畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

感動と涙のコンサート

2019-08-18 04:53:16 | 暮らし

 久しぶりにサンドコンサートに行くことが出来ました。

男性5人による「男声四重奏」がこの日の内容で、お盆明けのまだ忙しい中でも、どうしても聞きたかったのです。

 しかも、入場前に友人夫婦と4人で「越後の台所 すずきち」で昼食を摂るというおまけつき。

友人夫婦はこのコンサートを紹介してもらった経緯があり、音楽に造詣の深いご夫婦なのです。

 そうそう、娘が土曜出勤(午前のみ)そして、婿殿も仕事なので孫を連れての昼食。

初めての店なのに孫は上機嫌で、持参の昼食を完食。食事を終えるころに娘が来店し孫を連れて行くという慌ただしさでした。

 

 会場はいつもの「朝日酒造」のエントランスホール。

天井が高くて音響効果も抜群なのですが、建物の構造上冷房は無し。暑い会場でも有りました。

 

 細長くて、天井が高いのだけれど最も奥のステンドグラスの前が演奏会場。

柱までエンタシス風に作られた凝った様式ですね。ホールの左右は狭いので、本当に眼前で聴くことが出来るのです。

 

 演奏中はもちろん撮影禁止ですから、演者たちの入場前に一枚。

メンバーは年齢もバラエティーに富んでいますが、教職関係者たちのグループのようです。

 最も若いソプラノ担当だけが飛びぬけて若く、越えたばかり。

男声の合唱も力強くて良いですね。そして、独唱部分も有りましたがソプラノも素晴らしい。

 

 こんなレパートリーで感動の合唱が開始されました。

レパートリーⅡは地元長岡に縁の深い詩人「堀口大学」の詩による「月光とピエロ」の全曲。

 レパートリーⅢはイタリア名曲集で、「フニクリフニクラ」などが軽快に歌われます。

暑い会場であり、歌い手も聞き手も大変。歌手たちも聴衆も水分を補給しつつのコンサートになりました。

 

 レパートリーⅣは、題名を見てピンときましたが、内容は思った通り子供の詩でした。

作詞者は作った際は小学生で、愛し愛された母が突然の脳内出血で亡くなられてしまったと言う内容。

 演出も作詞者と同年齢位の女子が朗読する部分も有り、もう涙腺の弱いスベルべは涙が止まりません。

演者たちも熱が入り倒れるのではないかと心配になるほど。それでも感動の拍手に応えアンコールにまで答えて下さいました。

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ようやく願いがかないました

2019-08-17 05:54:14 | 暮らし

 (14日の台風接近前の夕方です)

 お盆は亡き人々をお墓に迎えに行き家に連れ帰り供養する。

短い日数を家で過ごす仏様、ご先祖の霊は束の間の安穏に浸ることが出来たであろうか。

 高校時代最も親しい友となり、濃密な時間を共有した友人がいた。

彼が高校を卒業し、上京してからも付き合いは続き、帰京すると我が家に逗留。

 我が家の両親に「何日泊っても良いが、ご両親にも顔を見せてきなさい」と諭されると帰って行った。

でも、どうも自宅に帰省した様子は無く、そのまま我が家から東京に向かったようだった。

 どんな経緯か、聞きもしなかったし彼も可たることは無かったが、実家と疎遠な事は薄々感じていた。

そんな彼と、30歳代に入ったばかりの頃から、ぷつんと付き合いが途切れてしまった。

 

 (15日の朝です)

 そんなに親しく付き合った友人との関係が途絶えたかと言うと、有ることが原因だった。(と、想像する)

私の叔母、母の妹が早くして寡婦となり、東京で居酒屋を経営して暮らしていた。

 それを彼に教えると、密かに店を探し出しいつの間にか常連客になっていたようだった。

上京した際に彼は黙って私にとっては初めてのその店に誘い叔母を驚かせたものだった。

 その後は想像するしかないのだが、その店に関係した女性に彼は恋心を抱いたようだったと聞く。

叔母の店は土地開発計画に関係して移転するのだが彼にはその話を伝え忘れていたのではなかろうか。

 多感、純真な彼はその女性との関係を断つために移転話をしなかったのではないかと思いこんだと想像する。

その頃から、電話の交換が何回かあっただけでその後、彼との連絡はぷっつりと途絶えてしまったのです。

 

 (15日の日中です。稲穂が台風の関係する風で揺れていました)

 そんな彼が無くなったと聞いたのは数年前の事。驚きと悔いとの複雑な思いが交差し悩まされた。

彼の実家は妻の実家と同じ集落で、いつでも訪問できる距離。ここ何年かはお参りに行きたい気持ちがあったが行けなかった。

 心の中にどこか躊躇する部分があり、行きたいと思い続けながらもお盆の多忙さにかまけて怠っていたのです。

何年もそんな気持ちを持ち続けていましたが、今年は我が家が夫婦二人きりの静かなお盆でもあり訪問お参りに行きました。

 妻の実家の兄上、義兄に案内を請い初めての彼の実家を訪問しお参りすることが出来たのでした。

ご実家は弟さんが継ぎ、今は夫婦お二人で暮らしておられました。お二人の口から驚きの話が聞けました。

 亡くなったのは平成24年4月24日。死因は食道癌であり病院を弟さんが訪れた際には意識も無かったとか。

亡くなってから7年もお参りにこれなかった事を悔い、仏壇に詫び気持ちでお参りを済ませました。

 これで、ようやく彼との関係が修復し、そしてまた途切れたしまったものと思っています。

葬儀は近親者のみで静かに営まれたと言います。そして、彼は姉に遺骨は海に散骨してくれと言い残したそうです。

 でも、故郷、ご両親の傍で眠ってもらいたいと考えた弟さん夫婦は自宅に持ち帰り、ご先祖様に納骨したと言います。

もう、彼のご実家を訪れることは無いでしょう。もしも、次に機会が有ったならばお墓にお参りに行きたいと思っています。 

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連載208「男の料理教室」(その1)

