかかわらず、プロの手にかかったらこんな立派なのが出来る。

それを惜しげもなく只で下さるのだそうな。それが我が家に回ってくる。まさに「犬の散歩のお裾分け…」有り難い。

現在では、県や市の迷惑防止条例で、犬の散歩に関しては、フンの処理は飼い主の責任において適正に処理すること。やたらに放置すれば罰則の対象になる。ということで、お隣さんなどは、確実にスコップと袋持参できれいに始末される。
そんな行為が、ともすれば投げ込まれかねない畑の持ち主さんから好意の目で見られているのかも知れない。

たかが犬のフンであるが、迷惑をかける側と迷惑を蒙る側があるのなら、迷惑を防止するのも人間社会の基本であろう。たったこれだけのことでさえ守れない「犬は可愛がるがフンの始末はしたくない…」という無責任は慎むべきである。
そうすれば常に畑作物のおみやげがついて回るわけではないが、ルールはルールとして守ることが、住みよい社会の原点になる。こちらは道ばたにフンをしない、将来ある子どもが散歩する公道なのだから。

      ( 写真: お隣から届いた“犬の散歩のお裾分け”のジャンボナス )
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「夕日には夕日の…」

2009年08月05日 | つれづれ噺
♪♪ 朝日を拝む人あれど 夕日を拝む人はない…♪ などという歌の文句を聞いたことがあるような……。
昇る朝日は、一日の始まりであり“これから…”を予感させる。
一方沈む夕日は、今日一日の終わり“あー終わった…”をイメージする。

前向きに生きる…とか、人生にチャレンジ…などという勢いをつける意味を持たせたいときは、夕日というより朝日がお似合いだ。
一方で、精一杯動いて汗を流したあとの気持ちを鎮め、落ち着きを取り戻すのには夕日が似合っている。
詰まるところ、朝日には朝日の・夕日には夕日の価値を感じながら上手に付き合っているようだ。

昇る朝日に、沈む夕日、みんな違って みんないい……再び金子みすずの世界に逆戻りしそうだ。

一泊二日の温泉三昧を楽しんだ、山口県の日本海に面した油谷湾(ゆやわん)温泉。トロンとしたアルカリ性単純温泉の柔らかな湯につかり、対岸の景色を眺めるだけでも、長距離を走った効果十分であった。
それにも増して、油谷湾に沈む夕日は格別な味わいのある風景であった。

この夕日の絶景は、油谷湾温泉の目玉として「オカネになるんじゃやないか…」などと大きなお世話に目が行ってしまう。 というのも、愛媛県双海町の元教育長さんが、「きれいな夕日をテーマに町興しをしよう…」と思い立って、外部から訪れる人のいなかった町を一気に観光の町に変身させた…という話しが、耳に焼き付いていたせいであろう。

そこには夕日の美しさに加えて、人のためになるには何を基本とするべきか…などの試行錯誤があったのには間違いない。そして得た方向として「楽しいことをしよう。美しいことをしよう。そして新しいことをしよう。」この三つの原則を守ってひたむきにチャレンジすれば「沈む夕日もオカネになる…」ということらしい。

ウーン! なるほど!!

       ( 写真: 油谷湾に静かに沈もうとする真っ赤な夕日 )
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「金子みすずの世界」

2009年08月04日 | つれづれ噺
   母さま、
   裏の木のかげに、
   蝉のおべべが
   ありました。

   蝉も暑くて
   脱いだのよ、
   脱いで、忘れて
   行ったのよ。

   晩になったら
   さむかろに
   どこへ届けて
   やりましよか。 (蝉のおべべ)

「若き童謡詩人の巨星…」と、西条八十氏に絶賛されたことでも有名な、郷土の詩人「金子みすずの世界」。
つたないながら、こうしてブログのひとつも書いてみよう…と思う私にとって、少なからず心に留め置きたい、いつも意識していたい一人である。

ひょんなことから、彼女の生誕地である長門市を通る用件に恵まれた。
かねてより、是非訪れてみたかった「金子みすず記念館」見学。思いが叶うことと相成った。

進路はカーナビ任せ。ETC1000円制度の初利用。我が家から160㎞の位置にある。
JR仙崎駅から直線に延びる“みすず通り”。折良く“みすず七夕笹祭り” に出くわし、商店街あちこちに飾られた華やかな笹の葉飾りの歓迎を受けた。(1ヶ月遅れ、旧暦の七夕)

                         
商店街ほぼ真ん中に位置する「金子文英堂」と、大書された看板を掲げるレトロな書籍店。
それもそのはず、大正末期から昭和初期にかけて彼女が過ごした少女時代の金子家を再現したものだという。

入り口はともかく、中に入って驚いた。それはそれは立派な現代建築による素晴らしい記念館が建てられている。(2003年建築)当然ながら彼女にまつわる数々の名品・逸品が揃えてある。

長門市を上げての観光資源として、行政が目一杯の応援をし、歴史に名を残す詩人の功績を後世に伝えようとする意図が見て取れる。そんな意味からもとっても清々しいひとときに浸れたのは、大げさに言えば、人生の小休止をさせてもらったような心持ちであった。 

もちろんそれは、26歳という若さで燃え尽きた薄命を惜しむ気持ちと、その短い生涯に遺した、これほどまでに誰からも愛され・親しまれる「詩の世界」。おざなりに扱っては、ペンを持つ資格さえ危ういかな…などと感じるとっても効果的な刺激を与えられた思い。 これからも、大いに金子みすずの世界に思いを馳せながら、優しい・分かりやすい・肩の凝らない文章に挑戦したいな……。
記念館見学は、多くの人にお勧めの静かな名所であり、観光スポットである。

         ( 写真: 長門市仙崎にある、金子みすず記念館 )
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「お食い初め」

2009年08月01日 | 家族・孫話
早いもので、3人目の孫「悠雅君」が誕生して100日が過ぎた。
これまで無事に育ったことに感謝し、これからも順調な発育を願って、古式ゆかしく「お食い初めの儀式」を執り行った。と言えば仰々しいが、早い話、悠雅君用の新しい食器とお箸を買い揃え、鯛の尾頭付きと赤飯を用意して、食べさせる真似事をする、一種迷信にも似た儀式である。

お食い初めとは、「箸初め」「箸揃え」「真名〔まな〕初め」「百日〔ももか〕」などといい、生後初めて赤ちゃんにご飯を食べさせる祝いの行事なのだ。歯が生えるほどに成長したことを喜び、こどもが一生食べるものに不自由しないように祈り、健やかな成長を願う儀式だという。

生後100日目か200日目(地方によっては110日目)にこどもに初めてご飯を食べさせる祝いの行事で、平安時代から行なわれていたといわれている。

それが現代まで営々と引き継がれているところをみても、この世に誕生した子どもを大事に守り育てて行こうとする親心・周囲の人たちのあたたかい目などは、古今東西何も変わることはないということだ。いつの時代も子どもは世界の宝物であることも、なんら変わらないのであろう。

これまでの主役の座を悠雅君に譲った二人の兄ちゃんの表情もなかなか複雑。
兄ちゃんはやはり兄貴としての自覚が芽ばえるのか、落ち着いて表情も柔らか。カー君は今ひとつ納得いかない部分もあって、少し硬い表情。

三人三様、これからどんな兄弟模様を見せてくれるのか、また楽しみが増えた。 

        ( 写真: お食い初めの赤飯に反応する優雅君 )

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