「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「聖人君子への道のり」

2011年12月20日 | 季節の移ろい・出来事

       

あれやこれや、これやあれや。我ながら押しつぶされそうな忙しさの中で迎えた師走半ば。
日本郵便の誘い文句に載せられたわけでもないが、同じ出すのなら元旦に届いて欲しいと思う年賀状。忙しいなどと愚痴の一つもこぼしながらも毎年締め切り前に出してきた。

ここ数年の中で、感じたことのないほど本当に忙しかった11月12月の日々。
この時期の宴会ではどうしても歌いたくなる、吉幾三「雪国」。 “・・・ ・・・ 追いかけて・・・追いかけて・・・追いかけて 雪国~ ” ではないが、時間に追いかけられる中で、意外に冷静に順序立てて、予定の一つひとつをこちらから追いかけてこなして行ったように思う。

そして今日、大半を仕上げた200枚を上回る年賀状。
虚礼と言われようが何と言われようが、疎遠の方とは一年に一度正面切っての消息確認。この上ない安心を頂ける古来の風習。辞めるなどは考えたこともない。
パソコン作成か手書きか、などの議論もあるが、差し出す相手方の顔を思い浮かべ、内容を考えて作るオリジナル年賀状に、値打ちの有り無しが語られるのだろうか・・・などと自分の都合のいいように解釈して今年もパソコン頼り。完璧に元旦に間に合わせた。

「何がそんなに忙しいのか???」 それを聞くのは野暮と言うもの。
もちろん、要領の悪さがあったり、無駄と思える時間浪費もないとは言わない。
それらを差し引いても、色んな役回りが巡ってきたり、思い入れのある作業も外せない。
これらを如何にやりくりして、制約された時間の中で結果を出して行くか。一種の闘いにも似たこの感覚はどうかすると快感につながるから不思議である。

などと、一通りの行事を終えた今だからこんな生意気なことも言える。
どこかで聞いてもらいたい愚痴もある。やっぱり聖人君子には程遠いな~

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「お手柔らかに・・・」

2011年12月19日 | 季節の移ろい・出来事

      

自然の持つ威力、目に見えない底力そしてある意味気まぐれを見せつけられたお話。

昨年の冬、というか、今年に入っての小寒・大寒を迎えても、全く花開く気配さえ見せなかった我が家の「寒アヤメ」。
待ちに待ってようやく花を見せてくれたのは2月も終わりの頃だった。それも最初に一輪咲いたと思ったら、それこそ「咲き乱れる」と形容するにふさわしく来る日も来る日も数本が花開き、これまで見たことのない狂い咲きの様相であった。

あれから10ヶ月。大雪とはいえ未だ冬至にも至らない今、見事な薄紫の花を開かせた。
青々とした葉っぱに囲まれて二輪、スックと咲いている。その健気な立ち姿は、「忙しい中でも花を愛でるくらいのゆとりを持ったらどうか」と活を入れられている気がしないでもない。

赤く咲き乱れたサザンカが終わりに近づく頃、代わって姿をみせる清楚でたおやかな寒アヤメは、愛おしささえ感じさせる。
昨冬とこの冬いったい何が違うのだろう。こじつけて考えるなら、あの未曾有の震災に見舞われ、被災された方々を、少しでも早く慰めたくて例年より早く花開いてくれたのか。

いくら自然は気まぐれだといっても、そこまでの配慮をするのだろうか。
偉大なる自然の前では、人間なんてほんのちっちゃな、か弱い生き物でしかない。
頼むよ自然さん。これ以上、か弱い人間を痛めないでよ。お願いだから。

そうか、人間が寄ってたかって自然を破壊し、痛め続けるから、ときにこっぴどくしっぺ返しをしたり、人間に警告を与える意味の怒りを表しているのか・・・。 ウーン・・・。

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「ひょっとしたら・・・」

2011年12月17日 | 宴会・会食

 

