一人暮らしの大叔母へ母と作った巻き寿司と稲荷寿司を届けた帰り道 急に気分が悪くなった
指が動かなくなる
ついた膝も強張り 立てない
体がかたまる 動けない
何かが近付いてくる ・・・来る
ざわざわ草をかき分け一直線に進んでくるモノ
黒いー手だった
土からはえているように 手が 近づくにつれ大きくなる黒い手
広げた指は何か掴もうとするように じわじわ 内側へ曲げられていく
ぎゅっと握り潰す形に 指が迫ってくる
巨大な黒い手
見たくないのに目を閉じることも出来ない
私はこれに殺されるのか
コレに
ビッ!
何かが飛んできた
巨大な黒い手は 一瞬口惜しげに震えて・・・消えた
一体ー
「君は今でも視(み)えるんだ」
真太郎様の言葉に私は驚いた
今でもー どういうー
「本を読んであげた時 君は泣いていた 首 怖い首 そう繰り返し
井戸から出る首は 僕も見た事があった」
真太郎様は まだ立てないでいる私の前に片膝をつく
「僕の父が間違えた事をして それで一族の守りが弱くなった
おさよ様は偽物の巫女だ
父は視(み)える人間ではない
だから判らない 理解出来ない
僕の縁談も 君の縁談も おさよ様の御言葉ーというのは出鱈目だ
金儲けしたい僕の父の邪な企みだ」
言い終えて真太郎様は唇を噛む
「あの さっき 何か あの黒いのに ぶつけられたのはー」
「ああ あれは 祖母にもらった
先の 先代の巫女様が作られた 念の込められた守り塩だ」
きつい表情がとけ笑顔になる
「祖母は 祖父とは別に暮らしていて 僕が5才くらいの時 よほどの用事でか 父に会いに来た
で 帰る祖母を追いかけた僕に 先代の巫女様が遺した御言葉を教えてくれた
ーマツエという名前の分家筋の娘を妻になさいー
巫女様の御言葉の重要さは 子供の僕には理解出来ていなかった
まだ おさよ様も本当の巫女様だと信じていたし
父がお前の妻は決まっているーと言われても 本家の責任だと思っていた
自分と同じ視えるマツエという名前の娘が 確かに分家筋にいても
僕は父を信じていた
しかし父は自分の都合良いように 自分の言いなりになる妹を 偽物の巫女様にしていた
僕は父の道具には ならない」
「真太郎様ー」
「実保子さんには済まないと思う
けれど僕には あの人を愛しくは思えない
好きにもなれない 」
「どうなさるのですか」
「僕は出て行く マツエさん 君
僕は 君を置いていきたくない
君を連れて行きたい
一緒に」
なぜ そう尋ねたいのに 声が出ない 出せない
「ずっと ずっと 遠くから君を見てきた
視ることが出来る娘
ああ 他の女性を想える筈がない
僕の心は 君でいっぱいだ
誰にも君を渡したくない」
真太郎様の指が頬に触れた
私は その指をおさえる
「君が好きだ 一緒に来てはくれまいか」
黙ったまま私は頷いてー
落ち合う時間と場所を約束し
私は家に帰った
母にだけは黙って行きたくなかった
お母様にだけは
大好きなお母様
真太郎様と行くことを 母には伝えた
「行ってらっしゃい」
母は笑って送り出してくれた
真太郎様と私は車で港まで行き 船に乗った
船の中で私は髪を切り 眼鏡をかけて 自分の印象を変えた
船室から出ないようにして
真太郎様の学友のツテで翻訳の仕事を 翻訳ならペンネームが使えるから
買い物以外はアパートにこもり
私たちは用心して生活していた
つつましく静かに
子供達が生まれ
私は友人と再会した
加佐矢晶(かさや あき)さん
転校生 一学期だけの同級生
夫の友人の藤見夫妻 僅かだけれど大切な人達
何かに怯えながらも私たち家族は幸せだった