2019-08-16 06:05:35 | 食べ物

        男の料理教室(その1)

 

 退職ブルーとも呼ばれる退職後遺症で落ち込んだ日々を過ごしている頃、

同級生の一人に社会福祉協議会が主催する「男の料理教室」に誘われた。

日々、落ち込んでばかりも居られないと、気持ちを奮い立たせて参加することにした。


 元々料理、包丁を握ることは嫌いでは無かった。内容はと言えば渡りに船の感じも有り、興味を惹かれる物ばかり。

そして、それから開かれる「男の料理教室」の常連になりました。

 

 さて、私は40年近くも国鉄、JRと勤め上げたのだけれど、

国鉄からJRへと組織が変わった直後から地域間異動と言う制度が定着し、

新潟支社からも多くの職員が関東圏へ、期限を決められて移動した。その移動先の仕事は多彩だった。


 元々の担当していた仕事で移動する者も居たが、全く畑違いの飲食業なども少なくは無かった。

同期の仲間がトップを切って行ったが、移動先は乗降客数が日本一とも言われる渋谷駅。

なんと彼はその駅のカレーショップの店長になったのでした。新潟に帰郷した際に聞いた彼の言葉も忘れられない。

「東京ってすごいぞ、カレーショップに朝から行列が出来るんだぞ」なんて言うものだから驚いた。

彼のその後の話では、カレーショップの売り上げは1年で千万円単位でありもう少しで次の大台に乗るところだったとか。

               (続く)

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焼き立ての天然地鮎

2019-08-16 05:11:11 | 食べ物

 13日のお墓参りの翌日は親戚の家に仏様参りに行くのが習慣。

昔は親戚ばかりではなく、近所まで合わせて10軒以上もお参りに回ったものだが今は親戚のみ。

 母はもう三十三回忌も済ませたのだが、今でも実家へのお参りは欠かさない。

朝のうちに訪問しお参りを済ませたが、当主である従弟が夕方焼き立ての鮎を持参で我が家の仏様参りに。

 従弟はいつの間にか鮎漁の名手になり、毎年美味しい地鮎、天然鮎をプレゼントしてもらえる。

まだ、暖かさの残る鮎は、左が今年の獲ったばかりの鮎で、右は昨年の産卵期の鮎を冷凍したもの。

 

 天然物はこんな形をしていますよ。頭が小さくてそして丸々と太っています。

尾に近い腹びれの形で雌雄の別が分かるという。上が雌で下が雄かな。この時期だと骨が柔らかく頭から尾まで食べられます。

 

 腹いっぱいに卵を抱いたいわゆる「もろこ鮎」です。

冷凍も水と一緒に袋詰めする凝りよう。獲り立てと変わらない味ですが、さすがに骨は固く頭は食べません。

 

 その従弟が電話をくれて「従弟のところにホタテが届いているから取りに来るように」と伝言を貰う。

何という僥倖。新鮮な青森産の殻付きホタテガイのみならず、大好きなホヤまで頂いてしまった。

 

 我が家で夕食に設えた食べ物といえばこの「茄子の漬物」程度でしたよ。

丸い茄子は「梨ナス」で切って付けたものは「山本ナス」でどちらも美味しいナスです。

 

 雨が降らず、毎日ビールで喉を潤しているけれど、このご馳走にはやはり日本酒です。

お盆用にと求めていた「越乃寒梅」を冷蔵庫から取り出して先ずは一杯。左の酒器は義兄夫婦から頂いた純銀製。

 娘夫婦は婿の実家に里帰りで夫婦二人の静かな夕食。

「美味しいねー」「うーん、何とも言えない美味しさ」。二人でお酒の進んだ静かな夕食でした。

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孫とSLと

2019-08-15 04:36:14 | 暮らし

 我が家は上越線から100メートル程しか離れていないため、食堂からも電車が見える。

孫がこの電車や貨物列車が気に入って、見ては「ポッポポッポ」と大喜びをする。

 あまりにも喜ぶので、先日出かけた際に乗り物の本を二冊買って来た。

そのうちの一冊にはDVDが付録で着いていて、早速孫に見せたところSLを見て大興奮。

 

 子守の役を仰せつかっていたので、スベルべママの所要片付けを兼ねて外出。

そして、小出の公園にあるSLを孫に見せようとの思いもあって立ち寄ってみた。

 

 素朴な手書きの説明板が建っていました。

なんと昭和9年の製造。その後各地に転属となり、「長岡第一機関区」には昭和30年に配属されたのでした。

 その頃と言えばスベルべ小学生。母の実家に行く際に只見線に乗りましたが、この機関車が引いていたのですね。

懐かしい思い出が蘇ります。母の実家の近くの跨線橋の下を勢いよく蒸気を吹きながら通ったものでした。

 

 初めは不思議そうに見ていた孫でしたがスベルべジーさんが「ポッポだよ」と言うと納得の様子。

先日、ОBたちが手入れをし、塗装をし直したと何かの記事で見ましたが、本当にピカピカでしたよ。

 

 最後は気に入った様子で、公園内の木馬に跨りいつまでも見ていました。

孫は良く食べて良く眠り、1歳5か月を前に体重が11キロを越えてしまいました。

 先日はあの幻の巨大除雪車DD53の前に立つ、若き日のジーさんの雄姿を見せましたが分かりませんでしたね。

なお、汽車のDVDを見ると、昔の職業意識が出てきて、電車よりも線路が気になる馬鹿なスベルべです。

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