何回かあった今年の忘年会と言う名の宴会。
孫3人に囲まれた、というか孫をお守りしながらの今夜の忘年会が、ひょっとしたら今年の締めくくりの忘年宴会になるのかもしれない。

毎年この時期に、娘夫婦が「今年一年のお礼の会」ということで、ジジババを招待で宴会を開いてくれる。温泉に招いてくれたり、豪華料亭などもあった。
それほど気を遣わなくても、と思うのだが、婿殿の気持ちを思うと、むげに断るわけにもいかず、お言葉に甘えて招待を受けている。

今年は、明日のスキー大会出場の二人の兄ちゃんにスタミナを付けさせようということで、スキ焼としゃぶしゃぶの肉料理大会となった。
いつもの通り、呑む量はしれたもの。婿殿の相手にはなれない。彼は我が家を代表する酒豪で、親戚の集まりなどの酒の相手は全て彼に任せても潰れることはない。
だから呑むのはほどほどに食った食った。といってもその食べる量も、今や5年生の兄ちゃんには追いつけなくなっている。

カー君は相変わらず食が細く、考える時間が長いため、食べ終わるのに時間がかかる。それでも、明日の為に食べろ食べろとせっついてなんとか食べさせる。
三男坊ははなからマイペースの独壇場。ジジの膝の上で、ビールをせがむ。いないと思ったら隣の席の座布団ででんぐり返り。
なんのことはない、娘夫婦はしっかりお召し上がり。やはりジジババは子守がお似合い。

やんちゃな三男坊にカメラを向けると、中指と人差し指のVサインがまだ出来ない。親指と人差し指を大きく開いて悠雅君流Vサイン。

よく考えてみれば、彼ら三兄弟のお陰で元気をもらっているのはこちらだ。礼をしなきゃいけんのはこちらか・・・?とは思うが、まあいい。持ちつ持たれつ。これでいこう。
これで今年の忘年会もおおむね終了。明日からやっと年賀状作りに邁進!!

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「最初で最後の・・・」

2011年12月16日 | 季節の移ろい・出来事

     

今年の暮れは、どうしたわけか子どもたちのしめ飾り体験教室に二度も付き合った。
どちらも、4年生が行う体験学習の一環であり、5年と3年の我が家の孫とは縁がなかった。

若いころ、父親がしめ飾りを作って商いをしていた一時期がある。
10月に新米が取れた後の真新しいワラを大量に購入し、青さを保つように保管し、11月半ばから一気に縄をない始める。縄は「なう」というのが正式な呼び方である。
何百とない上げた縄に、ユズリハ・橙・金紙・扇などを取り付ける。毎年毎年この時期になると、夜が更けるまで総動員令がかかる。そしていよいよ販売の前夜にウラジロを結びつける。これが大変な作業。そして寒い寒い道路わきで道行く人に買ってもらう。

あまり自慢の出来る思い出話ではないが、生きるという実感、お金を稼ぐという厳しさを植え付けられた、貴重な体験だったな・・・と今では思える。当時は辛かったと思う。
しめ縄とは左ないで、右ないには多少の経験があるだけに、なかなか左ないが出来なくて、父親の助けにならなかったことを思い出す。

地方や祀られる神様によって、しめ縄が右ないであったり左ないであったりする。
この地方のしめ飾りは、太古の昔から左ないである、との説明が長老からなされた。何故左ないなのか確固たる理由や言われがあるわけではないような。少し曖昧。

普段ワラその物を見ることさえ少ない子どもたちに、左縄をなわせる・・・。出来るのか?と思ったが、右ないも全く経験ない彼や彼女にとって、縄とは左ないするものだと思いこませば上達も早い。長寿会や地元の有志などの指導を受ければ、始めてから少しすると、あちこちで、やった!出来た!の声が上がる。

しめ飾り作り、人生のうちで最初で最後の体験かもしれないが、一度は手に取ってやってみることは無駄ではない。そして長老から「新年に戸口にこれを張るのは、わざわいをもたらす神や不浄なものが内に入らないように、縄張りの意味がこめられています」などと故事来歴の一端を教わる貴重な体験になるのだろう。

遠い昔を思い出しながら、少し妙な気分で子どもたちの手さばきを眺めた。

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「今年の一字」

2011年12月14日 | ニュース・世相

          

例年行われる、日本漢字能力検定協会による「今年一年を表す漢字」の自主投票。
過去最多の50万票近い投票の中から選ばれたのが「絆(きずな)」であった。

東日本大震災や台風などによる大雨被害。ニュージランド地震、タイの洪水など。地球上で発生した大規模災害によって、人と人とが助け合い、手に手を携えて立ち向かうことが如何に大切か、改めて問われた1年であったような気がしている。

そんなことから今年の場合、選ばれるであろう一字がある程度読めた。
単純明快な一言「絆」 この言葉が最も多く聞かれ、最も声高に叫ばれたと思う。
それは災害からの立ち直りや、被災した生活設計の立て直しにとどまらず、スポーツの世界でもチームワークと言う絆の大切さが叫ばれた。

そう、あの女子サッカーワールドカップで優勝、世界一をもたらした「なでしこジャパン」の連携とお互いの信頼関係に象徴されるようになった。

「絆・きずな」とは馬・犬・鷹などをつなぎとめる綱のことを言う。断つにしのびない恩愛。離れがたい情実。とある。
つまり、お互いの信頼関係でつなぎ合わされるもの同士が作り出す愛の世界、とでもいうのだろうか。そんな言意味からも今年を代表する漢字は「絆」で全く異論はない。

せっかくこれほどのいい言葉が選ばれたのだ。ご相伴にあずかって、色んなところで色んな形で絆を広げ、豊かな人生にしたいものである。という夢でもみたいものだ。
特に大きな欠陥もなかったこの1年。確かな絆が生まれているのかも・・・。

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「歌舞伎十八番」

2011年12月13日 | つれづれ噺

     

年に一度、岩国市内の小学校で行われる子ども歌舞伎公演を見学した。
演しものは歌舞伎十八番「勧進帳」。およそ1時間の一幕を、ほとんど出ずっぱりでセリフも半端な量ではない主役「弁慶」。今年も5年生の男の子が演じた。

「配役が決まったのが夏休みの8月。それから毎日、ビデオを見ながらセリフを覚える独り練習。週に1日の全体練習がみんなと会えるので楽しみ」と屈託なく話してくれる。
よくやったね~と褒めると「じゃろ、きょうはよく出来たんよ、嬉しい」白い歯を見せにっこり笑う。幼い小学5年生の素顔がある。

体育館に集まった350人を超える観客はほとんど大人。出演者の保護者や親戚縁者など関係者が多いようだ。中には、子供たちの一生懸命な姿に涙を流しながら見入っているお年よりも。その反面、小学生の観客は数えるほどしかいない。
何故だろう。学芸会には全員参加だろうに・・・。今は学芸会などというものもないか。

小学生が、教諭に教わって歌舞伎を覚え、学校の体育館を使って上演する年に一度の「こども歌舞伎公演」。それなのに肝心な小学生の見物客がいないに等しい現実。
飽くまでも学校行事ではない歌舞伎公演。クラブ活動でももちろんない。いわゆる任意の演劇団体で、スポーツ少年団などの大会と同じ扱いということ。

まあ観衆やいきさつはともかく、よくやるものではある。
花道から登場して先ずは長いセリフ。関守富樫とのからみ、勧進帳の読み上げ。大酒を飲み干すしぐさ、一指しの舞。そして飛び六法という伝統振り付けで花道を下がる。
思わず、シャッター押すのを忘れて拍手を贈る。

衣装は教諭の知人などが手助けをするが、演技指導、振り付けは東京から現役の役者さんがやってきて直接指導するという。それに応える出演者諸君の努力を、全学年の子供たちに見せるのも教育上悪くはないと思うのだが・・・。

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「・・・思うように・・・」

2011年12月11日 | ニュース・世相

3.11 東日本大震災から9カ月目を迎えた12月11日。
夕方のNHKニュースで、「震災から9カ月、思うように復興は進んでいない」と、復興への道のりの険しさを強調していた。

この場合の「思うように復興は進んでいない」という「思うように」とは誰の思いのことを言っているのだろう、と素朴な疑問が湧いた。
NHKの現場担当記者の思いなのか、多くの被災者の思いなのか、政権としてモタモタしながらも復興に取り組んでいる政府の思いなのか。さてどれをさして言っているのだろう。

「思うように」。この一言はあらゆる立場の人々の「思い」を吸い上げて言っているのだろうか。
思うに、一日千秋の思いで完全復興を願う被災者の立場からすれば、現状の復興スピードが思うようなものでないことは明らかであろう。
それでも必死に耐えながら、失ったものの大きさにおののきながら、明日を信じて生きて行こうとする人たちに向けて、「思うように復興は進んでいない」などと簡単な言葉で負のイメージだけを植え付けることが公共放送の使命だろうか。

あれから9カ月。必死の復興活動が行われているにも関わらず、被災者の満足を得られるものではないが、このような復興実績もある。といった、多少は希望を持たせる、勇気づける放送の在り方があってもいいのではないか・・・と痛切に感じた。

今日の場合もNHKとしては、多くの被災者の代弁であろうことは想像できる。あれから9カ月たってもなお復興がはかばかしくない、という警鐘を鳴らす意味と捉えたい。

9ヶ月になろうが、10ヶ月であろうが、我々は忘れないし、一日も早い「普通の生活」が戻ることを祈る気持ちに何ら変わりはない。それだけに、少しは明日につながる明るい表現、手応えのあるニュースソースを求めてしまうのである。

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「年忘れの・・・」

2011年12月10日 | 宴会・会食

あれが忙しいこれが忙しいと言いながら、忘年会と言う名の飲み会も何度か楽しんできた。
忙しいスケジュールの中に、今年一年を清算するという忘年会が何度か入ってくるからまた忙しく思えるのか、「こんな大切な会を外してなるものか・・・」と自ら忙しくしているのか。

どっちにしたって楽しいものは楽しい。この楽しさを抜きで本当にあれこれに追われるだけの忙しさなら、あほらしくて何にもしたくなくなるのだろう。
お酒が絶対的に欲しいわけではないが、少しでも入ると気持ちは和み、舌先の筋肉もゆるくなる。必然的に大きな声を出してみたくなる。それも演歌というフシをつけて。
となれば行先はおよそ決まってくる。

もっとも最近の「大大大忘年会」は楽しかった。何回かある中で、珍しいほど笑い転げるのが忙しく、ビアグラスに伸びる手が鈍るほどの大騒ぎ。
「何が?」「どうして?」「何があってそんなに・・・?」。
そんな理屈に答える暇がないほど、皆がワイワイガヤガヤ発散した。 と思う。

任意で寄り集まったグループが、一人欠けることもなく全員が集まるという不思議な現象の忘年会。だからといって昼間に開かれる真面目な会合が全員そろうなどという経験はない。誰かが欠ける。なのに、寒い、夜の、お金もかかる会が全員集合。なんじゃろうこれは。

少なくとも、現役時代に経験した「忘年会お義理の付き合いまずい酒」とはわけが違う。
今となっては、お昼の勉強会も悪くはないが、たまにこうして夜、全員集合でワイワイ騒ぐのも間違いなく活力源となる。来年もまた今年以上に腕を奮ってみるか・・・と思えてくる。
自己満足?それもいい。みんなが納得してくれるものになったらもっといい。

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「続、黄落」

2011年12月06日 | つれづれ噺

小生作品

ネット作品

1年前、「黄落」という言葉を知ったことをアップした。
木の葉または果実が黄ばんで落ちることを言うのであった。
その時にそれらしい写真を探していたら、見事な黄色のじゅうたんを見つけた。

さてどこだろう、突き詰めもしないまま1年が過ぎた。
今年、その場所と似通った銀杏並木、敷き詰められた黄色いじゅうたんに出合った。
二条城内堀と外堀の間にある、清流園と緑の園あたりの散策路で見つけた光景である。

全く予備知識もなく偶然通りかかった景色なのに、何故か心ひかれる。よく見ると遠い記憶の中に同じ光景が浮かぶ。「そうだ!あれだ!!」思わずシャッターを。
わずかな角度を変えてみれば間違いなく同じところに見える。文字通り「黄落」。

ということは、ただぼんやり眺めただけではなく、いいものはいい、素敵なものを素敵な感覚で捉える感性は健在だということになるのかな・・・ちょっとだけエッヘン!!
ただ時期的なずれがあって、黄色一色と、黄色の上に適度な赤いモミジを散りばめた色合いの差はみられる。が、どっちもどっちも見事であることに変わりはない。
こんな心洗われる光景に直接立ち会えたことだけでも、大きな大きな得をした気分にさせられる。

そんなことこんなことがいっぱい詰まった修学旅行をたどる旅。
行く先々で出会った一つひとつの景色や木々が、気持ちの奥に沁み込んでいる。

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「師走の京都修学旅行」

2011年12月04日 | 旅行・レジャー

京阪神方面と言う中学校の修学旅行。
奈良・京都・大阪をワクワクしながら巡ったのは半世紀以上も前になる。
今年の遅い紅葉に誘われて、中学修学旅行の足取りをたどってみようと思い立った。

ところが、いざとなると欲が出る。明治維新と言う歴史の大舞台となった京都には、垂涎物の場所や人物碑、神社・仏閣がひしめいている。想いのままに一通り巡ろうなどと思えば、定期券でも買わなければならないほど、魅力は尽きない。段々修学旅行コースプラスαが出てくる。理屈抜きで写真で振り返ってみたい。

京都御所蛤御門。柱に残る弾痕感動。

二条城、本丸跡から二の丸を見降ろす。遠くに比叡山を望む
昨年はネットから拝借した絶景が
                 二条城の散策コースで見られた。
 


新撰組が襲った三条小橋の旅館池田屋。階段が復現。但し現在は居酒屋に変身。

 京都南座、師走恒例の「まねき」
紅葉の穴場ともいえる、大徳寺
紅葉映える金閣寺
平安神宮応天門
大極殿に向かって右の蒼龍楼
知恩院山門法然上人800回忌
知恩院御影堂。
重厚さに圧倒。知恩院では開祖法然上人、800回大遠忌法要の年に当たっていた。
ねねの道を登り、二年坂・産寧坂の明保野亭を経て清水寺へ。


  清水寺山門を見上げる。       清水の舞台から見下ろす紅葉

誰もが写す清水の舞台。紅葉が見事に映える。舞台が落ちそうなほどの人ひと。

 見上げる舞台はやっぱり高い。飛び降りるには勇気がいる。

半世紀の歳月は物の見事に実感としてこの目に映る。
とくに、平安神宮の鮮やかな青い屋根と朱色の蒼龍や白虎は、時の流れを感じさせるほどくすんで見えた。あながち小生の目が悪いばかりではなさそうだ。
と、今回の修学旅行思い出の京都を時系列に追ってみた。

最高の思い出は、御所の「はまぐり御門」の大きな門柱に残る弾痕。
指の先がすっぽり埋まるへこみが無数にある。かつて「禁門の変」で長州が朝敵となった薩摩軍との戦いで、撃ちかけた鉄砲玉の痕である。
胸躍る大きな歴史に直接触れる気がした今回の旅であった。

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